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またしても、亀田興毅の八百長判定?

誰も目にも不思議な判定だと思える各ジャッジのポイント差


4/4の亀田興毅の世界戦(vsノルディー・マナカネ)不思議な判定差で
亀田が勝ちました。

このような判定で試合を勝ちにしてもらって、チャンピオンにのさばっても
視聴者は呆れるだけでしょう。亀田の人気はまた下がる一方?。

WBA・亀田一家・TBSは、視聴者・観戦者をばかにしている。

WBAは、亀田3兄弟と組むことでジャパンマネー(円高ドル安)も獲得。
亀田家としてはファイトマネーが得られ、弱い選手とマッチメイクしやすい。
TBSは、一応の視聴率が得られ(14%前後?)、スポンサー収入が入る。


現在WBAのバンタム級チャンピオンは3人?。チャンピオンは1人だけで
いいと思うが。

スーパーチャンピオン、チャンピオン、暫定チャンピオンという3枠も、設
けられています。

亀田興毅はその中のチャンピオンに認定。つまり、スーパーチャンピオンの
下なので、実質は2位となります。

WBAには、3人のチャンピオンも認定料がはいり儲かるという矛盾。

本来なら、9ヶ月内に、指名試合をしなければならないという、規定があり
ますが、亀田興毅はスルーされています。

どうも、弱い選手のランクを引き上げて、タイトルマッチを組むと言う傾向
もありそうだ。

4/4の戦いぶりと、不思議・矛盾を背景にすると、素晴らしい才能のある
選手たちも、大人たちの金とエゴで、戦意も、心も、潰されてしまいそうだ。

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再開を急ぐ原発には→癒着?も? 

<大飯原発>関連工事 おおい町長が役員の会社が大量受注


関西電力大飯原発の地元、福井県おおい町の、時岡忍町長(74)が取締役を務める
金属加工会社「日新工機」(同町)が10年までの6年間に関電発注の原発関連工事
を少なくとも65件、計4億4800万円受注していたことが分かった。

直接受注だけでも19件、約3億円分ある。大飯原発3、4号機の再稼働には、福井
県やおおい町の同意が前提とされており、町関係者は「原発と利害関係の深い町長に
公正な判断ができるのか」と指摘する。

県などによると、同社は、時岡町長が88年に創業し、96年に町収入役になるまで
社長を務めた。長男(42)が後を継ぎ、自身は、取締役に退いたが、株の約3割を
保有し、2番目の株主だという。原発の維持・補修を中心に業績を伸ばし、10年度
の売り上げは約3億円。(毎日新聞 4月6日(金)15時1分配信)


他にも【関連記事〜毎日新聞】がある

<関電子会社>賃料2倍で倉庫借りる 福井・高浜町議から
<敦賀市長>細野原発事故担当相ら議員11人に「カニ」贈る
<原発関連工事>高浜町議会副議長の会社が7億円受注

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原発会社は、くさいものにふたをし、くさいものに、直接手を下さない

原発会社は、くさいものにふたをし、くさいものに、直接手を下さない。


弱者を欺く原発作業現場




簡単に計算しても、一人当たりの人件費だけども、元受→下請け→下請け→孫受け???と・・
かなりの金額に上ることがわかる。これが、やがて、税金と化して、国民の負担となり、さらに、
電気料金の値上げがからめば、こくみんの負担は2重になる。



ウソ求人で原発派遣の労働者、3日間線量計なしで活動



大阪市西成区のあいりん地区で、宮城県女川町での運転手の仕事に応募した大阪市の60代男性
が、福島第1原発で働かされていた問題で、西成労働福祉センターは9日、男性と業者に、聞き
取り調査し、男性が原発敷地内で約2週間、防護服を着用して給水作業に従事していたと明らか
にした。

男性は「4日目にやっと線量計が配られた」などと話している。一方、募集した業者は、混乱の
中で誤った仕事内容を伝えたと釈明している。

「宮城県女川町、10トンダンプ運転手、日当1万2000円、30日間」―。この求人情報に応募した
男性は、防護服と防じんマスクを着用させられ、福島第1原発の敷地内へと放り込まれていた。

