私の自分史・発表します。。
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自分史
人が旅立つ時に、安らかにに旅立てる… それは、その人の心がどこにあるのか… 穏やかに旅立つ時… 「家に帰りたい」そう心に思いながらも、たった一人部屋で、旅立つ方を何人も看てきた。 穏やかに亡くなる方、最後まで、憎しみを持った様な顔で亡くなる方… いろいろ看てきた。これって何だろう… 心…その方の心…心がどこにあるのか… 心は家でなくてもいい。施設の中に安楽である心があってくれてもいい。 私は忙しい現場で、何をしてきたんだろう… 心を看てあげる事が出来なかった。 17年間、母を介護してきた。そして母と離婚をしていた父さえ、私は看取る事が出来なかった。両親とも病棟勤務の次の方への私の申し送り中に亡くなってしまった。 父との最後の会話は「ああ、あけみが御風呂に入っているからお姉さん待っててね…ちえ(母)、いるか?」 あけみは、ここにいるよ。お母さんは動けないじゃない。…でもジージいい顔してるね。父が脳拘束で認知障害になった時に、病棟の配慮で同室にいれて頂き、幸い母は、植物状態。父は、いつも母の手を握っていて、経管栄養の母に、よく飴玉をあげようとしていて、病棟のスタッフを困らしていた。 母は家で、転倒し骨折し入院、そして、二度めの脳内出血で管に繋げれ、植物状態が続き1年し、亡くなった。永い介護生活。私なりに必死だった。亡くなった両親をみても涙は出なかった。 S56年、私に長男が生まれた…可愛かった。今までは自分の命が一番だったのに、子供というのは、もし、心臓移植が必要だったら、替わってもいい程の存在である。 そして次男が生まれた。 たった一日の命だった。私はその次男が亡くなった場をみていなかった。 死が信じられなかった。亡くなった日、私は、呼吸が少なくなり酸素をしていたが、医者の許可もなく、次男の姿を見にいった。冷たかった。抱く事が出来なかった。私の腕の中であの世に旅立たせてあげたかった。今でも次男の事は忘れた事はない。思い出すと、どうして、いつまでも涙がでるんだろう。 そして、再び妊娠し、私は外科病棟で、患者さんの心マッサージを続けていている時、腹痛が来た。妊娠4ヶ月目。出血し、即入院で、ベッド上安静の身となった。 暑い6月…トイレにいきたいけど行けない。押せないナースコール。勇気をだして呼んでみた。「ちょっとお待ち下さい」辛いな…こわい看護婦さんだ。もうナースコール出来ないから、自分でトイレにいっちゃえ! …そこに看護婦さんが来て、「あなた、ベット上安静が守れないから、バルンカテーテル入れます」そして私はベットにしばられる日々が続いた。体も汗で一杯で、入浴もしたいけど言えない。主人が毎朝のようにタオルを絞って持ってきてくれた。でも一日が永い。夜が永い。寂しい。 こんな事続くなら、もう子供はいらない。そう思ってしまった。 ある日、お腹が異常に大きすぎる。オカシイ…エコーをし、双子と診断された。 双子?…敏樹(次男)が生き返ったかもしれない。辛くてもたえなくっちゃ… そして8ヶ月目に入った7月30日・二人の女の子が私の子宮を破って足を出してきた。 1370と1780g、二人共仮死状態。うぶ声をあげる事が出来なかった。 又、命が亡くなってしまったら辛すぎる。二人は人工呼吸機に繋がれ、2ヶ月をすごした。3ヶ月め人工呼吸器が外されたが、時々、呼吸が止まり、絞った御乳を飲む事も出来なかった事があった。どんな障害があてっもいい、ただ生きていてもらいたい。 双子が生まれた1週間後、母が静岡で脳内出血で倒れた。 意識がなかったがかすかに動く左上下肢。24時間の付き添いが必要と言われた。 まだ、産後でべッドからやっとで離れた私が付き添い?まだ足がふらふら。双子が気になる。3才になる長男だっている。 でも母を置いて返れない。24時間付き添い介護を開始した。義母は仕事を辞めて長男をみてくれると言って下さった。おっぱいを絞りながら、母の介護。辛かった。そして双子の生後3ヶ月め、正常体重に戻ったので、退院してもいいですと許可が出た。どちらも捨てれない。 そして、S57年、11月、私の子育て プラス 母を浜松に連れて、私の介護生活が始まった。 辛い日々が沢山。でも忙しいと考えられもせず、がむしゃらに生きてしまった。 そんな中、私は看護婦の仕事も捨てる事が出来なかった。育児休暇後、 私は母を介護しながら、子供たちを保育園に預け働き始めた。保育園に預ける時の泣いている子供達の姿が忘れられない。その時の事を3才だった長男(現23才)は、辛かった事をよく覚えているそうだ。ごめんなさい。 仕事を続けていっても、保育園費が3人重なると、給料より高くなっていた。 何の意味があるんだろうと思い、数年間努めていた国立病院を退職し、夜間救急に転職をした。 日中は、子育て、介護、主婦、夜勤に出る前に母の入浴、食事準備。