病床軟弱

いつの間にやら還暦プラス4。地方紙在籍34年。透析歴18年。無職浪人歴6年。世に無駄話のタネは尽きまじ?

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フェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が新聞広告になった、と思いきや……。

 広告は「鬼面人をおどかす」のが常套ですから、びっくりさせられるのは慣れているとはいえ、きょう5日付け朝日新聞の全ページ広告にはうれしい驚きを感じました。私がもっとも好きな絵画のひとつフェルメールの「真珠の耳飾りの少女」が拡大されて載っていたからです。しかも、私の持っている、よく見ればひびだらけの印刷物より、はるかに精密に。17世紀オランダが生んだ傑作が「生まれ変わったのか」と、一瞬思ったほどです。
 
 むろん、これは私の錯覚、いや冗談。よくよく見るまでもなく、鼻の高さ具合からして東洋人のお顔、日本人らしきタレントさんが「真珠の耳飾りの少女」そっくりに扮しています。東京・上野の東京都美術館で6月末に開幕する「マウリッツハイス美術館展」の前宣伝だったのです。芸能情報に疎い私には、このタレントが誰なのか分かりません。ページをめくるうちに回答記事を35ページの社会面に見つけました。女優の武井咲(えみ)さん(18)という方なのだそうです。
 
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 「耳飾りの少女」に日本人が扮してみる……これはいつぞやNHKBSで放送された「極上美の饗宴」からヒントを得たのかもしれません。その番組は写真家・篠山紀信さんが絵画そっくりに撮る、という趣向でした。モデルを替え、証明を替え、さまざまな試みをしているうちに、これぞ篠山版「耳飾りの少女」に選ばれたのは、奇しくもオランダの血を引く方だったのです。発想の面白さに加え、オチまで付いて「さすがNHK、低予算であろうBSでも手抜きはない」と、いたく感心したものでした。
 
 写真どころか、映画からもヒントを得たのかもしれません。2003年制作「真珠の耳飾りの少女」(英=ルクセンブルク)には、今をときめく女優スカーレット・ヨハンソンが少女に扮しました。フェルメール家の小間使いになった主人公が、画家から「絵のモデルになってほしい」と頼まれ、それが画家の妻の嫉妬を招き……といったストーリーは、かなりの部分創作なのでしょうし、映画としては特段の傑作とも言えないでしょうが、何はともあれフェルメール好きの私には珠玉の一本となりました。
 
 今回「耳飾りの少女」に扮した武井咲さんという女優さんを、私は全く知りません。知らないけれども、全ページ広告を見る限りは、本物の絵よりも親しみのもてる笑顔を浮かべているように、私には見えます(日本人が欧米人より日本人の美少女に親しみを感じるのは当たり前でしょうが……)。では、すぐにファンになったのか、と問われれば、答えは「保留」としか言いようがありません。
 
 「真珠の耳飾りの少女」は、私にとっては「モナリザ」に並ぶ傑作です。「耳飾りの少女」に扮した限りは「極上美」を永遠に体現してほしい……勝手な言い草でしょうが、ゆめゆめ妖艶な大人の女にはなるな、と言いたいのです。少しトウが立つと、次々に忘れられる現代日本の芸能界において、清純無垢のままでいることは不可能に近いことでしょう。おそらくは、武井さんも「耳飾り少女」には似ても似つかない役柄を強いられるときが来ることでしょう。将来がっかりしないよう、まだファンにはなれない、といった気分です。
 
 それと言うのも、映画版「耳飾りの少女」のS・ヨハンソンのその後の主演作を見ると、ベッドシーンあり、ヌードシーンあり。そしてプライバシーの交遊録などを見聞きしているうちに、私の「耳飾りの少女」は結局、絵画の中にしかいない、と気付かされたからです。
 
 「美少女よ、永遠に清純であれ」と願うのは男のエゴと知りつつ、武井さんという魅力的な女優さんの行く末が気になる広告ではありました。開幕したら、必ず会いに行く、と心に誓いつつ。
 
 
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 「耳飾りの少女」に扮した女優さんに敬意を表して?わが家の花を再度……。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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『あんぽん』と呼ばれたソフトバンク・孫正義さんと、映画「にあんちゃん」との不思議な因縁