同センターによると、男性は3月19日に、大阪を出発。岐阜県で元請け業者と合流後、特に説明
がないまま、原発事故の対応拠点「Jヴィレッジ」(福島県広野町など)に、到着。この時点で
初めて、原発敷地内で作業することに気付いたという。

同20日からの作業は、1日約6時間。原発5、6号機冷却のため、給水タンクにホースやポンプ
を設けて、給水車に水を移し替える内容だった。男性によると「4日目に、やっと線量計が配ら
れた」。

放射線の情報や、健康被害に関する説明は乏しく「精神的ストレスで、心臓がパクパクする感じ。
長生きなど、いろんなことを諦めた」と振り返った。その後、計測した被ばく線量は基準値以下
だった。

男性を雇った業者「北陸工機」(岐阜県大垣市)は、東京電力の3次下請け。当初、「元請けの
建設業者から『現場は女川』と言われ、大阪で募集した」と主張したが、9日になって「(元請
けから依頼があったのは、福島第1原発での作業だったが)混乱の中で(誤って)女川町の現場
を伝えてしまった」と釈明した。

一方、愛知県の元請け業者は「“福島第1原発付近で、散水車の運転手”と業務内容を伝えたが、
原発敷地内の作業とは言っていなかった」と話している。うその労働条件を提示して、労働者を
集めたり、契約を結んだりするのは職業安定法や労働基準法に抵触する恐れがあり、大阪労働局
が、調査している。

原発の現場では、4月中旬ごろから「原発建屋内なら(募集時の賃金の)3倍」「退避区域なら
1・5倍」など、“危険手当”ともいえる作業員の賃金体系を業者ごとに設定。男性も、最大で
募集時の条件の倍に当たる日当約2万4000円を受け取ったが「おかしいと思ったが、物を言える
雰囲気ではなかった。賃金も、仕事に見合っていない」と話した。



「宮城で運転手のはずが」

就業場所を「宮城県女川」とした職業紹介票 大阪市西成区・あいりん地区の労働者に仕事を紹介
している財団法人「西成労働福祉センター」は、9日、宮城県でダンプカー運転手として働く求人
に応募した、60歳代の男性2人が、実際は、福島県の東京電力福島第一原子力発電所敷地内などで
働いていた、と発表した。求人の際に、労働条件を明示するよう定めた職業安定法に違反している
疑いがあり、大阪労働局が調査に乗り出した。

同センターによると、3月17日、岐阜県大垣市の建設業者から「宮城県女川町で、10トンダンプの
運転手、日当1万2000円で、30日間」と求人があり、2人に紹介。

それぞれ、採用されたが、同月24日、このうち1人から、同センターに、「福島第一原発が見える
場所で作業をしている。求人と条件が違う」と、苦情の電話があったという。

同センターが、業者などに確認すると、1人は5、6号機の外で防護服を着て給水タンクから水を
運ぶ仕事に、4月21日まで従事。求人条件の2倍ほどの約60万円の報酬を得たという。

もう1人は、原発敷地外で、タンクローリーで水を運ぶ作業をしていた。

同センターは「驚いている。なぜ、大きく契約が変更されたのか、労働者の、被曝(ひばく)防止の
ため、適正な管理がされていたかどうかを確認したい」と話している。

求人を出した建設業者「北陸工機」の社長(56)によると、元請け会社から要請を受け、散水車を
運転する労働者を募集したという。社長は「求人を出した当時は、原発近くで作業するとは知らず、
宿舎のある、宮城県女川町を示せば大丈夫だと思っていた。募集時に勤務地を明示しなかったのは
まずかった」と話している。

大阪労働局の話「西成労働福祉センターや、求人を出した業者に事実確認をした上で、違反が確認
されれば、改善を指導する」



ダンプ運転手募集→原発で労働…大阪あいりん地区でウソの求人



日雇い労働者が多く集まる大阪・西成区のあいりん地区で、東日本大震災後、宮城県での運転手の
求人に応募した男性労働者が、福島第1原発での労働を強いられていたことが8日、分かった。


関係者によると、財団法人「西成労働福祉センター」が3月17日ごろ、業者からの依頼をもとに
「宮城県女川町、10トンダンプ運転手、日当1万2000円、30日間」との求人情報を掲示。採用され
た男性は、東北に向かったが、雇用期間中の3月25日ごろ、男性から、センターに「福島第1原発
付近で、防護服を身に付けがれきの撤去作業をしている。求人は、宮城だったのにどうなっている
んだ」と電話があった。