帰ってきて、幼稚園の送迎、主婦業…他他。 当時、福祉の時代で57才の母は、デイ、もちろん入浴サービスも受ける事が出来なかった。御風呂だけでもいれて貰えたら、どんなに楽になるんだろうと痛感していた。 でも、廻りの方の励ましや協力により、支えられた。 H5年、先輩の薦めである老人病院に転職した。 子育て、介護、日勤含め、正職員として働く日々。不安の毎日であった。 でも、現場のスタッフに勇気つけられ私は17年の介護、仕事、家庭を持って続けてこられる事が出来た。本当に皆様に感謝の気持ちで一杯である。 H11年に介護保険法の開始をを知った。これだ…私が待っていたものは、迷わずケアマネージャーの資格を手にした。これなら在宅介護を皆と共にしていける。 そして、待っていた介護保健法が始まったH12年、母は、2度目の脳内出血で亡くなった。そして、次の年、父も亡くなった。 病棟看護の日々。夜勤の日々は特に辛かった。 患者数約50名。 看護師1名。ケアワーカー2名で、一日のうちの2食を含む、12時間勤務の開始である。 日勤者が返ってからの、夕方からの頻回なナースコール。夕方から「私はどうしたらいいの?」と、徘徊を始めるMさん。また、あそこにも、不安定な歩きをしている。転ぶ!」…危ない! 病棟の隅から隅まで走り廻る勤務。その間に、食事介助、服薬、明日の準備、おむつ交換…合間に記録…仮眠がとれない。もう少し患者さんとゆっくり話をしてあげたいけど、 皆に食事をあげないとお腹すくだろうし、おむつかえてあげないと気持ちよく、眠れないだろうな…そんな中で、命を終末をむかえようとする患者さんが多数いた。 ゆっくり話をしてあげれない間になくなってしまった。なんという現場なんだろう。家族さえまにあわなかった。申し訳ない気持ちで一杯であった。 もっと、もっと、やってあげたかった事が沢山あったのに…そして、私たちに言いたかった事も沢山あっただろうに…個室で静かに息を引き取っていく姿に、いつも悲しさを感じていた私がいた。 管に繋がれた、自分の訴えを伝える事が出来ない、患者さん… 薬を間違えない様に…経管繋げのに必死…あっ、麻薬、座薬をいれる時間… ナースコールが頻回… 痛いの…薬塗って、向き変えて… 足が棒のようになってきた。仮眠もろくにとれない。意識が薄れてきた… やっとで座れた食事介助… やっとで患者さんの穏やかな顔を見る事が出来た。 「春野に帰りたい…すみれが奇麗なの」っと、遠くを見つめているSさん。Sさんと母が同じに思える。母に出来なかった事をSさんにしてあげたい。いつか、お母さん、娘よ… と、言える様になった。 痛い、痛いとナースコールが頻回で、麻薬も使っているSさん… どうして、そんな穏やかな顔になれるの? 職場の帰りに私は交通事故にあった。 暫く、自分の痛みが強く、その言葉を忘れていた。 3ヶ月して、私は、又、ケアマネージャーとして浜松で復帰した。 数々の利用者さん。いろいろいた。 大きな御屋敷にいても、あなたが来てくれると嬉しいの…こんなに物に恵まれているのに、どうして寂しいのだろう… お正月明け…子供もいないたった4畳一間で風呂場もなく、リウマチで歩くのがやっとの、一人暮らしのおばあちゃんから電話が入った。普段は生き生きしている。でも訪問すると泣いていた。正月に行けるはずだった甥から、「いつまでもあてにするなと言われて、行くところがなくて、正月中、食べる物がなかったんだよ。あんたにも正月をあげたくて近くにある物を食べてしのんだんだよ」 まわりには、固いご飯粒が分散していた。一緒に泣いた。どうしてここまで我慢したの? 早く呼んでくれればば、来たのに… お金、体が元気であれば人は生きて行ける?そうではない。 何なんだろう… 子供たちが成人式の後、私は意識を失った。 痛みがあっても薬で抑えていた私(頚椎が悪いとは思っていた。でもここで検査にはい折ると入院になってしまうかも知れない。成人式まで何とか頑張らなくっちゃ)がいた。 意識が薄れていく中、これで私の役目も終わったかな。もう私がいなくても皆生きていけるから死んでしまってもいいかな?でも寂しい。 その時、ふと浮かんだ。心が寂しい。 死んでも、もういいかな・・・何日か暗い日々が続いた。 急に光がさした。 私に残されている事があった。天職かもしれない。 人として看取りのためにもう一度人生かけてみよう・・・ 人として生きるため、次の人生に旅立つ時に心寂しくなく、看取ってあげたい。 心が寂しくなければ、穏やかに次の人生に旅たつ事が出来るのであろう… 今の、社会?に失われてきている物がある様な気がする。 裕福であっても孤独、物はなくても幸せである。人の心がかけてきている様な気がする。 今の時代の中で、実子が親を看取る事も出来ないのが事実。 でも、人としての家族を創る事が出来てもいいのではないか? 2005年 5月1日 小沢明美
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