 東日本大震災後、反原発に乗り出した孫正義さんに共感を覚え『あんぽん 孫正義伝』(佐野眞一著・小学館)を読みました。題名がなぜ「あんぽん」なのでしょう? 子どものころに在日差別を受けて「あんぽんたん」とでもからかわれたのでしょうか? その程度の先入観を抱いて読み出して、驚いたことがふたつ、三つありました。
 
 子どものころの孫さんは、いや父親は、と言うべきでしょうか、通名「安本」を名乗っていたのだそうです。「安本」だから、あだ名が「あんぽん」。むろん差別感情を込めた「あんぽんたん」を含めてのあだ名でしょうけれど。
 
 さらに、読み始めてすぐ意外なことに気付きました。今村昌平監督の初期の傑作映画「にあんちゃん」(1959年日活)との不思議な因縁を教えられたのです。ああ懐かしい「にあんちゃん」。封切当時、私は11歳。その題名をいまだに印象深く覚えていますから、きっと学校の映画会あたりで見たのでしょう。その原作者・10歳の少女もまた「安本」姓である在日だったことに、「あんぽん」を読んで初めて知ったのです。
 
 24日の透析日、久しぶりに映画「にあんちゃん」を見ました。――ときは昭和28年、佐賀県の小さな炭鉱町。炭鉱事故などによって父母を失い、4人だけとなった安本きょうだいは極貧生活を強いられる。長門裕之演ずる長男は炭鉱を首となって職を転々……。松尾嘉代の長女も出稼ぎせざるを得なかった。残った「にあんちゃん」と末子の「私」は、父親の友人(日本人)宅に預けられたが、そこも貧しいことには変わりなく、飛び出したり、アルバイトや子守りをしたりして、なんとか生きていくのだった……――。
 
 こう書くと、お涙頂戴のセンチメンタルな児童映画と間違われそうですが、今村監督は一切の感傷を廃し、リアリズムに徹しているのです。「にあんちゃん」のたくましい明るさ、妹を叱咤激励して誇り高く生きていくさまは、見るものを安堵させ、感動させてくれます。
 
 繰り返しますが、主人公のきょうだいは、「安本」という通名で通していますが、ルーツは朝鮮半島にある在日です。周囲の重要な人物、例えば強欲な金貸しを演じる北林谷栄も、ちと不可思議なキャラクターの小沢昭一も、ぎこちない日本語を操る在日なのです。さらに、その周囲にいる保健婦や教師ら日本人たちは(子どもたちは別として)一点の差別感情を持っていないように描かれている……私はそこに驚きを禁じ得ませんでした。 
 
 半世紀前の日本人の大人たちが、在日を差別せず、むしろ親を早くに失った在日をあたたかく励まし見守るなんてことがあったのでしょうか。あったとしたら、当時の日本は極貧にあったとはいえ、今よりずっと健全な社会だったのかもしれません。平和憲法を揶揄、批判するようなやからはほとんどいなかったのでしょうから。
 
 映画「にあんちゃん」の舞台も、孫正義さんの故郷も佐賀県ですが、私が子どものころの仙台にも在日の人々が暮らした地域がありました。差別的言語をあえて使えば「朝鮮部落」と呼んでいたように記憶しています。そこでは残飯をえさとして豚が飼われ、どぶろくが密造されていたはずです。不衛生かつ違法状態の彼らを、大人はもちろん、私たち子どもまでが差別したことは否定できません。
 
 こうした感情は、韓流ブームが起こる以前に生まれた者には、大体共通した認識でしょう。「冬のソナタ」が大ヒットし、ペ・ヨンジュンが日本でも大スターになったころ、周囲の男たちは「なんで『ペッ』なんてやつがもてはやされるのだ」と憤慨していたものです。仙台に本社のある某社が急成長し、今や大企業になりつつある、その社の経営者の話題になった際、元経済担当の後輩記者から意外なひと言が漏れたこともありました。「彼は在日だからな」。在日だから、どうだと言うのでしょう。私たちの世代は、それ以上言わなくとも、意図することは分かったのです。在日だから、私たち純?日本人とは違う、と言いたげな……。
 