センターが調査した結果、男性が一定期間、防護服を着て同原発の敷地内での作業に従事していた
ことが判明。労働者らを支援する、NPO法人・釜ケ崎支援機構は「立場の弱い、日雇い労働者を
だまして、危険な場所に送り込む行為で、許されない」と反発している。

女川町と思い込み原発へ労働者…派遣業者が釈明


                            産経新聞 5月10日(火)9時56分配信




大阪市西成区のあいりん地区で、宮城県女川町での仕事に応募した60代の男性が、東京電力福島第
1原発で働かされていた問題で、男性を雇用した業者が9日、産経新聞の取材に対し、「混乱の中
で、作業場所が女川町と思いこんでしまった」と釈明した。求人の際に、労働条件を明示するよう
定めた職業安定法に違反する可能性があり、大阪労働局は事実確認を始めた。

雇用したのは、岐阜県大垣市の土木建築業者「北陸工機」。同社などによると、愛知県の、元請け
業者から要請があり、3月17日に、財団法人「西成労働福祉センター」に、募集を出し、運転手と
して働く条件で男性を雇用した。しかし、男性は、同月19日から約2週間、同原発の5、6号機の
外で、給水タンクから散水車に水を移す作業に従事していた。

北陸工機の男性社長は、実際の作業場所が求人と異なったことについて、「元請け業者から原発の
近くで、作業するとの説明を聞いた気もするが、同時期に、複数の業者から求人依頼があり、混乱
しているうちに、女川町で作業するものだと思いこんでしまった」と釈明。「勤務内容をきちんと
把握しないまま募集してしまい、申し訳ない」としている。 




原発修復、極限の数百人…1日2食、雑魚寝



予断を許さない状況が続く、東京電力福島第一原子力発電所で、修復作業に当たっている作業員の
厳しい労働環境が、28日、明らかになった。

この日、記者会見した経済産業省原子力安全・保安院福島第一原子力保安検査官事務所の横田一磨
所長(39)によると、朝食はビスケットと野菜ジュース、夕食は非常食用の五目ご飯などと缶詰で、
1日2食となっている。

夜は同原発1号機から、北西に約 300メートル離れた「免震重要棟」の緊急時対策室で雑魚寝する。
各人に配布されているのは毛布1枚だ。

東電によると28日現在、同社や協力会社の計 450人が所内で作業に携わっている。

  
28日、経済産業省原子力安全・保安院の記者会見などで明らかになった、東京電力福島第一原子力
発電所の作業員らの過酷な労働環境。限られた食事、高い放射線量の中、危険と隣り合わせの修復
作業が続く。


◆日課◆

原子力安全・保安院福島第一原子力保安検査官事務所の横田一磨所長(39)は、22〜26日、作業員
への指示を行ったり、作業員らが食事や睡眠を取ったりする免震重要棟の「緊急時対策室」に滞在、
28日、会見を開いて状況を報告した。

免震棟は、地震の揺れを軽減できる構造で、昨年7月に利用が始まった。東電によると、2号機で
爆発が起きた15日には、東電と協力会社の作業員や技術者計約 800人のうち、原子炉への、注水を
行う約50人を除いて、いったん所外に避難したが、その後は270〜580人程度が所内にいる。

横田所長によると、作業員らは、毎日午前7時にミーティングを行い、各原子炉の状況や作業手順
を確認。午前10時頃から午後5時頃まで作業を行い、免震棟に戻って夕食となる。就寝は午後10時
過ぎ。夜勤の作業員は、寝ずに、計器の数値を監視する。

1日2回の食事のうち、朝は1袋十数枚入りのビスケットを2袋に野菜ジュース。夕食は、水を入
れて、発熱剤で温められるワカメご飯や五目ご飯、キノコご飯やドライカレーなどと鶏肉やサバの
缶詰1個。飲料水は、1人1日1・5リットル配られているが、貴重なため、手洗いはアルコール
を使っている。風呂やシャワーは使えず、着替えもほとんどない。

