
荒神宮を千曲川沿いに歩いていると、突然不思議な尖塔のような単純ながら見るからに清楚な記念碑に着きました。昭和4年、上田尋常高等小学校の代用教員をしていた菅野という若い教師が、学校の遠足行事で、千曲川に転落した生徒を助けようとして、飛び込み生徒を助けたものの教師は流され川底に沈んでいったという出来事に対して、昭和5年11月その人徳を悼んで殉職記念碑が建立されたとのことです。教育県信州を髣髴させる建造物と言えましょう。
この小菅武夫は、上田市の出身ですが、尋常高等科を優秀な成績で卒業しましたが、家庭の事情で東京への進学を諦め、小諸商業学校に学び、妹の高女進学の資金を仕送るために東京の銀行に就職しました。しかし、病いに倒れ療養し、その後昭和4年上田尋常小学校の代用教員となって、熱心な訓導教員になったそうです。この事故は、それからわずかな4月下旬のことでした。
小菅は、小さい時からキリスト教に興味を持ち、その影響を受け、「絶対的愛」というテーマにたどり着いたようで、殉職するわずか19日前に、上田青年誌に、「本願」と題された詩が投稿されていました。その一節が記念碑の正面に刻まれて、小菅の教育の精神が訴えかけているようです。
「小菅訓導殉職記念碑」
この殉職記念碑は、おぼれる子どもを救おうとして、千曲川で殉職された小菅武夫先生の崇高な行為をたたえ、その遺徳を永久に記念するために、県内外の有志の方々からの募金によって建立されたものであります。
昭和四年四月二十四日、当時の上田尋常高等小学校本校部の春の遠足で、二百五十名が須川・鴻の巣方面に出かけた帰り、ひとりの子どもが千曲川の仮設橋を渡ろうとして足をふみはずし、川に転落しました。
それを見た小菅先生は、服も脱がず、直ちに渦まく川に飛び込んでその子どもを助け、一緒に居た先生に手渡しました。しかし、小菅先生は疲れと四月初めの雪解け水の冷たさのために体の自由を失い、ついに殉職されたのであります。
ときに先生は二十三歳、教職に就いてわずか二十五日目のことでありました。
平成十三年六月 上田市教育委員会
「本 願」
おお、絶対的愛こそ人類本心の願ひである。
自己を愛する如く自己以外の万物を愛せ
無条件にしかもただ隣人として。
この願ひの完成に自己に與へせれた全生命を捧げよ。
雄大なる天地に生をうく己を見よ、ただ1ヶの存在に非ずして
無始無終の我なるを知らん。
己の身中に高鳴る血潮はこれ長き祖先の結晶には非ざるや、
又この双腕の熱と力は来るべき後者への贈物には非ざるか。
大いなる生命の連鎖を組織する自己自身を凝視するとき、
何ぞ貧たる一節鎖に過ぎざるや、然れど知れ、
その一節鎖無くして之何の連鎖ぞ、ああこの一小節鎖は
即ち大いなる一連鎖にして人類そのものなり。
先自己を生かせ、強く確かに、しかして自己の力にて
何程か人類をより高き愛の立脚地に立たしめよ。
おお、青春の若人よ共に努め励め。 新田の寓居にて 4.4.5記
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