負け犬からの脱皮
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随分前に録画してあったテレビ番組のひとつをようやく見ることができた。
「走り続ける 王貞治」
誰もが知る世界のホームランキング 王貞治の、現役を退いてからのドキュメントであ
る。現役引退後の王貞治はジャイアンツの助監督を3年間勤めた後、監督となるも
5年で解任されている。
その後1994年に当時のダイエーホークス(現 福岡ソフトバンクホークス)の監督に就任した。
常勝軍団でなければならなかったジャイアンツと違い、当時のホークスはあまりにも負けることに慣れてしまっていたチームであり、南海ホークス時代からずっとBクラス
の「パリーグのお荷物球団」と呼ばれていた。
そこに世界のホームランキングが単身赴任でやって来たことを福岡のファンもホークスの選手も喜び感激さえもしたが、だからと言って勝てるほどプロ野球は甘い世界ではない。
王貞治が監督に就任してからもホークスは負け続け、ついには生卵が王めがけて
投げつけられたり、観客席には
「王、頼むからヤメテくれ」
という横断幕まで掲げられたりもした。
しかしそれでも王は選手に勝つ喜びと勝負の世界に生きる者の心得を辛抱強く選手に説き、荒れるファンについても「勝てば拍手で迎えてくれる」と耐え続けた。
そして就任5年目、ダイエーホークス創設11年目にして初優勝を果たし、日本一にも
なった。その後は常に優勝争いをするチームとなり、昨年は日本一に返り咲いている。
僕はこの番組を見ながら、どうしてもトヨタ車体ハンドボール部がかぶってしまった。
もちろん僕は監督ではないので王貞治のような苦労を経験していない。
しかし、その苦労を理解することは難しくはなかった。
僕はトヨタ車体でお世話になって今シーズンで11年目だが、11年前のトヨタ車体は
本当に勝てそうな気がしないチームだった。
当時は日本ハンドボールリーグが2部制で、1部8チーム 2部6チーム
トヨタ車体はようやく1部に定着したものの、順位は6位7位をうろうろしていた。
練習に活気はなく、何となく時間が過ぎているようなチームだった。
だからと言って選手がいい加減に練習をしていたのではないが、勝てるチームの
練習メニューや取り組み方を知らなかったのだろう。
そういう僕も日本リーグのトレーナーとしてはまだまだ未熟だったし、ぬるま湯に
浸かっていたと言える。
実業団選手権でもリーグでも全日本総合でもそうだが、下位のチームには勝てても上位のチームには勝てない
と言うよりも最初から勝てそうもないし勝てるとはだれも思っていないようなチーム
だったので、当然のことながら負けてもそれほど悔しく思っている選手もいなかった
ように見えた。
(※ 実際には何人かの選手は悔しくてしかたなかった あるいは悔しさを見せることに照れていたのだろう)
試合前日の夜はパチンコに行き、閉店後に夕食を兼ねた飲み会
タバコをぷかぷか吹かす選手も多かった(僕も当時はセブンスターを吸っていた)。
ミーティングは対戦相手の試合の映像をダラダラ見ることが多く、モチベーションを高めることも分析もそれほどなかった。
試合で負けた後も淡々としていて、あっさりと負けを受け入れているように見えた。
王貞治は負け慣れていた選手たちにこう言った。
「我々は勝負の世界に生きているんだ。君たちは負けて悔しくないのか?
負けて悔しくないならこの世界には生きていけない。」
本当にその通りだと思う。
王さんが就任当時のホークスは目標を「優勝」などということはおこがましく、選手も
誰一人として自分たちが優勝できるとは思っていなかった。
トヨタ車体も同じである。
今シーズンの目標は?
と聞かれて 「リーグ優勝です」 と答えられる選手は一人もいなかっただろう。
僕がトヨタ車体に来て3年目のシーズンのことだったと思うが、合宿の時に夜の
ミーティングで相川さん(ボディビル日本チャンピオン トヨタ車体のストレングスコーチの相川浩一)が選手の前で 優勝をめざす という言葉口にしたことがある。どのようなシチュエーションだったか覚えてないが、唯一日本一を経験していた相川さんだからこそ言えた言葉だ。
だがその時の選手は皆キョトンとして
「俺らが優勝なんてできるわけないじゃん」
と言っているかのように思えてしまった。
その年も当たり前のように6位か7位だったと思う。
そういう 負けることが染みついてしまったチームが常に優勝を争うチームになるという事は想像以上に難しいものだ。
いったん妥協を覚えてしまったら人間はそんなに簡単には自分に厳しくなれない。
ホークスもトヨタ車体もまさに妥協だらけのチームだったのだろう。
トヨタ車体は感情をむき出しにする吉田聡が監督になって、とにかく走った。
それまで相川さんの指導のもとでストレングストレーニングは行っていたが、なんせ
無駄な脂肪だらけの選手が多く、力は強いが走れない選手が多かった。
当然のことながら足首や膝に故障を抱える選手も多かった。
そんなチームが監督交代を機にクイックスタートと速攻をどんどん仕掛けるチームに
なろうとしたのだから大変なことである。
練習中にげろを吐く選手もいた。
数年後、チームはプレーオフ出場寸前まで行ったがそれでもやはり上位チームには中々勝てない日が続いた。
だがこの頃からようやくチームも選手も、負けた時の悔しさ を表現するようになり、
優勝という目標を具体化させられた。
6年前に、選手としても監督としてもそして日本代表スタッフとしても経験豊富で、海外のハンドボールにも精通している酒巻清治が監督に就任した。
チームは急加速で成長した。負けてばかりだったチームがいつしか
「勝てないことが不思議」
とまで言われるようになった。
そしてついに昨年、全日本総合優勝という初めてのタイトルを手にした。
3月には日本リーグのプレーオフが待っている。
たった一つのタイトルをとるのに随分長い時間がかかったが、たった一つのタイトルで満足するわけにはいかないことをチームの誰もが理解している。
さあ、これからが始まりだ。
ちなみに体調を崩して監督から退いた王貞治は、今でも時間の許す限りホークスの試合を観戦し、子供たちに野球を教える日々を送っている。
野球が本当に大好きなこの人は、もっともっと野球のおもしろさを世界中に広げたい
と言う。
ホークスの成長とトヨタ車体の成長と王貞治という偉大な人
何だか分からない感動や過去の思い出があふれる時間を過ごすことができた。
※ 久し振りに長い文章を書くと 上手くまとまらないなあ。
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