救援物資の増加も検討されているが、周辺の放射線量が高いため、ヘリコプターでの輸送はできず、
東電のバスで運搬している。

東電の現地のリーダー格の男性職員は当初、「乾パンで飢えをしのいだ。わずかな仮眠で、仕事を
続け、乾パンをかむ力もなくなってきた。お茶が飲みたい」と本店社員に訴えていた。


◆士気◆

夜は、冷え込んで寒いが、対策室や廊下で雑魚寝となる。対策室は約35メートル四方で“すし詰
め状態”。イスを並べて寝る作業員もいる。

地震が発生した11日から、しばらく所内に詰めていたという東電社員は、当初は23時間勤務して
1時間の仮眠を取る程度だったという。

屋外の放射線量は、依然として高い。このため、免震棟の床に鉛のシートを張るなどして、建物の
内部の放射線量を毎時2〜3マイクロ・シーベルトに抑えている。

タービン建屋にたまった水などから、高い放射線量を測定していることもあり、横田所長は今後の
作業では、「水たまりを避けるなどの注意が必要だ」と話す。

作業員は交代があるが、「幹部は(現場を)離れるのは難しい」(横田所長)状況だという。夜の
ミーティングの終わりには、東電社員の「がんばろう」のかけ声とともに一本締めで、士気を高め
ているという。


                             読売新聞 3月29日(火)3時3分配信

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銀塩の時代は、まだまだ続く

イメージ 1

写真の歴史はおおよそ180年。いろんな感剤が初期には使われたようですが、その歴史の大半は
化合銀を使ったもので、いわゆる「銀塩」写真であり、銀塩の時代であった。

この銀を使う写真の時代がおそろしく長かったので写真の感剤の発達が、右肩上がりで発展した。
環境問題的な側面から、使う銀の量が規制されたり、という時代もあったが、その発展は粒状性
ひとつをとってみても、感度的な話であっても、基本的には写真の感剤(印画紙や、フィルムの
こと)は、180年間ずっと、技術的に磨かれてきた。

ところが、ここ数年いきなり銀を使った写真からデジタルの写真に、ほとんど、一気に変わって
しまった。

しかし、デジタルカメラは、銀塩カメラの真似から始まった。銀を使うべき写真を、感剤なしで、
撮影するにはどうしたらよいか、というところから、デジタルカメラの、技術的進展がなされた。
だが、180 年もの間、積み上げられた、銀塩写真というものの完成度を、100 とすると、一気に
デジカメに変わったとしても、いろんな面を考えて、まだ、50くらいのレベル。

模倣が、本物に追いつくのは、ちょっと時間がかかる、今はそのタイムラグの、真っ只中にいる。

例えば、今のプロ用デジタル一眼のレベルは、ある側面から言えば、とっくに銀塩の6×9あたり
の画質を超えているが、一般的に、世に出回っている写真プリントの質、ということを考えたら、
明らかに、銀塩時代から、一歩も二歩も後退している。 昔 みんなが使っていたコンパクトカメ
ラの画質に、今の一般的なコンパクトデジは、追いつけていない。

銀塩が、デジタルよりいい理由、ってのを、ちゃんと知らずに、銀塩をやってる人が多すぎるな、
というのが、正直な感想。そして、ラチチュードの広さ、これに尽きる。これが、デジカメには
ない部分。銀塩の感性が現れる一番のポイント。

デジタルプリントの利点とは何か? これは何と言っても、今までプロラボやプリントショップ
に口頭で伝えていた、「もっと濃度を上げて」だとか「鮮やかに」だとか、そういう曖昧な要求
を、心ゆくまで、自分で調整できて、カラー写真でも、プリントの仕上がりに責任が持てる、と
いうことに尽きる。ただし、パソコンと、たとえばアドビーなどのフォトショップというソフト
での加工が、あっての話。

モノクロの時代は、みんな自分でプリントして、その品質にちゃんと自分で責任をとっていたの
に、カラーは、自家処理が、ちょっと難しいために、外注に頼らざるを得なかった。

ネガプリントは、表現の自由度が大きいから、当然、プリントするラボマンの技量に左右される。
下手くそが焼くと、下手くそなプリント。上手な店に任せれば素晴らしい出来に。だけど、どう
いう風に焼いてくれ、という指示が、とても難しい。

