懐古園の中には12個ぐらいの詩句等の石碑があります。その中で最もポピュラーなのは、何といっても藤村の「千曲川旅情の歌」です。藤村存命中に建てられたもので、藤村も大変喜んで何度となく訪れていたとのことです。
(藤村詩碑「千曲川旅情のうた」⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/akira_o2ka/46101249.html)
二の丸跡の大きな城石に刻まれているのが、若山牧水の歌碑です。
かたはらに秋くさの
花かたるらくほろびしものは
なつかしきかな
馬場の一角には虚子句碑があります。
紅梅や
旅人我に
なつかしき
同じ馬場の南の方には地元出身の臼田亜浪の句碑があります。
雪散るや
千曲の川音
立ち来り
亜浪は、懐古園のすぐ隣りの新町の出身で、そこに生誕地を示す碑がありますが、そこの青木神社の境内には、「小諸石楠句碑」があり、亜浪とその弟子、好子、平城の句が彫られています。
(「臼田亜浪生誕地碑」⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/akira_o2ka/49521888.html)
浅間ゆ 富士へ春暁の 流れ雲 亜浪
千曲野や かへりみすれば 遠閑古 好子
夢深き 花を鎮めて お城の燈 平城
石楠は亜浪の別号だそうです。好子は、美人画の巨匠伊東深水の夫人で、夫と共に小諸に疎開中に亜浪に師事していました。平城は小諸在住の一商店主で亜浪門下生。石碑の説明文に次のような記載がされています。(抄)
亜浪は幼少時虚弱で家に籠もり、祖父などから地元の伝説などを聞くのを好んだ。その中の浅間山と富士山の神たちの恋の話に立脚する句である。「ゆ」は古語で起点を表す格助詞(〜カラ)。春の明け方、浅間山を眺めると、富士山の方向へ茜色に染まった春の雲が流れている。それは、今しも一夜を共にした富士の女神が、浅間の男神と後朝の別れを惜しみながら立ち去ってゆくようだというのである。亜浪の主唱した「意力的表現」とはやや趣を異にするが、『新古今集』の定歌の名歌「春の夜の夢の浮き橋途絶えして峰に別るる横雲の空」に通う味わいの、佳句である。
本丸跡の懐古神社の脇には、最後の小諸藩主の牧野康民の子牧野康強(耕雨)の句碑があります。
秋立つや
大樹の上の
流れ雲
馬場にあるあづまやの近くには、ここで長く草笛を吹いていた横山祖道師を記念した「横山祖道書句碑」があります。
雲水乃
草笛哀し
ちくまが和(旅人詠)
(「あずまやと草笛」⇒ http://blogs.yahoo.co.jp/akira_o2ka/46051695.html)
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懐古園、学生時代から訪れています。
草笛を吹いているおじいさんに何回か
あったことがあります。
あのころが懐くしく思い出されます。
2007/12/1(土) 午後 1:50
昔々の情緒感が理解される頃の話ですね。おじさんに草笛教えてもらってもなかなか音が出なくて苦笑したものでした。
2007/12/3(月) 午後 3:35