信州小諸通信

一言メッセージ :定年後の田舎暮らしから気晴らしの気まぐれ通信。姉妹ブログ「信州小諸論壇」

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宮川神社・信玄心願の綱

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 上田市街の千曲川を渡った辺りは、武田信玄が信濃攻略に何度となく出兵してきたところで、上田原古戦場跡として知られています。かの有名な川中島の戦いの前哨戦地です。この辺りには、昨年の大河ドラマ「風林火山」に縁りのある史蹟が散在しています。
 まず、宮川神社も信玄が戦勝祈願した神社として、あまり知られていませんが史蹟のひとつです。ここには、「信玄心願の綱」と言われる兵士を示す人型をした御幣を付けたしめ縄が珍しいものです。今ではその愛らしさに目を細めてしまいます。

   「宮川神社の由来」
  古くは八幡神社と称していたが、文政10年(1827)より宮川神社と社号を改め、明治6年(1873)村社に格付けされた。当時は境内に金毘羅、稲荷、蚕影社、秋葉社の4社が祭られていた。明治24年(1891)に中之条字日尻町から日尻社を移し、明治40年(1907)には中之条字天神堂より天神社を移している。
 社伝には、建歴元年(1211)流罪を許された親鸞上人が立ち寄ったとする記述がある。また武田信玄と村上義清が戦った天文21年(1552)上田原合戦の際には、武田軍がこの神社で必勝の神願を行い、陣を構え、戦後に永銭30貫文を奉納している。
 それ以来毎年1月15日に、鳥居の後の大木に信玄公神願の綱と呼ばれる注連縄(しめなわ)を張る神事が行われ、現在もそれが堅く守られ受け継がれている。綱の上に立てられている12本の御幣は武田氏の古例にならい武者を型取ったもので、こうした御幣を立てた注連縄は県下では他には例を見ないと言われる。
                          平成19年9月  宮川神社

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