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最近、アマゾンの私のレビューにたちの悪いネット右翼(一般化するなと言われたので、特定のネット右翼としておく)がクレームをつけてきた。すでに反論もしたのだが、相手はただ物量戦でモノローグを言うだけで、私の反論を隠すことしかしないようなので、ここに新たにまとめて状況を報告する。
まず、レビューは笠原十九司『南京事件』についてだが、南京事件については長年の歴史研究者らの努力により、多くの史料や証言が発掘されている。東京裁判では南京在留外国人の証言や埋葬団体の報告などが論拠として注目されたが、日本軍もその直後から軍の風紀の乱れを指摘しているし、従軍兵士や従軍記者による証言などもあり(石川達三の小説等も直後の取材をもとに書かれている)、さらに近年では中国側の調査も進んでいるもようであるから、こうした史料を総合的に考える(これを実証と言う。実証とは全部分かることではない)と、被虐殺者数は特定困難であるとはいえ、南京での虐殺の存在自体は否定しがたいし、それはそれで重要な問題だと私は考えている。
問題は、以下の点にある。すなわち、1)南京在留外国人に国民党のプロパガンダ方針に沿った工作員の容疑がかかったこと、2)埋葬団体報告への疑義、3)当時の中国軍の問題行動の指摘、4)現在の中国側の情報統制による証言への疑義、5)日本人証言の撤回が相次いだこと、等である。たしかにこれらによって南京事件に疑義がついたことは事実である。しかし私見では、1)日本軍自体も情報統制を行っており、その公式発表を鵜呑みにできない上、たとえ一部に工作員容疑があっても(それ自体いまだ検討の余地がある)、特に被害者と直に接していた南京在留外国人や埋葬団体の報告を全否定してよいのかどうか疑問があること、2)中国軍にも問題があったとしても、日本軍自体が下剋上(この結果、規定と実態にもずれが生じる)と自作自演で満洲事変を引き起し、その後も継続的に中国侵略の意図を明示していた上、国際的非難の中、補給不足のまま南京戦以前から略奪暴行虐殺を働いていたこと(南京戦以後も)は明らかに問題であり、中国側の反応もその関連で考える必要があること(各地で虐殺等を行い、降伏してもきちんと捕虜を遇する準備をしていない敵軍に、おいそれと降伏出来ない)、国際法違反の便衣兵も北村稔による史料発掘はあってもいまだ実態不明であり、日本軍が「便衣兵」の口実でいいかげんな基準で殺害をしていたことも事実であること、3)現在の中国の情報統制の問題はあれ、関東大震災時の朝鮮人虐殺など、日本人が見下していた相手にいかに残酷なことを行ったかは指摘されており、また沖縄戦における虐殺などの事例を見ても、中国人被害者の証言を無視することの問題性は明らかであること、4)日本における加害の証言者への政治的圧力(「日本軍ではなくお前の人格が問題だ」、「お前は中国に洗脳されたのだ」等)を考えると、日本人証言の撤回も安易に「ウソつき」扱いせずに、その経緯をきちんと明らかにする必要があること、を考える必要がある。結局は安易に被害者側に責任を転嫁する前に「多様な一次史料の地道な突き合わせ」が重要なのである。
ところが、今回のネット右翼がやったことは、1)当時の国際情勢の変化を軽視し、帝国主義的性格を過度に強調したうえで、このような個別の事件に関して日本軍の行動を免罪すること(世界史研究者が植民地支配を批判していないかのように書いたり、満洲事変すらリットン報告書も踏まえずに正当化することも問題)、2)中国側と「それに媚びる」勢力(南京在留外国人や戦後日本「左翼」など「親日的」でない人間)の悪逆さや虚偽の過度の強調や列挙(レビューと無関係な内容も多く、私や著者に根拠薄弱なレッテルもはる)、しかも「中国文化」や「キリスト教宣教師」への本質主義的なレッテルばりによるその強調、その結果、自分に好都合な証言のみが許容され、不都合な証言は抹殺しようとする傾向、3)「反省すべき点は反省し」などと言いながら、結局反省のそぶりを見せずに、ただ以上の諸点に関わる具体的「事実」を史料的根拠もいいかげんなまま(たとえば日本は残酷な虐殺を行ったことがないなどのウソ)、ただ羅列し南京事件から論点をずらし焦点をぼかすこと(ちなみに物事が多様な因果関係で成り立つのは当然であり、それを自分の行動の結果として引き受けるのが責任や反省である)であった。
それだけならまだしも、一層問題なのは、議論のルールを無視した卑劣な手段を用いたことである。すなわち、1)コメント開始時には自分の10のレビューのうち半分にほぼ同文のレビューを付けており、それをコメントにもコピペしていたこと(つまり相手と対話する気が無いモノローグである)、2)その記述も本の内容に反する内容を含んでいたこと(ただの政治的裁断である)、3)コピペの大量使用による物量戦(最近はウィキペディアやヤフー掲示板を鵜呑みにして、自分に好都合な「事実」を注ごとコピペしている)をしたうえで、自分に不都合な点があると、過去の発言を1ヶ月後に削除したり書き換えたりし(したがってその都度日付を確認する必要がある)、そのくせ相手に自分の意図の正確な読み取りを要求すること(囲碁や将棋でと同様、いかさまに相当する情報操作)、4)私が何度も改竄を非難すると「左翼はすぐに改竄改竄と言い立てる」などと開き直った上、私の論旨を歪曲したうえで(たとえば私が中国を良い国だと言ったかのように、あるいは私が権威主義であるかのように)私の反論まで「盗んで」私に投げつけること、5)私が反論した場合でも(研究者間でも本を書いて論争し合うような内容について、上記のような思い込みの強い「事実」に、私が史料的根拠を挙げていちいち反論しなければいけないのであろうか)、まともな反批判をすることなく、論旨をずらしてまた上記のような「事実」を羅列し、私の反論を「隠した」ことが行われたのである(なお、途中からいいかげんなネット右翼が議論に割り込むという最悪な状況になったが、そちらはその発言を実証的に引用して理論的にその「自己中心的性格」を明らかにした)。このような手段を通じてネット右翼はいやがらせを行い、自分のモノローグのみまくしたてたのである。
以上の点を確認したい方には、笠原十九司『南京事件』への私のレビューへのコメントのうち、2012年1月29日の私のコメントにおける参照指示とその周辺のコメントを「日付確認のうえで」参照されたい。
2012年2月4日(土)〜5日
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