身体・病気・医療の社会史の研究者による研究日誌

地震で被害を受けられたかたにお見舞い申し上げます。

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浅田宗伯

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 医学人名事典の締め切りが迫ってきた。エディターとしての責任を云々する前に、自分が担当した項目は終わらせないと。今日は、浅田宗伯とポンペのラフな草稿を大体書き上げ、森田正馬と森鴎外の準備を始めることができた。
 浅田宗伯。「最後の国手」と言われた幕末・明治の漢方の巨匠である。弟子の一人はある座談会で「浅田先生は私にとって人ではない。神である。」とまで言い切っている。日本史上で、最も成功した医者の一人かもしれない。幕末の診療収入は年に2300両。(ところで、今の感覚に直すと、これはどのくらいの額なんだろう?)明治になってから牛込の診療所には一日500人の患者が訪れ、患者たちは向かいの茶屋で番号札を持って待っていたという。この成功の背後にあるのは、彼の腕であると同時に、権力者によるパトロネージである。宗伯は徳川将軍の奥医師であり、明治政府における東宮侍医であった。明治維新における西洋医学の採用による断絶は、彼の人生のこの部分にはない。開業医としての成功と、君主のパトロネージは、彼は明治維新を乗り越えて享受している。
 しかし、彼の漢方存続運動は失敗した。明治27年の彼の死の翌年、漢方医たちによる法律改正案は最終的に否決され、西洋医学の試験を通ったものだけに、新たに開業を許可することが確定した。ここでは、明治維新による根本的な断絶がある。断絶の理由を考えるときには、連続したものを見極めないとならない。宗伯の項目を書いていて、なんとなくこの断絶の理由を考えるヒントが見えたような気がした。
 それはそうと、現在、天皇や首相の侍医にかかりたいと思う患者は、列をなして彼の診療所に並ぶのだろうか?そもそも、天皇の侍医や首相の主治医の名前を知っている日本人がどれだけいるだろうか?(宮内省のHPでは名前を見つけられなかったのだけれども・・・)

画像は、西洋技術嫌いの宗伯が撮らせた唯一の写真。 60歳くらいのときのもの。 

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