信州小諸通信

一言メッセージ :定年後の田舎暮らしから気晴らしの気まぐれ通信。姉妹ブログ「信州小諸論壇」

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旧朝吹山荘

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 オリンピック記念館のある風越公園から北上すると、軽井沢タリアセンに至ります。この夏、ここに建築家ヴォーリズの設計による旧朝吹山荘が移築されたと聞いていたので、是非見たいと思っていました。キリスト教伝道のため1905年(明治38年)に来日したヴォーリズは、全国で教会や学校、ホテルなど1600件にものぼる建物を設計したことで有名です。メンソレータムで有名な近江兄弟社の創立者でもあります。軽井沢ではユニオン教会等の教会建築や別荘を、また明治学院礼拝堂などを残しています。日本人一柳満喜子と結婚して帰化し、一柳米来留(めれる)と名乗ったそうで、結婚式は近江八幡神社で挙げたというのが面白いですね。
 朝吹山荘は、大正期の実業家山吹常吉の軽井沢山荘で、その長女朝吹登水子はフランソワーズ・サガンの「悲しみよこんにちわ」やヴォーボワール「第二の性」の翻訳家としても有名です。父親からこの山荘を引き継ぎ、多くの文化人のサロンになった場所だそうです。
 わざわざタリアセン入場料を払って入場して来ましたが、その優美さに打たれ、貴族の気分を味わうには良い記念館でした。場内には分かりやすい説明文が掲げてあり、大いに勉強になります。


  「ヴォーリズと軽井沢」  建築史家 宍戸 實「軽井沢別荘史」

 W.M.ヴォーリズは、アメリカ西部のカンザス州出身で、明治33年に英語教師として来日した。最初の地が近江八幡で、そこがヴォーリズにとって活動のベースとなり、一生を過ごすことになる。英語教師は1年で解雇されるが、近江ミッションを設立し、信徒伝道を行なって、それに伴ういくつかの事業を始めた。それが明治43年ヴォーリズ合名会社となり、大正9年にW.M.ヴォーリズ建築事務所と近江セールズ株式会社となる。
 ヴォーリズは正式の宣教師ではないし、正式の建築学を学んだ訳でもなく、商業の経験を積んできたものでもない。だが、どれもこれも専門的になり、一つ一つ成果を得ていった。建築家ヴォーリズとして、日本の近代建築界に足跡を残し、大きな影響を与えた。また、アメリカから軟膏のメンソレータムの製造販売権を得て、日本の家庭の常備薬とさせた。(略)
 ヴォーリズが軽井沢にいつから来はじめたのかは定かではないが、設計した建物からみると明治末期からと思われる。最初に設計した建物は明治44年、設計番号8503、グレシット・ハウスである。これは愛宕山中腹706番辺りである。これが西洋人建築家の設計による最初の別荘となる。次いで大正2年になると6戸も設計した。その中に近江ミッションの軽井沢ハウス380番があるが、この時からヴォーリズは避暑生活を兼ねて軽井沢で仕事を始める。 (略)
 グレシット別荘以来、昭和17年までの31年間、軽井沢で設計した別荘は45棟、ほかに軽井沢幼稚園、軽井沢教会、ユニオン・チャーチ、軽井沢会集会堂、同テニス・クラブ、軽井沢サナトリウム、不二屋、日本福音教団他2棟、合計56棟である。この中で評価されている建物は、南ヶ丘の広大な敷地に建った牧歌的なドーミー・ハウスと、見事な壁付暖房暖炉のある山荘風の朝吹別荘パーラー、軽井沢会テニス・クラブ、軽井沢サナトリウム、軽井沢教会である。 (略)
 ヴォーリズか、軽井沢に与えた影響、遺したものは何だったのか。それはその土地の雰囲気に溶け込んだ素朴さではなかったろうかと思われる。関西に多いヴォーリズ設計の建物をみると、大阪にあるものは大阪人の気質にふさわしい設計だし、東京の朝吹邸(東芝クラブ)と京都の下村邸(大丸ヴィラ)はロケーションに合うように豪華に仕上げるなど、ヴォーリズの設計はTPOの建築とも言える。 (略)


  朝吹登水子「豊かに生きる」より

 昔の高輪の家を設計したヴォーリズさんというアメリカ人建築家によるこの別荘は、一階のサロンが大きくとってある。その一隅には、大正時代の軽井沢彫の家具棚が置かれていて、日常生活で使う紅茶やコーヒーのカップや、ジャム入れ、菓子器などが入っている。このサロンには、フィリピン製の大きな籐椅子のセットが置いてあり、ゆったりとくつろげる。大きなものが好きだった父の趣味に適っていて、懐かしい。カーテンは、私がフランスで見立てて買ったもので、ざっくりした麻の生地に、大きな花柄である。濃い茶の太い木材を使った別荘に、華やかさを加えたいと思ったからだ。紅い絨毯は、駐日フランス大使館の外交官が本国に帰る際、譲り受けたものである。窓から、樹木の緑の葉がのぞく山の別荘に、赤は美しく映える。