 「あんぽん」を読んで、孫正義さんが予想通り桁外れの度量とアイデアを持った人間であることが納得できました。ソフトバンクグループが飛躍し、日本を代表する企業のひとつに数えられることも納得できました。孫さんは後に、かつての本田宗一郎や松下幸之助らと比肩される傑物かもしれません。にもかかわらず、今日の日本のネット社会では、孫さんへのねたみとも思える批判や、在日差別が渦巻いているのです。彼は1990年に帰化しているというのに。
 
 そして、東日本大震災の被災者に百億円の義捐金を寄付したり、10億円のポケットマネーを供出して自然エネルギー財団設立を表明したというのに。それらが誠心誠意この国と被災者を救うためなのか、あるいはスタンドプレーなのかは、今後私たちが注視していけばいいだけの話だというのに。
 
『あんぽん』の著者・佐野眞一さんは最終章でこう書いています。
 
 「孫の糞尿と密造酒の臭いが充満した朝鮮部落に生まれ,石を投げられて差別された在日の少年は、いまや日本の命運を握る存在にまでなった」
 
 「だが、ネット上では相も変わらず『在日は早く朝鮮に帰れ』といった差別意識むき出しの罵詈雑言が蔓延している。この国は、孫正義少年を陰で『あんぽん』と呼んで白眼視した時代と何も変わっていないのではないか」
 
 「にあんちゃん」に描かれたヒューマニズムあふれる日本人はどこに消えたというのでしょう? 
 
 
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 この時期の仙台、庭は花少なく、寂しい限りです。代わりにハボタンと沈丁花の今を……。沈丁花のバックに写るのは、前日の雪です。

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「フェルメールからのラブレター展」が今、仙台で開かれています。ラブレターを読む女、書く女の何と美しく、真剣なことか! メールで済ませようとする、あなた達に恋する資格はないかもしれませんね。

 「どんな絵が好きか」と問われれば、若い頃なら「ゴヤ」と答えたでしょう。戦争あり、革命あり。シニカルな告発あり、反権力あり……その絵には、激動の時代を生きた画家の熱情が溢れんばかりに描き出されています。反権力のポーズを取りたがる青臭い記者には、ゴヤの生き方がまぶしく写りました。
 
 年を取るにつれ好きになったのは、フェルメールです。もう闘えない(こう書くと大げさですが、何も「権力と」でなくともいい、例えば「病魔と」でも)闘う必要もない年頃になると、血みどろの抗争とは無縁のフェルメールの絵が好ましく思えてきたのです。
 
 フェルメールが仙台にやって来ました。それも3点も。世界に30数点しかない作品のうち、なんと3点が来たとなれば、いかに出不精の私でも、宮城県美術展で開かれている「フェルメールからのラブレター展」に駆けつけなければなりません。なにせ世の中には、その作品数の少なさ故に『フェルメール全点踏破の旅』(朽木より子)とか『恋するフェルメール 37作品への旅』(有吉玉青)などの本が示すように、フェルメールのすべてを実際に見る人もいるのです。
 
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 今回の展覧会は京都(終了)、仙台(12月12日まで)、東京(12月13日から)だけで開催されます。東北・仙台で開かれるのは、偶然にせよ東日本大震災と無縁ではなくなりました。「素晴らしい作品の数々が、大災害で傷ついた人々の心深くまで響き、希望の光を届けてくれる」「被災者の方々へ少しでも慰めをもたらしたい」という、貸し出し側の願いが込められているからこそ実現したのでしょう。欧米で盲信されている放射能被害を考慮すれば、福島も仙台も同じ、そんなところに絵画の至宝を貸し出せない、となっても不思議ではありませんから。
 
 私が訪れたのは平日(17日木曜日)の午後でした。今はまだ美術鑑賞などする気になれない人も多い、さぞやガラガラだろう、と思いきや、駐車場は満杯。ロビーもポスターをケータイで写そうとするオバサマたちでいっぱいでした。
 
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 「日本人はフェルメールが好き」という世評を裏付ける混みようです。フェルメールの何が、人々を惹きつけるのでしょう?
 
