「カーネーション」の次の「あさイチ」を見ながら、塩竈の復興を喜び、しかし、いまだ放射能汚染を危惧する視聴者がいることに唖然とし、そして日本の原発政策は閉鎖的過ぎるとあらためて思う。
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遅い朝食を食べながら、新聞2紙を読み、さらにNHKテレビの朝ドラ「カーネーション」をちらちら眺める……これが昨今のわが家の朝です。きょう9日はドラマの後の「あさイチ」とかいう情報番組をついでに見ていると、 宮城県塩竈市 の食べ歩きルポみたいなことをやっているではありませんか。私の住む仙台の隣町のような所ですから、見逃せません。
近海マグロの水揚げでは日本一の塩竈にふさわしく、市場でマグロのトロまでも試食させてくれるレポートに少々驚きました。番組出演者と同じように、私までうらやましくなりました。聞けば、この市場は一日いても退屈しないとか。車で30分ほどの近くにあるというのに、私ときたらほとんど行ったことがないのです。我ながら筋金入りの出不精にあきれ果てます。
感心したのはそこまで。視聴者からの質問コーナーに入って愕然としました。リポーターがおいしそうに食べたトロに刺激されたのでしょうか、「塩竈産の魚は安全なのですか?」という質問が紹介されたのです。「塩竈は、仙台よりも福島原発から遠いんですよ、福島県の漁港じゃないんですよ。原発被害などいつまで気にするんですか」などと言いたくなりました。
私が鳥取と島根の区別をよく知らないように、全国の視聴者は福島と宮城の違いが分からないのかもしれません。ならば全国の人々が東北の海産物の放射能レベルを心配するのもやむを得ませんが、もうそろそろ風評被害に振り回される、あほな消費者から卒業していただきたいものです。
「それもこれも東京電力のせい」と思い出すと、テレビで見る限り、どこか特権階級でもあるような態度を見せ、誠実には謝らないで特異な便法を繰り返す東京電力に対し、あらためて怒りがこみ上げてきます。ついでに言えば、原子力安全・保安院の閉鎖的な姿勢にも、納得できなくなりました。
保安院は、きのう8日、定期検査で停止中の関西電力大飯原発3、4号機について、ストレステスト(耐性評価)の1次評価の作業を終え、近く「妥当」とする審査書をまとめる、とのことです(9日付け朝日新聞1面)。そこに至るまでの専門家による意見聴取会のあり方が、私には奇妙に思われたのです。
テレビ報道によると、意見聴取会には、反原発運動に身を投じたことで有名になった俳優の山本太郎さんら反原発派が傍聴を拒否され、しばし保安院側ともめたようです。これは1月18日の会議の蒸し返し。なにゆえ、保安院は反原発の市民を締め出そうとするのでしょう? 東日本大震災以降、反原発は少なからず国民の共感を集めているでしょうに。この国のリーダーたちは「(このまま夏を迎えると電力不足から)日本経済の足を引っ張りかねない」(野田首相)という懸念から、できるだけ早く、原発を再稼動したくてたまらないようです。急速に盛り上がった反原発運動など、できるだけ無視したいのかもしれません。国民の多くは、もう福島原発事故直後の恐怖を忘れたかのようですものねえ。
結局、保安院は意見聴取会で意見が出尽くしたとみて「保安院の責任でとりまとめたい」と言及。近く正式な審査書をまとめる……と、朝日新聞は報じています。
こんな調子で、原発再稼動のレールが敷かれていいのでしょうか。むろん、私はガチガチの反原発派ではありませんから、専門家集団がそう決め、国が地元の同意を得られるのなら、それもやむなしと思いますし、心の奥底では原発再稼動ができないために電気料金が際限なく上がるのも困るなあ、と感じています。……とは言うものの、反原発運動にわが身の損得も考えず没入している若い人々を見ていると、「わが身さえ安泰ならいい」と保守に走りがちになっている己の日和見主義が情けなく思えるときもあるのです。わが身を棚に上げていえば、せめて、彼らに傍聴させるぐらいの度量が国にあってしかるべきではないでしょうか。
きょう9日付け河北新報21面「ズームアップ」(東京新聞配信?)が、ジャーナリスト政野敦子さんの取材・体験を基に、日本のお役所会議の「傍聴者締め出し」「ずさんさ」などについて、鋭く追及しています。政野さんは米原子力規制委員会を傍聴した経験から「米国ならあんなこと(傍聴を認めず締め出すこと)は考えられない」と断言しています。
米国では「無秩序な行動」や「約46センチ以上の横断幕やポスターの掲示」などがあった場合に「退出させる可能性がある」と厳格に決めているのに対し、日本の傍聴規定はあいまい。保安院側の考え方次第でいかようにもなるようなのです。「1人か2人騒いだことを理由に全員を締め出すのはおかしい。きちんとしたルールがないからこうなってしまう」と、政野さんは言っています。
さらに、このページでは、意見聴取会・専門家会議の委員ふたりが原子炉製造メーカーから多額の寄付を受けていたこと、日本政府が東日本大震災関連の15の会議のうち10会議で議事録を作成していなかったことなどに触れ、「米国ではあり得ない」「米国とは大違い」と糾弾しています。
こうしてみると、米国は「腐ってもタイ」、いまだに民主主義の手本と言えるのかもしれません。さまざまな法律で情報公開の徹底が担保されているのですから。それに比べ日本の情報公開は、民主党政権になっても少しも改善されないとは何たることでしょう。
福島原発事故は、誰も責任を取らない国・日本の矛盾をあぶり出しました。例えば、SPEEDIによる放射性物質の拡散シミュレーションの公開が遅れた問題は、いまだ責任の所在がはっきりしません。避難先が汚染されていたなどという不利益を受けた福島の人々は、責任追及の矛先を誰に向けたらいいのか分からない事態です。
致命的な過失を犯したのなら、次はもっと進んだ国に倣って情報公開を進めるべきでしょうに、相変わらず「傍聴者締め出し」なんてことをやっている。今は山本太郎さんらにエールを送りたくなるのも当然な国のありようではありませんか。 |

