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1990年〜1996年: これぐらいからアフリカを意識し始める。
特に、オートボルタ(Haute-volta)からブルキナファソの国名変更は、宗主国の
押し付け国名からの脱却だと喜んでいた。
1997年: 大学1年の時にH先生と出会う。
彼には、大学卒業後の今もいろいろ教えてもらっている。
この時、私はアフリカについての質問を彼にぶつけている。
1998年: H先生がコートジボワールのアビジャンに行くので、自発的に付いて行った。
その際、彼を心配させ、いたく疲れさせた。
その時フランス語も分からないのに、アビジャンのエールアフリック本社に行った。
後日、先生と一緒に行ったら、警備員に顔が覚えられていた。
2000年: 今度は別の先生がコートジボワールに滞在しているところに2週間お世話になりました。
世界銀行で資料が欲しいといったら「ワシントンにしかないわよ」と言われた。
この時は、エールアフリックの本社に2度行った。
世界銀行とエールアフリックの本社では、質問事項をレジュメにして持っていくという
非効率的な手段で質問をした。
エールアフリックでは、若い男性が私の代わりにフランス語を代筆してくれた。
98年に会った警備員と感動の再開をする(笑)
5日間ほど陸路でブルキナファソに行った。
往路は鉄道で30時間をかけて、アビジャンからワガドゥーグーまで移動した。
もちろんここでもエールアフリック詣でを欠かさず。
復路は、1日目はマイクロバスでワガドゥーグー〜ボボジュラッソ
2日目は、タクシーブルースでボボジュラッソ〜国境〜ワンゴロドゥーグー〜ブアケ
3日目は、バスでブアケ〜アビジャン
この2日目が一番大変だった。朝8時にボボジュラッソを出て、ブアケに着いたのは23時半
だった。原因は、ワンゴロドゥーグーで客待ちとコートジボワール国内で乗客が警官の賄賂
攻勢につかまったから。
この旅行ではいろいろな人に会えました。
特にブルキナファソのマッタリ〜とした雰囲気と国民性が好きになりました。
2001年:卒業論文をエールアフリックで無理やり書いた。
2001年〜2004年3月:アフリカ情勢に目を配りながら暮らしていました。
2004年4月:コートジボワール留学計画始動
2004年7月:仮入学許可下りる。
2004年9月:日本を離れ、コートジボワールで暮らし始める。
2004年10月:牛肉に火をよく通さなかったため食中毒になる。
2004年11月: コートジボワール軍がフランス軍兵士9名を殺したことによる騒動で4日間自宅で
缶詰になる。
この間、電子メールを日本に送りまくった。
フランス軍は9名殺害1時間以内に空港に駐機中のコートジボワール空軍機を報復
攻撃し、アビジャン市内の橋、空港、ホテルを占領した。
フランス軍はこの騒動の期間、コートジボワール人160名を殺害し、1000名が負傷した。
2005年1月:初ディスコ。
ADSL導入
こんな偏った歴史年表もないだろうなぁ。
(画像は昨年10月撮影、アビジャン市アボボ地区でサッカーゲームで遊ぶ子供)
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牛肉で食中毒か・・。日本ではありえないなあ。。学生時代、羊が好きで農学部じゃないのに羊の卒論を無理やり書いたのを覚えている。
2005/4/10(日) 午後 7:30
たぶんね。でもこの牛肉はスーパーで買ったものをもらってレア食べたんですよ。スーパーの肉はヨーロッパからの輸入品にもかかわらず当たったんです。しおみさんもなかなか強引なんですね。個人的には好きです(笑)
2005/4/10(日) 午後 7:36
牛肉に限らず肉類は、まず、10日間以上冷凍庫に入れ、低温で死ぬ菌をやっつけます。その後、中までよ〜く火を通して、高温で死ぬ菌をやっつけてからお召し上がり下さい。輸入品でも油断禁物です!!
2005/4/11(月) 午前 4:29
牛肉は市場でその日に買ったものの一部を食べ、残りはすべて冷凍します。一度当たってから牛肉もしっかり火を通してます。ただスジ肉だから硬いのが悩みです。
2005/4/13(水) 午前 1:04
友人がコンゴに赴任となり、家族を連れて4月に日本を離れました。 アフリカといっても広いし、これといった知識も薄いのでこれからいろいろと教えていただければなぁと思ってます。 どうぞよろしくお願いします。
2005/4/30(土) 午前 8:40 [ yumix01jp ]
コンゴはどっちのコンゴだろ?コンゴ共和国(旧フランス領、首都ブラザビル)、コンゴ民主共和国(旧ベルギー領、首都キンシャサ)と2つあります。家族連れでコンゴかぁ。大変かも。
2005/4/30(土) 午後 8:37