 著作権の制約があるでしょうから、たとえ、たかがブログといえども作品そのもののアップはできないのかもしれません。会場は、撮影が許されない以上説明しにくいのですが、フェルメールと同じ17世紀のオランダの画家たちの作品がまるで前座のように続いた後、フェルメールが現れる構成になっていました。最初に一枚目のポスターにある「手紙を書く女」(1665年、ワシントン、ナショナル・ギャラリー)が目に飛び込んできたときの喜びを、何と表現したらいいでしょう。
 
 上着の光沢のあるサテンとトリミングの毛皮の柔らかさ。髪飾りや耳飾りの真珠、椅子の鋲に反射する光……本物より本物らしく、そして本物より美しく、精緻な描写はとても人間が油彩で描いたとは信じられません。画家の妻らしいモデルの美しさ、愛らしさが暗闇から浮かび上がってきます。後述する「「真珠の耳飾りの少女」(65〜66年)と並んで、私のもっとも好きな女性像となりそうです。
 
 もっとも、今回の注目は、二枚目のポスターに載った「手紙を読む青衣の女」(63〜64年、アムステルダム国立美術館)に集まっているようです。今春修復を終えたばかり。オランダ国内に先駆けて日本で公開されたのです。私の持っている、ふたつの「フェルメール画集」と比べると、女性が着ている上着が本来の鮮やかな青の輝きを取り戻しています。フェルメール作品の多くに見られる「フェルメールブルー」の象徴のような作品なのかもしれません。鑑賞後、売店で買った複製は以前のものらしく、修復後の「青」は感じられませんでした。
 
 「青衣の女」はさて、誰からの手紙を読んでいるのでしょう? 展覧会の解説で初めて、その謎を知りました。「背景の地図は恋人の不在をほのめかすモチーフ」「船上や海外で働かざるをえないオランダの男たちにとって、安否を伝える手紙は必要だった」「アジアへの手紙は商船によって多くの月日を運ばれ、差出人が返事を受け取れるのは、少なくとも2年先のことだった」
 
 フェルメールが生きた17世紀、オランダは東インド会社を設立するなどして「オランダ海上帝国」を築き、繁栄を謳歌しました。恋人たちの多くは、洋の東西に分かれ、手紙だけを唯一の絆として交わしていたのかもしれません。そういう視点から見ると、もしかして2年ぶりの恋人からの便りを食い入るように読む「青衣の女」の心情が、私たちにも伝わってきます。その時の手紙の重みは、今のメールの何万倍もの価値があったことでしょう。
 
 フェルメール3番目の作品は「手紙を書く女と召使い」(70〜71年、アイルランド国立美術館)でした。残念ながら、アップできる映像はありません。手紙を書く女の床に、しわになった手紙が落ちています。それへの返事を一心にしたためている女主人。手紙が出来上がるのを待ち続ける召使い。同一空間にいながら、ふたりの女の思いは別々なのでしょうか。背景の壁に描かれた「モーセの発見」の物語を含めると、「青衣の女」の返信は、なんらかの溝を埋めるための和解の手紙かもしれないそうです。描写の見事さは言うに及ばず、絵が投げかける奥深さもまた楽しいものです。
 
 今回鑑賞した3作品に限らず、フェルメールの絵は、どれもが誰をも魅了する傑作なのでしょう。手紙を書く、楽器を弾く……といった風俗を描いた作品が多いのですから、見る者の心にさざ波をたてることはありません。時代と洋の東西の違いはあれども、今日の日本人が見ても、まずはその精緻な描写に打たれ、見続けると浮かび上がる庶民層の悲哀や喜びに静かな共感を覚えずにはいられません。
 
 私も全品踏破の旅に出かけたくなるけれど……、健康ならばそれも不可能ではない時代になったけれど……とりあえず好きなフェルメール3作品の複製を見て我慢することにしました。
 
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 これくらいの引用は、著作権法に違反しないだろうと、勝手に解釈してアップしました。もう説明不要でしょうが、右から「手紙を読む青衣の女」「手紙を書く女」「真珠の耳飾りの少女」です。この中で、もっとも好きなのはやはり「真珠の耳飾りの少女」でしょうか。
 
