ああ江戸川

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昨日は雪化粧でした。 今の江戸川は、昔は太日川といったみたいです。1020年(寛仁4年)に上総国司だった菅原孝標さんの娘というかたが、お父さんの帰任にしたがって、松戸の渡りで太日川を渡ったとか。吾妻鏡じゃなくて、更級日記に出ている話です。更級日記って、菅原孝標さんの娘というかたが書いたんですから、自分が出てくるのは当たり前かな。また松戸はその頃は「まつさと」と呼ばれ、馬津里と書いたらしいです。 渡り、渡しは「渡」とかいて「と」と読みますから、これが「戸」になって、「戸」の付く地名は、川を渡るための船着場や船渡しのあった場所が多いらしいです。 松戸は「馬津戸」かもしれませんし、柏の「船戸」なんて、そのままです。東京でも「青戸」(駅名は「青砥」ですが)はやはり、川の渡しのような場所。
♪連れて逃げてよ・・・の矢切の渡しも、昔は川を渡るためにはどうしても必要だったんです。
今みたいな橋は、昔はなかったんですね。 だから、矢切の渡しがあったのです。 江戸時代には、川に関所が置かれたことも(もしかしたら、もっと前も)ありました。 今は電車で、ほんの数秒ですが、昔は江戸川を渡るのも大変だったようです。 |





なるほど、です。今ヤマザキパンが工事やってる土手の上が市川関所跡らしいですね。
2012/1/25(水) 午後 0:23 [ 黄昏の自由人 ]
はなちゃん、こんぺいとう、あっちがった、こんばんは。
矢切の渡しの宿場町でもある松戸宿ですね。その昔、江戸時代はすぐに川を渡れるわけではなく、水かさが増すと何日も宿場町に逗留しなければならなかったようです。そしてそれを決めるのはお代官さまですから、渡しができないとなれば旅人や商人たちは幾日も宿場町に逗留することになります。つまり、町は儲かるわけで、悪代官と大黒屋の癒着なんていうのがあったとかなかったとか、あ〜ぁいまの日本と変わらない光景が見えてきそうです。
松戸宿は水戸街道の2つ目の宿場町でもあり時々水戸黄門にも出てきていましたし悪代官の話もあったがも。現代版水戸黄門さまでも出てくれればなあ〜なんて思っています。
ところで、松戸近くの宿場通り沿いに万満寺なんていう名前がちょっと呼びにくいお寺があります。江戸から駆け落ちした2人が立ち寄り「まんまん」だったりして!罰当たりコメントでした。
おしまい。
2012/1/25(水) 午後 6:24 [ なな ]
ななさん、コメントありがとうございます。
松戸宿で足止めになった場合、やっぱり不健全な遊びにふける人はいたでしょうね。
サイコロとばくとか、花札とばくとか。お姉ちゃんと何かするなど。あと麻薬?
それは行き過ぎですね。
万満寺で「まんまん」というのは、正しいです。「まんまんちゃん」は関西弁でお念仏の幼児語ですので。「おまん」でも、おまんじゅうの意味OKです。
オーメンですと、ドキッとします。なーんてね。
2012/1/26(木) 午後 0:38
黄昏の自由人さん、コメントありがとうございます。
市川の関所、あんな立派な門があったんでしょうか。なんか怪しいなあ。
水の門だけに、ウォーターゲート。なーんてね。
2012/1/26(木) 午後 0:45
あはは、それは事件だ!
場所も定かでないようですからね。
でも乏しい観光名所としては貴重でしょうね。
箱根の関所とはだいぶ違いけど。
2012/1/26(木) 午後 0:47 [ 黄昏の自由人 ]
私が高校のころは手こぎの貸しボートがあって試験の日の午後に来て乗ったものです。もちろんオクテでしたから彼女はいませんでしたよ。男子とです。
2012/1/26(木) 午後 0:50 [ 黄昏の自由人 ]
手こぎボートなんて、のどかですね。
今も河川敷で野球とかはやってますけど。昔のほうが、情緒があったのかな。
2012/2/2(木) 午前 9:33