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1955年(昭和30年)に浅間火山レースが開催される以前の大きなレースとしては、1953年3月に開催された「名古屋TT」が上げられるでしょう。

名古屋TTは、正式名称を「全日本選抜優良軽オートバイ旅行賞パレード」といいます。
名古屋の熱田神宮前をスタートし、岡崎→挙母(現在の豊田)→瀬戸→多治見→関→岐阜→大垣→養老→桑名→津島と経由して、スタートの熱田神宮前まで戻ってくるという、総行程233km、愛知、岐阜、三重の三県にまたがる公道を利用して行われました。
(1枚目、スタート前の熱田神宮前)

この名古屋TTは、国産オートバイの性能向上のために欧州のTTレースのような高速技術を競い合うレースが必要、との認識から、使用部品を国産品だけに限定する、というレギュレーションの元に開催されたものでした。
その点では、2年後に北軽井沢で開催された、浅間火山レースの主旨と通じるものがあります。

主催は、愛知県の地元出版社であった名古屋タイムス、後援は、2年後の浅間火山レースの主催者となった日本小型自動車工業会の他、通産省、運輸省、三県の地方自治体などでした。

当初、名古屋TT(ツーリストトロフィー)として開催が計画されていたこのレースは、公道を使用したレースであったため三県の各県警が難色を示し、已む無く「レース」を「パレード」と名称を変えて開催せざるを得なかった、という経緯を持っていました。
「旅行賞」というのはご推察のとおり「ツーリストトロフィー」を日本語訳にしたものです。

参加メーカーは19社、出走ライダーは57名を数えました。
ライダーの年齢は12歳から62歳と幅広い(最年少12歳の山下護祐選手は、登録上では16歳になっていました)ものでしたが、平均年齢は30歳と、現在から見ると、結構年齢層が高いものだったようです。
当時のオートバイというのは、女子供が操れるような甘っちょろいものではなかった、ということなのでしょう。

ホンダはこのレースに鈴木義一、中村武雄、徳永康雄の三名をドリーム3Eとともに出場させ、徳永さん2位、義一さん4位、中村さん18位で、チーム賞1位を獲得しています。
(2枚目、左から徳永さん、義一さん、中村さん)

開催時は、毎年の開催が考えられていたこの名古屋TTですが、朝鮮動乱の終結に伴って急速に悪化した景気のため、参加各メーカーの倒産が相次ぎ、結局この雄大なレースは、たった一回でその歴史の幕を閉じる事になってしまいました。

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