 今をときめく女優スカーレット・ヨハンセンが少女を演じた映画「真珠の耳飾りの少女」(2003年)の影響があります。今年の夏、NHKBSプレミアムで見た「極上美の競演 シリーズ美女『真珠の耳飾りの少女』」も忘れられません。その番組は、写真家・篠山紀信さんが写真による再現を図るというものでしたが、篠山さんが選んだモデルは偶然にもオランダの血を引く、日本のお嬢さんだったのです。ヨーロッパや日本で、絵に触発されて映画や番組がつくられたということは、世界中でこの作品が愛されているという証左かもしれません。
 
 オランダ・ハーグに飛べば、この作品は見られます。透析患者である私には、もう不可能でしょうけれど。ハーグに行けたとしても、観光客であふれているだろう美術館の行列に並べるだけの気力は起きそうにありません。
 
 本物と対面することはもはや不可能と思っていたら、先日の朝日新聞に驚くべき吉報が載っていました。来年6月、東京で開かれる「マウリッツハイス美術館展」に出品されるというのです。同美術館が来年、改修、休館されるに伴って、日本に貸し出されるそうです。幸福な時代に生きたものだと、つくづく思います。この少女を見ることができれば、私はフェルメールを上記のほか、2007年来日の「牛乳を注ぐ女」を含め計5作品見たことになるのです。そして、フェルメールが愛され続ける限り、戦争とは無縁でいられるような気がするのです。
 
 かくて来年6月までは死ねません。いや、毎年のようにフェルメールが日本に来れば、全品踏破も10数年かけて実現しそうじゃありませんか。透析を理由とした出不精は、そろそろ改めなければなりません。
 
 

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女優「杜けあき」をご存知? 芸名の由来となった「杜の都・仙台」のシンボル「定禅寺通のケヤキ並木」を紹介しましょう

 久しぶりの夜遊びの影響は、2日後に出るのでしょうか。きょう6日は朝から何となく元気がなく、気分がぱっとしません。本来は食事と水分を制限しなければならぬ透析患者というのに、料理は一人前、酒は日本酒を2合以上飲んだせいかもしれません。それにしても、疲れが翌日ではなく、2日後に出るというのは、重い運動をしたときと同じで、老化を感じてしまいます。従って、きょうのブログも素人写真による穴埋めです。
 
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 杜の都・仙台のシンボルともいえる定禅寺通のケヤキ並木です。1日の「立川談志一門会」会場に行く途中に撮影しました。「杜の都」とは戦前から言われているのですが、このケヤキ並木は仙台空襲を受けた戦後に植えられたもの。厳密な意味ではシンボルとは呼べないのですが、今やビルの5、6階に到達する大木ですから、仙台の象徴のように扱われているのです。仙台市出身の女優「杜けあき」の名に使われたことでも分かるでしょう。
 
 春の新緑はそれはそれは見事なもので、山ではなく街の中へわざわざ「新緑」を見に行く人は少なくありません。夏は日差しを和らげ、秋はそこそこ紅葉と落葉を味わえる。冬は「光のページェント」というお祭りで賑わいます。
 
 上の写真は、30年前の中古レンズの性能試験でもあります。F1.2と大変明るいレンズで、夜のケヤキ並木がどれだけ撮れるか……。期待はずれでしたね。ピントが甘いのは、私の責任だとしても。「望遠レンズがほしいよ」病がおさまりつつあるのに、今度は「明るいマイクロフォーサーズ・レンズがほしいよ」病気がかま首をもたげてきました。夜遊びすると体調不良と、ぼやく半病人が、そんなに夜景撮りに出かけるはずがないのに……。まだ発売されていないのが幸いでした。
 
 この定禅寺通に、以前紹介した「彫刻のあるまちづくり」シリーズの作品があります。
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 左の写真が、エミリオ・グレコ作の「夏の思い出」。永六輔さんが昔のラジオ番組で「仙台にはエル・グレコの彫刻がある」と言ってしまったものです。
 
