チリチリコグ、仙台、ラ・サール・ホーム、そして井上ひさしさんのこと
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ワタクシ、自慢じゃありませんが、外国に3度行ったことがあります。飛行機が大嫌いで、ひょんなことからウィーンに行っただけの「寅さん」とは大違いでしょう? 最初は邦画の宣伝に加担させられたオーストラリア、次は退職後のイタリア透析ツアー……忘れそうになりますが、もう一カ所、現役の地方紙記者時代に出張だか、慰安だかわからない理由で外国旅行へ行ってきました。その名はチリチリコグへ。
「チリチリコグって、どごっしゃ(どこですか)」と仙台弁で書けば、もうネタはバレバレでしょう。井上ひさしさんの小説『吉里吉里人』の舞台になった吉里吉里国のことです。小説が発表され、大ベストセラーになったのは1981年。ブームに便乗して全国あちこちにミニ独立国が誕生したものでした。
「吉里吉里」……その名は井上さんの創作ではありません。 岩手県大槌町 に実在する地名です。JR山田線に「吉里吉里駅」という名の駅が今もあります。当然のごとく、吉里吉里国はたぶん真っ先に「独立」を果たしました。私が取材に訪れたのはブームが過ぎ去った1990年でした。観光客などひとりもおりませんでした。ブーム真っ盛りのころは、この知る人ぞ知る程度の地区に観光客が詰め掛けたのだそうです。ばっかじゃなかろうか。小説はあくまでフィクション。海水浴場があるだけの地区に、観光客を喜ばす名所旧跡があるはずがありません。
そうと予想しつつも、ブームから10年近くたってから、のこのこ取材に行くほうもバカにほかなりません。駅名看板が2度も盗まれたという、その駅舎は月並みな切妻屋根の平屋。観光客をわくわくさせる駅前広場などないに等しかったのです。「観光客の受け入れ施設がない。『何もない』と言われるのが恥ずかしい。そう言う町民もいました」と、当時の町観光協会の職員が話したことを覚えています。
その際、移民受入声明書なるものをいただきました。「ゆめのさど ちりちりこぐ いみんうげえれせいめいそ」とルビをふった、その声明書には「どごのげえごくよりも、つがくなったんだあがら、まあ気軽に出がげて来てみでけだんせ。でえとうりょうてえぐうでおもてなすするのっす。来てけんろ」と、うたわれていました。あえて漢字に直しません。井上さんがもっとも輝いていたころの、懐かしい個人的思い出です。
井上ひさしさんが亡くなりました。きょう13日の朝刊を読んで、その扱いの大きさに驚き、しかし亡くなったばかりで不謹慎とはいえ、うれしくも感じました。なぜなら井上さんは私の中学、高校の先輩でしたから。日本の文壇とやらは、流行作家を軽視していたのではなかったかしら、エンターティンメントより純文学とやらを一段高みにおいていたのではなかったかしら……そういう思いは私の偏見だったようです。仙台に配達される朝日新聞では、一面が三段見出し(昔の四段級)、社会面と宮城県版がトップの扱い。さらには天声人語、文化面から社説にまで追悼記事が載っていました。まさに巨人、大作家の扱いといえます。手元に縮刷版がないので検証できませんが、美空ひばりや渥美清クラスを上回ったかもしれません。
井上文学ファンなら先刻ご存知でしょう。井上さんは山形県生まれですが、幼少期に父親を失います。ひとりで育ててきた母親が生活苦に陥り、 仙台市 の養護施設「光ケ丘天使園」(現ラ・サール・ホーム)に入園、そこで中学3年から高校までを過ごしました。私が同じ中学に入った10数年後、まだ日本は貧しく、当然のごとくラ・サール・ホームの子どもたちが少なからずいました。貧しいものはより貧しいものを蔑視しがちです。心のどこかで、ラ・サールの子どもたちを軽く見ていた自分がいました。勉強ができないやつばっかり……などと。ですから、井上さんのその後の歩みが驚異的に思えて仕方がありませんでした。
貧しい育ちで勉強する環境に恵まれていた、とは決して言えないだろうに、進学校に入学できたのはどうしてだろう。高校入学後に頻繁に映画館めぐりができたのはなぜだろう。授業料が安いはずがない、上智大学に進学できたのだって不思議でなりません。おそらくは周囲に井上少年の非凡さ、才能を認めた人物がいたからにほかなりません。
その辺の事情を、小説とはいえ、仙台の高校を舞台とした『青葉繁れる』や大学に入ってからの『モッキンポット師の後始末』などからうかがえます。『モッキンポット師の後始末』(講談社文庫)の巻末・自筆年譜に、次のような一節がありました。
「高校入学と同時に本格的に映画を観はじめた。(中略)映画代は孤児院の図書室の英語の本を持ち出して古本屋に売ったり、孤児院の修道士に『学校で要る参考書を買いたい』と言って貰った金を流用したりして捻出した。(中略)それにしてもこの孤児院の修道士たちは、よく出来た人たちだった。全身全霊をあげてわたしたち孤児たちを愛してくれた。おかげでわたしたちは普通の家庭の子どもたちよりもよいものを食べ、よいものを着て過ごすことができた」。
