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私の叔父(麻生剛)は、地方議員や代議士秘書の経験をした方で、
大変学識や見識のある方です。
そんな叔父に影響を与えた方に、既に故人でありますが、親族で
ある江澤省三がおります。
江澤省三は叔父(麻生剛)に会うと、よく自分の体験に基づいた
歴史の事実を語ってくれたそうです。
そのエピソードの一つをあげさせていただきます。
戦後間もない、昭和21年1月。
時の大蔵大臣渋沢敬三(渋沢栄一の孫で日本銀行総裁などを歴任した方)
の要請で、大蔵省金融局長(後に銀行局長)の発令を受け、戦後の財政
再建に取り組んだ時のことです。
就任後、ただちに、取り組まなくてはならないことは、言うまでもなく、
インフレの抑制です。
当時、終戦処理費の大量散布や進駐軍の支払いに加え、極端な物不足、
財産税回避のための換物運動の激化などから、悪性インフレは、セキ
を切ったように進行していった。
こうした事態に対処するため、政府、日銀は、新円切り替えを中心とする、
金融緊急措置の実施を決めた。
しかし、当時、GHQの存在もあり、そのGHQを納得させるため、時のGHQ
経済顧問ボクダン氏と激しい交渉をして、最後には渋沢蔵相と共に腹を
くくり、我が国の将来のために決断したとのことです。
時に歴史に残る新円切り替えは、昭和21年2月17日に実施された。
これにより、大きな社会不安は回避されたのは、言うまでもありません。
もの事を成すと言うことは
「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」
この精神である。
何事も正しいと信ずる道を行くことである。
たとえ、どんな反対があろうとも・・・。
今でも叔父(麻生剛)は、親族である江澤省三の言葉をかみしめて、
生きております。
これから先、どんな障害があろうとも、我が国の将来のために、
国家の礎になる覚悟です。
最後によく私や叔父、江澤省三が尊敬している勝海舟の言葉で
締めくくります。
「坐看雲起時」
あそう あきこ
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