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雷電生家に掲げられている案内図には、近くに雷電の墓碑があるとあるので、探し回りました。ちょっと離れたところですが、一群の墓地にそれはありました。雷電の墓は、全国に4箇所あるそうです。江戸では赤坂の報土寺にありますが、ここでは雷電が生存中に火災で鐘楼が焼けた為、雷電が釣鐘と鐘楼を寄進したのですが、鐘に「天下無双雷電」と刻んであったために幕府の怒りに触れ、「江戸払い」となる事件があったということです。その由縁もあって同寺に葬られたといわれます。
他には、お抱え力士となった松江藩の西行寺。松江藩主松平直正は元信州松本藩主だったという由縁があります。ここは雷電死後に妻の八重が雲州の力士を養子にし、松江藩士として家系の存続を図ったものだそうです。
また、妻の八重の出身地である千葉県佐倉市の浄行寺にもあり、ここには唯一、妻と幼くして亡くなっている一人娘の家族が一緒に葬られていると、地元の自慢になっています。
東御市の墓所は、関家の墓地にあり、父の墓地であったといい、雷電が父のために墓碑を建てたと言われており、それに関する逸話が墓碑の案内板に書かれています。ここの関家は、雷電の18歳下の妹の家系が護っているそうです。墓石台座には雷電の手形が刻まれていますが、その大きなこと。残されている雷電の手形はいずれも左手なので、左利きだったのだろうと言われています。 (Wikipediaによる)
「力士雷電の墓」
雷電は文政八年五十九歳であった。父半右衛門が酒好きだったので、父の死後、石塔を建て供養するに、冥土の旅には酒を不自由させない心遣いから笠石には盃を棹石には酒樽を台石には桝を形どって作らせている。
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