守芳院
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平尾大社のすぐ近くにある守芳院は、天文元年(1532)、当時この周辺を統治していた平尾守信が創建した寺院ですが、弘治3年(1557)に孫の平尾守芳が再建し、整備したと言います。現在地に移ったのは元禄10年(1697)とのことです。平尾大社は、平尾氏が勧請したものです。
参道には巨杉が茂り、古刹の雰囲気が満ち満ちています。この杉、「弾生の杉」と名づけられ、樹高24.4メートル、周囲9.7メートルと記されており、夫婦杉のように二本が並んでいます。その一角に六地蔵があるのは寺院らしいのですが、その奥に水子地蔵尊の地蔵菩薩があり、哀れを誘います。
いつものように狛犬さんに表敬して。
本堂も堂々たるもの。渡り廊下で鐘楼につながっています。
曹洞宗 平尾山守芳院
本尊 釋迦牟尼如来 脇立 文殊菩薩 普賢菩薩
當院は天文元年十月平尾弾正源守信本村の字宿と称する地に創建し
南州道運禅師を以て開山となす
其後 弘治三年平尾右近源守芳祖父の志を継ぎ堂宇を修補擴張し名付けて守芳院と云う
而して元禄十年に至り堂宇を改造して規模を擴大にせんと欲して東山の麓に清浄の霊地を撰び寺基を移し以て経営す即ち今の平尾山守芳院是なり
之より寺號を新地寺とも号す於是乎規模旧観に倍蓰す
明治十五年に至り當山第十六世霊苗和尚の時 壇徒に議り喜捨を得
庫裡 玄関 書院の改造に着手し三ヶ月の星霜を経て略々成功す
日本名蹟図誌第七巻
信濃寶鑑首巻 名古屋光影館蔵版 明治三十三年六月刻
境内に、下田歌子先生頌徳碑という立派な石碑があります。当院所縁の実践女子大設立者である女子教育者の記念碑でした。
安政元年美濃岩村藩の藩士平尾家の長女として生まれる 幼名は鉐 幼児から学問や詩歌を好みて神童といわれ 明治五年十七歳 宮中に出仕し 昭憲皇太后に歌の才能を認められ 歌子の名を賜る 女性として宮内省十五等出仕に始まり 権命婦 華族女學校學監 同教授 学習院教授兼女学部長を兼任 女子教育の普及を目指し実践女学校現 実践女子大学を設立 また女性の自立を主眼に女子工芸学校を設立した 多くの著作があり教科書著書四十点に及ぶ
當院第十八世大鵬老師より信州北佐久郡平根村上平尾平尾山守芳院こそ遠祖開基の寺との由来を聞き大いに喜ばれ その後 祖墳往修追遠式典の為 大正九年 昭和九年と當院を訪れ 和歌二首を詠まれている 直筆當院に所蔵
法のみち栄えざりせば遠つ親の
あともさやかに残らましやは
わしのやまのかほる栞とにほはなん
みおやのもりの花ざくらばな
先生は昭和十一年十月八日病にて薧去 寿八十二歳 大鵬老師は境内に頌徳碑を檀越に議り檀信徒の喜捨と協力を得て 昭和十三年四月に完成
平成十四年十一月 平尾山守芳院 第二十一世住職 岡本雄二
また、境内には、薬師如来を祀る薬師堂があります。
平尾大社の方から守芳院を望むと、その鬱蒼としたこんもり森が貴重な伝統を守っているようです。静かな寒村です。
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