怒れる!台北・日本人嫁日記

「トイレできちんと紙を流せることが当たり前」な生活が恋しい、トイレに紙が流せない台湾で思うこと。日本では「ありえない!」こと満載

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【台湾、慰安婦問題で「韓国と同対応」要求へ】
http://www.sankei.com/world/news/151228/wor1512280004-n1.html
2015.12.28 00:59
【台北 田中靖人】台湾の外交部(外務省に相当)は27日までに、日韓両政府が慰安婦問題の決着を目指し協議していることについて、動向を把握した上で、台湾人の元慰安婦にも韓国と同様の対応を取ることを日本政府に求めるよう対日窓口機関、台北駐日経済文化代表処に訓令した。
 中央通信社が同日、伝えた。台湾には元慰安婦と名乗り出た女性が4人、存命している。
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でましたよ。

「台湾にだって可哀想な性奴隷の慰安婦となったおばあんたちがいるアル!南朝鮮と同じように金よこせー!!」

朝日新聞の捏造記事ほったんで、なぜかただの私娼から公娼の慰安婦になっただけなのに「強制された!」とうそぶくおばあさんたちが台湾にも出てきた不思議。

日本時代を生きた人々が皆「慰安婦はただの売春婦で高給取りだった。強制連行なんかされていない。自分で軍について行った人もいる」と証言しているのにもかかわらず、だんだんそういった世代が亡くなり、今度は日本時代を知らない国民党に反日教育を受けて「我々は素晴らしい民族」意識だけを持った世代が、

「我々のおばあさんは性奴隷にされていた!台湾だけが強制は無かったと言っていると言われてきたが、それは嘘!強制だったんだ!野蛮な日本人から謝罪と賠償を!!」

と狂い出した。

実際、慰安婦のこととなるとあの「ひまわり運動」世代でさえ、「慰安婦のおばあさんたちが強制じゃなかったなんて私たちは思いません!日本はひどいわ!!」というお花畑な女子学生の多いこと!

現実を受け入れろ。

と言いたいですね。
昔も今も、小額のお金で売春する台湾人、南朝鮮人、支那人が大勢いるじゃないですか。彼女たちは、誰かに強制されたんですか?いいえ、自分から売春婦になっているのは事件の記事が証明していますよね。

慰安婦のおばあさんたち、小さい頃に家が貧しくて養女に売られ、その養女にされた家から今度は売春宿に売られ、売春宿から売春宿へ、など、とにかくひどい一生送ってます。
これもすべて日本のせいですか?

ふざけんな!!!

そしてその後、売春が合法だった時代で、国が慰安婦を募集。国が経営する慰安所=売春宿で働く女性が慰安婦と呼ばれた。慰安婦は高給取りの売春婦。健康検査もあり、避妊もバッチリ。病気の心配なくこき使われること無く自由恋愛もできてさぞや良い暮らしができたことでしょう。

現実を見ろ。

と、何度でも言いたい。

存命されている慰安婦の1人でドキュメンタリー映画でも取り上げられた「小桃阿嬤」と呼ばれる鄭陳桃さんの台湾Wikiが非常に興味深いので魚拓。
https://zh.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%A1%83%E9%98%BF%E5%AC%A4