 20世紀、イタリア出身のエミリオと、16―17世紀、スペインなどで活躍したエルとは大違いです。
 
 とは言うものの、昔、仙台市政記者クラブにいた私にとっては思い出深い彫刻であります。記憶はあいまいですが、除幕式の取材をしたような気がするのです。
 
 身の恥を晒せば、市職員だった女房殿と知り合えたのも、その記者クラブにいたせいでありました。幸運か不運か、どちらか分かりませんが、私は悪名高い記者クラブ制度を全否定はできない立場にいます。
 
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 そこから少し歩くと、見えてくるのがヴェナンツォ・クロチェッティの「水浴の女」。この人も20世紀、イタリアの巨匠です。これも取材した記憶あり。地方都市でも、海外の巨匠らの作品を買えた、古きよきバブルの「思い出」でもあります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 少しアップしてみましょう。夜だから恥ずかしくない、接近できました。
 
 
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 なかなか魅力的なボディーでしょう? イタリア・ベローナにある「ロミオとジュリエット」の「ジュリエット像」は胸に触れると恋に恵まれるというので、観光客が触れまくりますが、こちらではそんな伝説はありません。「夏の思い出」にせよ「水浴の女」にせよ、健康美にあふれた女性像は魅力的です。
 
 …というわけで、この2つの女性像の間に、もう一つの彫刻、男性像があるのを、私は通り過ぎてから気付きました。男性像に魅力を感じない、というわけではありませんよ。「談志一門会」の開演が近づいているので、戻れなかっただけです。ジャコモ・マンズーの「オデュッセウス」です。やはり20世紀のイタリア人作家。ローマ帝国の遺産は脈々と引き継がれているようです。
 
 私は地方紙で駄文を書いて、生きてきました。この「彫刻のあるまちづくり」でも夕刊トップで、おふざけに満ちた作文を書きました。「仙台のシンボル・定禅寺通にイタリア人彫刻家の作品が3つ、人呼んで『イタリア通』と呼ばれつつある」と。ひとりかふたりはそう呼んだかもしれません。大衆には通用しません。残念ながら「イタリア通」は定着しませんでした。
 
 しかしながら、仙台とイタリアの関係はそれ以降、深まったような気がします。街にイタリアンレストランが増えましたし、2002年のサッカーW杯日韓大会で、イタリアは仙台をキャンプ地に選びました。そして私の中の「イタリアへの憧れ」は、これら彫刻群を通して、ますます膨らんだような気がします。退職後、イタリア透析ツアーに参加したのはその現れでしょう。もう一度、透析ツアーに行けるとしたら、まだ見ぬ外国ではなく、またイタリアだっていい、とさえ思っています。
 
 こうしてケヤキ並木は、仙台のシンボルとなりました。定禅寺通から北へ10キロ超。わが団地の街路樹もケヤキです。
 
イメージ 5 この団地ができた30年前、新住民はケヤキ並木を誇りに感じたはずです。シンボルが植えてあったのですから。
 
 苗木のころは、住民も若かった。一緒に成長したようなものです。しかし今は……。
 
 今年初め、町内会の班会議に出席して愕然としました。「ケヤキを何とかしてほしい」「落葉の掃除が年々大変になっている」「若かった頃はよかったけれど、私たちも年をとってしまったからねえ」「できれば伐採し、違う樹木を植えてほしい」……こんな意見が少なくなかったのです。
 
 「そりゃあ、あんまりだ。人間の都合で切られちゃあ、ケヤキがかわいそうでしょう」と、私は言いたかったけれど、町内会活動はこれまで女房殿任せ、私は異邦人みたいなものですから、小さくなって聞いていただけでした。
 
 こんな希望が多かったからでしょう、仙台市はさすがに伐採こそしませんでしたが、先月から今月にかけ、団地のシンボル・ケヤキを写真のように強剪定しました。ケヤキを痛めつけているように見えて仕方ありません。
 
