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道の駅「雷電くるみの里」には、実物大銅像の雷電立像があります。堂々たる体型です。
銅像の背後から見ると、浅間山が望めます。
もう一ヶ所、東御市民が憩う中央公園にも大きな立像があります。ここの立像は、千曲川の方を向いていますが、雷電の母が、雷電のために願がけして、奉納した町内田中の薬師堂仁王像に向けて建てられているのだそうです。添え書きの案内板には詳しい説明があります。
「力士雷電為右衛門」
力士雷電為右衛門は、明和4年(1767)小県郡大石町(現東部町大石)に生まれ、幼名を太郎吉と言った。幼少より怪童とうたわれ、15歳で長瀬村(現丸子町)庄屋上原源五衛門に師事し学問と相撲を習う。
天明4年(1784)江戸相撲浦風林右衛門の門弟となり江戸に上る(18歳)。天明8年(1788)雲州松江畔主松平治郷公のお抱え力士として召され、藩ゆかりの四股名「雷電」を賜わり、「雷電為右衛門」と名のる(23歳)。
寛政2年(1790)初土俵で西の関脇となり初優勝(24歳)、同7年3月29歳で大関に昇進し、以来16年間27場所大関の栄位を保持し、文化8年(1811)45歳で引退する。
雷電一代の業績は、通算21年間、34場所で254勝10敗、96.2パーセントの勝率を記録し、相撲界古今を通じていまだこれに勝るものはなく、今日も不滅の光を放っている。
雷電が今日なお多くの人に追慕されているのは、相撲界において無類の強力士というだけでなく、学才にすぐれ、かつ人間性豊かな人物であったからである。
この度、町発足30周年を記念して、町出身の彫刻家日展参与竹下不忘氏に制作を依頼し、町民広場の丘に雷電の立像を建設し、先人の偉業と遺徳をしのぶとともに、これを後世に伝えるものである。
なお、この立像は、雷電の母けんが「よい子が授かるように」と願がけして、
奉納した町内田中の薬師堂仁王像の方向に向けて建てられている。
昭和61年9月20日 東御市教育委員会
(「田中の石造仁王像」⇒http://blogs.yahoo.co.jp/akira_o2ka/58529284.html '09.9.25)
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ご訪問ありがとうございます。久しぶりに来て見ました。雷電為右衛門ですか。96,2%の勝率ってすごいですね。横綱にはならなかったのですか?
2009/10/17(土) 午後 11:13
この当時には、まだ横綱という地位はなかったとか。大関が最高位で、その中で特に強い力士を横綱と呼ぶことはあったけど、決められた地位ではなかったらしいですよ。
2009/10/18(日) 午後 9:58