ラチチュードの狭い、不自由なポジフィルムが使われたのは、少なくとも、仕上がりに他の人の
手が入らない、責任的に、自己完結できるということだろう。

モノクロのみならずカラーでも、ネガフィルムってのは、ものすごくラチチュードの広い、ある
意味、理想的な感剤。今の、デジカメ的な言い方をすれば、ダイナミックレンジが広い、という
こと。

以前に比べて、デジカメのダイナミックレンジは広くなった。 ダイナミックレンジとは、一番
黒い部分から一番白い部分まで、表現できる階調の幅のこと。ネガフィルムは、この階調の幅が
すごく広い。 一枚のネガから、わざと、アンダーなプリントを作っても、シャドウ部が潰れる
ことがないし、逆にハイキーなプリントを作っても、かなりな部分まで、ハイライト側に階調
が残る。

この階調の幅のことをラチチュードと言う。ネガフィルムはラチチュードが広い。 ポジフィル
ムは狭い。すぐに白飛びするし、黒潰れする。

デジカメも同じ。ラチチュードが狭い。とくに、コンデジは狭い。ダイナミックレンジというの
はCCD一個一個の大きさに関係するので、コンデジみたいなCCDの小ささでダイナミックレンジを
広げるのは土台無理。

最近は、キヤノン、ニコン、ソニーから、35ミリフィルムと同じ大きさの受光素子を持つ、デジ
カメが発売されているので、ラチチュードもかなり広くなっているが、でも、ネガにはとうてい
及ばない。

銀塩の優れたところは、わけのわからんノスタルジーの部分にあるのではない。ラチチュードの
広さ、これに尽きる。これが、デジカメにはない部分。

1段アンダーから、3段オーバーまで、適性露出に4段の幅がある。4段、つまり2の4乗、光
の量に、16倍の差があっても、大丈夫ということ。 ネガの良さってのは、めちゃくちゃ、ダイ
ナミックレンジの広い「アナログ CCD」である、ってこと。

ネガには、もの凄く幅広い階調の幅があるので、1枚のネガから、すごくハイキーな写真も作れ
るし、アンダーなプリントも焼ける。 デジカメでも、フォトショップで明るさの調節やコント
ラストの調節が出来るが、ネガほど、ダイナミックレンジが広くないので無理が出てくる。階調
が崩れてしまう。画質が著しく劣化する。

わかりやすく、モノクロの話に単純化して考えれば、モノクロプリントというのは、何も、露光
しなければ、真っ白(紙の地色)完全に感光させてしまえば真っ黒。 この真っ白と真っ黒の間に、
すべてのトーンを配置すること、真っ白から真っ黒まで、すべてのトーンを印画紙上に再現出来
ているプリントが、美しいプリントとされる。

もちろん例外はあるし、わざとそれを崩すこともある。 しかし、基本は「一番くらい部分から
一番明るい部分までを、印画紙の再現能力の幅に一致させること」。

これは、カラーネガのプリントでも、デジタルでも通用する基本。

現在、カラー画像に関して言えば、顔料インクジェットで出力するのが一番だと思う。耐候性に
関してダントツのアドバンテージがある。

銀塩カラーは、保存が悪ければ数年で色抜けする。エプソンの、顔料プリンターはメーカー公称
200 年耐久。実際に光や水分に対して強いのは実験済。

銀塩、インクジェット問わず、色の劣化を一番促進するのはオゾン。オゾンを、遮断するために
樹脂系スプレーの、吹き付けを推奨。 商品名で言えば「コンドール・ジェット」「プリント・
ガード」等。一般用のトリパブCやフィクサチーフも、やらないよりマシ。ワセリンやカルナバ・
ワックス、スプレー式油性ニス等も、実験上、問題なし。

デジタル写真で、まず、覚えてもらわなきゃいけない最低限のことは、解像度の話と、ヒストグ
ラムの話。 この二つは、絶対に理解しなきゃ駄目。デジタル写真の基本中の基本。

デジタル写真は、黒から白への階調を、256 段階で記録する。一番黒いところが0、一番白いと
ころが 255。計 256階調(8bitの場合)。 これはデジタルの基本中の基本。