 今秋の紅葉は期待できそうにありません。枯葉掃除は楽になるでしょうけれど。人間って、ほんとに勝手な動物です。人間がいなくなったって地球は一向にかまわないし、むしろありがたい。街路樹とはいえ自然がなくなれば地球は悲しみ、人間もまた衰える……。大きくなりすぎた街路樹はありがた迷惑なのか、否か。団地の高齢化はこんな笑えぬ笑い話をも生んでいるのです。

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「詩人」の葬儀に参列して。

 己に詩心、絵心がないせいか、自らを「詩人」や「作家」、「アーティスト」などと名乗る人物に偏見を抱いています。病を得てハードな仕事ができなくなり、新聞社の中では比較的楽な学芸部に移動させられたときは惨めでした。私に言わせれば、自称「アーティスト」や「詩人」らが仕事の主な対象になったのですから。そのころ書いた雑文記事は思い出したくもありません。
 
 思えば、私も文学青年を気取っていたころがあり、そういう仕事をぼんやりと夢見ていたのに、食うために会社人間を選んでしまったのです。「詩人」や「アーティスト」に会うたびに、心の底で「コイツは本物かしらん」と思ったものでした。彼らに偏見を抱くのは、己の浅学菲才を棚上げした妬み、コンプレックスだったのでしょう。
 
 きょう12日午後、「詩人」の葬儀に参列してきました。私にとっては会社の先輩、入社して配属された整理部で新聞編集のイロハを手取り足取り教えてくれた方でした。彼は自ら「詩人」と名乗ったでしょうか。40年近く前のことですから、記憶は薄れていますが、おそらくそう自称することに恥じらいを感じるタイプではなかったでしょうか。誰かが「彼は詩人なんだよ」と教えてくれたのではないか、と思います。私には詩の良し悪しは分かりません。しかし、彼が考えた見出しの下書きは、詩のように美しかった。どんなに忙しくとも、彼が紡ぎ出す文字は美しかったことを覚えています。昔も今も、自筆の文章は乱筆乱文の私とは大違いに。
 
 「詩人」と知って、間もなく彼の詩集をいただきました。「冷やかしじゃないよね」「ほんとに読んでくれるんだよね」といった感情がこもっていたのではないでしょうか。「償い得ない時間のエスキス」という題でした。恥ずかしながら、その「エスキス」が私には分からなかった。辞書で調べて納得した記憶があります。なるほど、詩人と呼ばれる人は、安直な言葉を選ばず、絶えず最もふさわしい言葉を探し求めて詩を紡ぎ出すのか、と感心したものでした。時間に追われるあまり、粗製濫造が当たり前の?新聞社の文字世界では異色の存在だったかもしれません。新聞記者にも、世間が認める「詩人」「作家」がいることを、後に知りましたが。
 
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 葬儀は曹洞宗に基づく、失礼ながら平凡なものでした。現代詩人らしき突飛な仕掛けはありませんでした。若い僧侶の読経の中に彼の経歴や人となりを示す文言があったようですが、何しろ妙な旋律?が付いているものですから分かりにくい。晩年、宮城県詩人会会長、全国詩人会の役員なども務めたのですから、弔辞もさぞや「詩人」にふさわしいものになる、と思いきや、残念ながら「詩人の詩人による詩人のための」弔辞は、私の耳には届きませんでした。私が聞きたかったのは、彼の一編の詩、若い日にいただいた詩集からどんな飛翔をしたのか、晩年にどんな言葉を紡ぎ出したのか……でした。
 
 それが聞けない。ならば「償い得ない時間のエスキス」を、またひもとくしかない。帰宅後、書棚を探しました。ありません。ないどころか、著名詩人のものでさえ、詩集と名の付く本は20冊に満たないことに、改めて気付きました。元「文学青年」を名乗る者にも、世の人々は偏見を持つべきでありましょう。どうやら昨年、書棚を大量整理した際に、大切な先輩の魂の響きともいうべき詩集をも処分コーナーに回したようです。何たる恩知らずでしょう。心底「詩人」という存在に憧れながら、しかし一編の詩も世に残せないがゆえに、今も偏見と嫉妬を抱いているのかもしれません。
 
 
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きょうの写真にはあえて説明をつけません。
詩心を喚起するために。
 
 
 
 

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開設日: 2008/2/21(木)


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