小桃阿嬤(1922年11月14日[1],本名鄭陳桃,冠夫姓,臺灣台北市大同區人,臺籍慰安婦

<早年期間>
陳桃出生於臺北州臺北市永樂町。全家三代共十二人,三歲喪母,父親為水果小販,家庭生活負擔沉重[2]。在她七歲父親去世,之後被繼母叔父養育。她從小想當老師,為大橋公學校(今台北市大橋國小)第6屆畢業生。高等的中學學業因為戰爭而中斷。十六歲被賣給板橋一位叫林金女姓,被令接酒客,但她抗拒而被打斷肋骨。後來被賣到送到臺南鹽水、一位名叫柯鼻、開設「月津樓酒家的男子,在那工作。十七、十八歲逃到新竹沒有血緣關係的阿姑家,後被抓回酒家賣淫
(陳桃の家族は3世代で12人いたが、3歳の時母親と死別、父親は果物の小売をしており家計は思わしくなかった。7歳の時に父親も死に、継母と叔父に養育される。彼女の夢は教師になることで、小学校を卒業後高等中学に進学するも戦争のため学業は中断した。16歳の時に(継母と叔父によって?)板橋の林金姓の女性に「売られ」、店で男の酒の相手をさせられるようになるが、それを拒むと「叩かれ」助骨骨折させられたこともあった。その後、台南にある別の店に「売られ」た17〜18歳の時に新竹にある血縁関係の無いおばさんの家に逃げたが「連れ戻され」、店で売春を強要されるようになった)意訳です
※悲しいかな、慰安婦になる前から売られ続け、売春をさせられていたようですね。お気の毒です。でも、ここまで日本人は全く関係ありません。すべて台湾人の間で起きている悲劇です。しかし女性に売られてその女性が売春を強要し骨が折れるほど殴るって、どんだけバイオレンスなの??

<青年時期>
陳桃十九歲賣給高雄魏姓男子,該魏姓妻子對陳桃要去外地看護助手,於是在1942年6月4日一起從高雄出發前往印度洋群島安達曼的慰安所魏姓妻子在那當起慰安婦管理員,被叫作「大隊長強逼陳桃為慰安婦,日本名為「モモ子」(桃子)。
(陳桃は19歳で別の高雄に住む「」姓の男に「売られた」。「」姓の男のは陳桃に「海外に看護助手として行って欲しい」と言われ、1942年6月4非に高雄を出発してインド洋にある「アンダマン慰安所」へ赴いた。」姓の妻は実は高雄で「慰安婦の管理人」(早い話が女衒)をしており、「大隊長」と呼ばれていたのだった。強制的に慰安婦にされた陳桃は、日本名「桃子」となった。)
※つまり、台湾人の女衒に「売られ」、その女衒が慰安婦として陳桃を更に慰安所に「売った」と。陳桃さんは残念ながら女衒に売られたために自分には給与は支払われない・慰安所に「身請け金」を全部返すまでは当然賃金はもらえなかったわけです。
しかし女衒が台湾人の同じ「女性」とは、驚きです。こうやって台湾人同胞女性を売り金持ちになった台湾人もいたんでしょうね。

陳桃和其他或自願、或同樣被迫的女性在離海軍營區不遠的海邊慰安所工作一年兩個月。她曾三次喝消毒水自殺仍被救起。在當地慰安婦一天平均要接十幾到二十次客人,從來無薪水,只能靠小費買些日用品。
一年兩個月後,陳桃的簽約期滿,日本部隊卻指定她和其他五位女子轉往塞班島慰安所。六名女子來到柔佛等待轉往塞班島的船,等了三四個月,盤籌將盡,由旁人的介紹到當地酒家工作。當時,日軍戰情轉壞,始終等不到船,柔佛一待就是兩年。她和一位叫山口的日本看護長聊得來,產生感情,到後期只接他一個客人。1945年4月,她發現懷孕,山口撤回日本前對她答應一定會盡快去台灣相會,還給她一本台灣郵局存摺。但是懷著四個月身孕的她,因為旅途顛簸,回到臺灣時孩子流產。
(陳桃や他の女性たちは自願もしくは同じように「強迫されて」海岸から遠くない慰安所で1年と2ヶ月「仕事」をした。陳桃はその間3度も消毒水を飲み自殺を図った。その地の慰安婦たちは1日平均10数人〜20人の客をとらされ、ただ日用品を買う小遣い程度だけで給料は無かった。
1年2ヶ月後、「契約満了」になった陳桃は、日本部隊は彼女と他の5名を指定してサイパン慰安所への転属させた。6名の女子はマレーシアのジョホール・イスカンダルに到着しそこでサイパン行きの船を待った、3〜4ヶ月の間、船で待機するのではなく、他の人の紹介で現地の食堂で働くことを紹介された。当時、日本の戦況は芳しくなく、結局船は一向に来ないでジョハールで2年待った。陳桃はそこで1人の「山口」という看護長の男性と親しくなった。最後とった客は「山口」ただ1人だった。1945年4月、陳桃は妊娠が発覚し、山口は日本に戻る前に必ず陳桃に会う為に台湾へ行くことを約束し、彼女に一冊の台湾郵便局の預金通帳を渡したのだった。ただし、妊娠4ヶ月の時、台湾へ帰る旅の途中で彼女は流産してしまったのだった。)