  「睡鳩荘に住んで」  フランス文学者 朝吹登水子

 ヴォーリズ氏の建築による軽井沢の別荘睡鳩荘は、私にとってさまざまな楽しい家族との思い出がこの別荘の魂のように浸みこんでいる。
 父が睡鳩荘と名づけたのは、祖父英二の代になった時、益田孝男爵が日頃熱望されていた中国渡来の睡鳩の掛軸をお譲りし、その掛軸の代金で睡鳩荘を建てたからだと聞いている。
 ヴォーリズ氏の設計は、大まかに1部屋1部屋が大きくとってあり、大柄だった父、大きなものが好きだった父が好みそうな設計である。
 1階のサロンは、5人兄妹の家族と一緒に過ごす夏休みに適していて、日本風に小さく区切られた部屋の配置よりも、まさに一家団欒のできる楽しい場所であった。
 この別荘が建てられた際、わが家の別荘番だった中塚金さんは、以前、大工仕事もやったとあって、工事に参加したと私に語ったことがあるが、1階の天井と2階の床張りの間の仕事は丹念で何重にもなっているそうだ。
 私たちが住み出してから、1、2箇所改造したのは、現在私が寝室兼執筆の部屋として使っている2階の部屋で、最初、室内に付いていた2つの窓が階段にのぼり口にあったが、階下からの物音がうるさかったので、その窓をふさいでしまったことと、1階のテラスの屋根、つまり2階のバルコニーを半分切り取って陽と光線がもっとサロンに入るように直したことである。
 私は睡鳩荘に愛情をもっているので、フランスから日本に戻って来るのも、夏の軽井沢をこの別荘で過ごしたいからだ。ゆったりとしている階段も登りやすく、欧米なみの広さにとってある。
 サロンの天井の太い松材は、1本1本、馬がアタゴ・ケーンから運んで来たと聞く。
 この別荘の1階の下は薪を入れる倉庫になっている。大きな暖炉で太い北海道産の薪を燃やすのが大好きだった父は、真夏でもよく暖炉を使っていたので、東京から来るお客さま達を驚かせたものである。
 それに湿気の多い日本の山地では、床が上がっているピロチ風の設計は快適である。
 ヴォーリズ氏と父は大変よく気が合ったらしく、2人の出会いも軽井沢ではないかと思う。
 集会堂は父の知人の避暑客の方々と一緒に建てたと聞くが、これもヴォーリズ氏の設計である。
 父は若い頃、ロンドンに留学したので、大変に英国風の生活が好きになり、祖父英二が建てた大きな日本館は、「書生が2人で雨戸を閉めるのに40分もかかるのは合理的ではありません」と言って、ヴォーリズ氏に高輪の洋館を依頼した。この洋館は現在も高輪東芝倶楽部として残っているが、この洋館は1926年に建てられた思い出多い処である。
 睡鳩荘には楽しかった少女時代の夢が残っているが、戦争中、鎌倉から24時間もかかってやっと到着した辛い思い出もある。それは雪の降った敗戦の年の2月26日。その朝聞いたラジオでは、数百機が帝都を爆撃中ということだったが、当時はいつ汽車の切符が手に入るかわからず、入手した切符を無駄にするわけにはいかなかった。大宮で空襲警報下の一夜を明かし、やっとの思いで軽井沢駅からの雪道を妊娠6ヶ月の身で両親が疎開していた睡鳩荘に到着した時のうれしさは忘れられない。(「軽井沢ナショナルトラストだより」より)


   (「軽井沢タリアセン」⇒http://blogs.yahoo.co.jp/akira_o2ka/40056856.html '06.9.17)
  

 

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憧れの朝吹登美子さんの睡鳩荘がナショナルトラストによって移築保存され、本当に嬉しく思います!
現存するヴォーリズ設計の建築の中でも軽井沢の別荘建築は、年々滅失する運命を辿っているので。
ただ残念なのは、本来建っていた場所で見ることがとうとう叶わなかったことです。「私の軽井沢物語」に登場する世界は、やはり旧軽の
愛宕レーンを登ったところにあるイマージュを、どうしても求めてしまいます。高輪の旧朝吹邸もスパニッシュコロニアル風で素敵です。そこは、桂坂に往時のまま残っています。

2009/4/27(月) 午後 6:07 [ とことこ ]

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はじめまして。素晴らしいですね。朝吹さんの本を夢中で読んだときがありました。軽井沢での辛かった時代やパリ留学の話、骨董の話興味深いです。よろしくお願いします。

2009/5/26(火) 午後 11:16 hitomi

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建築家ヴォーリズの“愛される洋館”と気になる洋館

http://www.blogmura.com [[attached(1,center)]] 京都の東華采園です。昨年末、南座観劇の後、食事しました。 ヴォーリズの設計です。ここには係員と一緒に乗らないと動かない、ヨーロッパのレトロなエレベータと同じタイプのエレベータがあります。 http://blogs.yahoo.co.jp/shishi5235/27317268.html 日曜美術館建築家ヴォーリズの“愛される洋館” http://www.nhk.or.jp/nichib

2009/5/26(火) 午後 11:18 [ 猫と薔薇、演劇、旅ファン ]

朝吹登水子さんの美しい本

 この本は30年ぐらい前の本なので活字は古めかしいけれどアールデコの絵のカバーが付いていて好きです。彼女の本はほとんど読みました。「私の巴里・パリジェンヌ」は古本です。  最近お亡くなりになってしまったけれどサルトルやボーヴォーワール、フジタとも親しかったフランス文学者、翻訳家でした。二度目の夫はフランス人で骨董を扱っていた。最近彼女のベルサイユの素敵な家にある家具などにも値札付いていると骨董屋さんから聞いた。エー、売り物。ブッティクで自分が先に着てそれから売る話も聞いたことあるが。!Σ(

2009/5/26(火) 午後 11:19 [ 猫と薔薇、演劇、旅ファン ]

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