あなたの知らない視点で語りたい〜詩 小説 エッセイ

理想がなければ自らが作ればいい。自由と愛と尊厳のある世界を、このブログのから発信していきます。

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今回は「これから正義の話をしよう」Mサンデルの第二章からの政治哲学の考察です。
さまざまな道徳的概念は、私達の考えの土台となり法律となって政治を動かします。
本当の社会の幸福の追求とは、そういったひとつひとつの概念を受け入れるべきかどうかを考えることなのかもしれません。
 

ジェレミー・ベンサムは道徳の至高の原理は幸福、すなわち苦痛に対する快楽の割合を最大化することだと言った。正しい行いとは「効用」を最大にするあらゆるものだという。誰もが快楽を好み苦痛を嫌う。功利主義哲学はこの事実を認め。それを道徳生活と政治生活の基本に据える。もし功利主義が正しいなら道徳は幸福のコストと利益である。

たとえばあなたがCIAのトップであるとしよう。一人のテロ容疑者を逮捕した。その男はその日のうちに爆発するようマンハッタンに仕掛けられた核爆弾の情報を持っている。時間は刻々と過ぎてゆく。あなたは拷問を加えることを許可するだろうか?

 
功利主義の倫理とは、拷問は容疑者に苦痛を与えその男の幸福や効用を著しく減少させる。だが爆弾が爆発すれば何千もの命が失われる。ならば一人の人間に激しい苦痛を与えても、それによって大勢の人々の死や苦しみを妨げるなら道徳的に正しいことになる。つまりここに多くの命という数が重要視されているわけだが、ひとつこの男が悪人であるという前提が関係してくる。

この要素は非功利主義的でありこの条件を排除するために、シナリオを変えてみる。たとえば悪人の口を割らせる唯一の方法が彼の幼い娘を拷問することだとしよう。それは道徳的に許されるだろうか? このシナリオはある作家の短編小説を思い出させる。


その子がその部屋にいること、いなければならないことを町のひとびとはみんな知っていた。
自分たちの幸福、町の美しさ、親密な友人関係、子供達の健康、豊かな収穫や穏やかな気候といったものまでが、その子のおぞましく悲惨な生活に全面的に依存していることを理解していた。もしその子が不潔な地下から太陽のもとへ連れ出されたら、それは実に善いことに違いない。だがもし本当にそうなったら、その瞬間に町の繁栄、美しさ、喜びはすべて色褪せ消えてなくなる。それが子供を救う条件なのだ。〜ル・グイン「オメラスから歩み去る人々」より

ベンサムの功利主義に対する反論である。つまりは多数の幸福のためであろうとも、ひとりの人権を侵害するのは、道徳的に受け入れられないということだ。
 
こぼれ話だがこのベンサムという方「死者が生者の役に立つには遺体を解剖学の研究に利用してもらうのが一番だが、偉大な哲学者の場合は肉体そのものを保存して未来の思想家たちにインスピレーションを与えるほうがいいはずだ」と防腐処理を施して自分の遺体をロンドンの大学に展示した。ところが学生たちが彼の頭を盗み出し身代金として慈善活動への寄付を大学に要求するという事件が起きた。
死してなおベンサムは最大多数の最大幸福を促進しているのである。
 
以上すべて「これから自由の話をしよう」からの抜粋です。
『哲学』を楽しんでいただけたら幸いです^^

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