「この厚恩にどう応えてよいかわからなかったわたしは、洗礼を受け、彼等の仲間に加えてもらうことによってそれを果たそうとして、実際にそうした」……戦争を弾劾し、平和を求め続けた後半生の誠実極まりない生き方は、ラ・サール・ホーム時代に育まれたのかもしれません。
きょう、買い物の帰り、ラ・サール・ホームのそばを通り、しばし若き日のひさし少年を思い浮かべました。「全身全霊をあげて愛する」……暖衣飽食の今、親がいる、いないにかかわらず、そういう表現に包まれている子どもたちはさているのだろうか、と思いながら。 |
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トラックバックされた記事
井上ひさしさん逝く
2010、4、13(火)付 読売新聞「編集手帳」より全文転載 「鐵」という字を分解すれば<金の王なる哉>。「鉄」は<金を失う>。金運に恵まれる 「鐵造」さんが「鉄造」さんでは気の毒だ。よって<余は漢字制限に反対である>◆井上 ひさしさんの長編小説『吉里吉里人』(新潮文庫)で主人公の三文小説家が力説する。漢 字2字の対比の妙と、気取った口調に思わず頬のゆるむ場面だが、笑ったあとの胸には知 らぬ間に“宿題”が置かれている◆日本語論に限らず、政治、経済、世相、歴史――
2010/4/13(火) 午後 10:19 [ 読売新聞「編集手帳」に題名を付ける! ]
川西「井上ひさし展示室」オープン 寄贈書並ぶ「本の樹」も
川西町出身の劇作家井上ひさしさんの功績を紹介する常設展示コーナー「遅筆堂文庫井上ひさし展示室」がフレンドリープラザ内にオープンした。
2010/11/29(月) 午後 7:14 [ ローカルニュースの旅 ]






aka*9m*h*さん、お久しぶりです。
本日の読売新聞「編集手帳」も井上ひさしさんの追悼文でした。
トラックバックさせていただきましたが、もし目障りのようでしたら削除してくださって構いません。それで厚かましいお願いなのですが、こちらの記事を13日付けのわたくしのブログ記事にトラックバックしていただけないでしょうか。こちらの記事と合わせて読むとその追悼文もより味わい深く読めると思いますので。
勝手なお願いで申し訳ありません。
2010/4/13(火) 午後 10:17 [ チー吉 ]
チー吉さん、コメントありがとうございました。
トラックバックの件、恥ずかしながら私は一度も試みたことがありません。ネット上でその仕方を調べ、試行錯誤しましたが、結局わかりませんでした。
もし、チー吉さんの方で出来るのであれば、そうしていただけると助かります。
それにしても「編集手帳」子は相変わらず、うまいですね。引き出しの多さに驚くばかりです。
2010/4/14(水) 午後 5:02 [ aka*9m*h* ]
aka*9m*h*さん、厄介なお願いをして本当に申し訳ありません。今後の参考になるかもしれませんので、トラックバックの方法を説明しておきます。
1 ログインします。
2 トラックバックする相手先のブログを開きます。
3 トラックバックしたい記事のページにあるトラックバック欄の「URLをクリップボードにコピー」をクリック。
4 次の窓で「アクセスを許可する」をクリック。
5 「OK」をクリック。
6 ご自分のブログに戻り(相手先のページは画面から消えてもかまいません)、トラックバックしたい記事のページのトラックバック欄にある「トラックバック先を追加」をクリック。
7 画面左上に出る窓の中の四角の空欄にカーソルを置き、コントロールキーを押しながらVのキーを押す。
8 その窓の下にある「決定」をクリック。(「決定」が隠れて見えない場合は枠を広げます)
以上です。挑戦してみてください。もしうまくいかなければいかないで構いません。気になさらないでください。
お手数かけまして申し訳ありません。
2010/4/14(水) 午後 9:23 [ チー吉 ]
チー吉さん、挑戦してみました。うまくいったようです。教えていただいてありがとうございました。
昨日、私はネット上のトラックバックの仕方に従って試行したつもりでしたが、上記2、3、7の項目で混乱していました。うまくいかなかったのも当然でした。
2010/4/15(木) 午前 10:57 [ aka*9m*h* ]
aka*9m*h*さん、トラックバックどうもありがとうございました。お手数をおかけしました。
PCはときにストレスとなりますが、うまくいくと小さな達成感を得られますね。それにしてもヤフーのTBの仕方の説明はわかりづらいですね。
2010/4/15(木) 午前 11:07 [ チー吉 ]
還暦若造さん。わたしも井上ひさしさんの追悼文?をアップしました。わたしの場合は、下世話な感想です。読んでいただけると幸いです。
2010/4/15(木) 午後 8:43
imokoさん、追悼文を面白く読ませてもらいました。そういえば、私はすっかり忘れていましたけれど、前妻との間にいろんな話がありましたね。真偽のほどはわかりませんが。
2010/4/16(金) 午後 8:24 [ aka*9m*h* ]