アナログとデジタルで一番変わるのは、適性露出の考え方。ネガだと、画面の内で、一番表現し
たい部分、ポートレートだったら顔の部分、風景だと、その画像の核になる部分、そこを、適性
露出にしておけば良かった。わかりやすくポートレートだと、背景に空が写っていたとして、顔
にスポット測光で、露出を合わせれば背景は白く飛んで写る。でも銀塩なので、デジタルほどは
激しく白飛びしない。ハイライト側の階調はデジタルと比べものにならないくらい豊か。

デジタルカメラで、撮影するときは、まずは、「収める」という考え方になる。 黒をつぶさず、
ハイライトを飛ばさず、ヒストグラムを、0から 255の中に収めておいて、後からトーンカーブ
で、中心の位置を調整する。

フォトショップは、デジタル写真の、調整ソフトですが、デジタルのみならず、銀塩を、含めた
「写真」の理屈を考える上で、非常に有益なソフト。

ヒストグラムやトーンカーブ自体は銀塩の時代からフィルムの特性曲線等で使われてきた考え方
と似ているし、デジタルで数値化してみてはじめて気がつく銀塩の理屈、というのもあると思う。

フィルムと印画紙がある限り銀塩で、と考えている人でも、フォトショップを学ぶことは決して
無益ではない。却って銀塩を深く考える契機にもなると思う。

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カダフィ大佐の別荘、JNNカメラが潜入

カダフィ大佐の別荘、JNNカメラが潜入






エジプトとの国境から 300キロ。リビア・アルベイダ郊外。丘の上の白い
建物は、カダフィ大佐の別荘です。JNNのカメラは、別荘の単独取材に
成功しました。


敷地内に入ると、中は荒れていました。窓ガラスが、割れています。この
地域を、反体制派が掌握した後の18日、別荘では略奪が行われ、火が放た
れました。


「こちらですね、豪華な感じの柱です。そして、暖炉もあります。あちら、
ダイニングのようです。かなり、調度品も豪華なようなんですけど、ほと
んどが、略奪に遭って、燃やされて、今は、焦げ臭いにおいがしています」(記者)


床に散乱する調度品の破片に、暮らしぶりがうかがえました。略奪の跡は
生々しくありますが、この豪華さは、テントでの質素な生活を、アピール
していたカダフィ大佐の別荘とは思えません。


屋内プールもあります。別荘の周辺は、年に3〜4回、封鎖されることが
あり、そのとき、地元の人はカダフィ大佐がやってきたと感じていました。


中の様子を一切うかがい知ることができなかったカダフィ大佐の別荘。隠
された秘密が地下にありました。


「かなりぶ厚い鉄の扉です。かなり深いです」(記者)


階段を下りること10メートルあまり。地下に下り、何重もの、分厚い扉を
くぐり抜けると、そこは、いくつもの部屋に分かれていました。カダフィ
大佐の別荘の地下に隠されていたものとは・・・


「完全に地下核シェルターですね」(記者)


それは、地下核シェルターでした。


「後退はしない、前進!前進!革命!革命!」(リビア カダフィ大佐)


いまだ、強気な発言を繰り返すカダフィ大佐。1970年代から90年代にかけ
て、欧米諸国と激しく対立してきましたが、実は、核兵器による攻撃を恐
れていたとみられます。地下核シェルターの中は、いくつもの部屋に分か
れていました。まだ、準備が整っていなかったのでしょうか、空の部屋も
多くあります。


「ベッド、電動ベッドですかね」(記者)


中には、ベッドなどが運び込まれていた部屋もありました。ガラス張りの
バスルームもあります。


「キッチンでしょうか。当分暮らせるようになっています」(記者)


カダフィ大佐は、何のためにこの施設をつくったのでしょうか。それを解
き明かす、小さな扉がありました。奥の方に続いています。外に出たよう
です。


「これ、脱出路になっているんですね。上のはしごを上ると外に出られる
ようになってます」(記者)


生き残るための脱出用の扉。


「祖父が死んだこの地を去ることは絶対できない。最期は、祖父と同じく
ここで殉教する」(リビア カダフィ大佐)


決して、リビアを離れないというカダフィ大佐。しかし、地下核シェルタ
ーからうかがえるのは、生への執着でした。反体制派の手はカダフィ大佐
ののど元、首都・トリポリまで迫ろうとしています。(28日17:49)





               TBS系(JNN) 2月28日(月)19時33分配信

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