※ちゃんと「契約」された売春婦だったことがわかりますね。性奴隷として酷使されていたわけでもなく、最後には日本人男性と恋愛まで。しっかり貯金通帳を渡すところが、誠実さが伺えますが・・・その後日本に戻った男性とは音信普通になってしまったようです。そりゃそうですよ、戦後の悲惨な日本では・・・

出院後的陳桃直奔台北想找家人,沒想到祖母已過世。叔叔知道她當過慰安婦後,罵:「我們姓陳的沒有這種臭賤查某!」說完就把她的皮箱扔出家門。她眼淚一擦,皮箱拿起來,順便拿一塊石頭丟回去。她回到台南後,只好到處幫傭煮飯,這段期間,按山口留下的日本地址寫信給他,卻始終無回音。她也在工廠工作過一陣。二十八歲,嫁給了一位黃姓、修鐘錶的男子,住在鹽水,但因不能生育,又被婆婆介意她慰安婦的經歷而逼迫離婚
(戦後、陳桃は台北の実家に家族を探しに戻ったが、祖母が亡くなっているとは思っていなかった。叔父は陳桃が慰安婦をしていたことを知っており、「我々陳家の人間にはそんな臭い銭を稼いだ奴など必要ない!」と彼女を罵りスーツケースを門の外に放り投げた。陳桃は泣きながらルーツケースを起こして、台南へ向かった。料理の補助の仕事を見つけ、しばらくの間は「山口」が残した日本の住所へ手紙を送っていたが、返事は無かった。陳桃が工場で働き始めてしばらくして、28歳の時、時計の修理をしていた「黄」姓男子と結婚した。しかし、が陳桃の敬礼を知ると息子と離婚するよう強迫してきて、結婚生活は長くは続かなかった。)
※突っ込みどころ満載です。
家から陳桃さんを追い出した「叔父」。彼らが最初に彼女を「売った」んですから、自分たちが彼女に臭い銭を稼ぐように仕向けたわけで、何を今更言ってるんだ!?と思います。きっと陳桃さんが稼いだ上がりでも貰っていたのか、そうでなければ彼女が遠いインド洋で慰安婦をしていたなんてわかりっこないですからね。
何だか薄汚い人たち・・・知れば知るほど嫌悪感が沸々と湧き出てきますよ。まあ日本でも貧しい農村ではそういう家族が沢山ありましたが。悲しい現実です。

<中晚年時期>
四十五歲,陳桃嫁給一名綽號阿任、名叫鄭標的男子,不對丈夫提起過去的往事,二十年後丈夫車禍身亡。她收了一名養子,該人迷於賭博常向她要錢。鄭陳桃只能在屏東麟洛果菜市場,以賣椰子水和冷飲為生。白日,鄰居攤位陪她聊天;晚上,她只能獨居在市場鐵皮屋內,抽菸看電視度過漫漫長夜。
(45歳で陳桃は「阿任」と結婚するも20年後に交通事故で死亡した。彼女は息子を養子に迎えたが、この息子が賭博にハマって常に陳桃に金をせびるようになった。陳桃は屏東の青果市場でココナッツジュースなどの飲料を売って生計を立てていた。以下略)
※とんでもない息子を養子に取ってしまったものですね、その後その息子はどうなったのか、なぜ息子なのに母親を養わないのか?そこが全く供述が無く不明です。子なら親を養うのが礼儀でしょうに。そして結局、「悲劇の慰安婦」に祭りたてられ、お金を貰う生活になったのか?以下の訳は省略。

1996年,婦女救援基金會為慰安婦阿嬤們設計身心工作坊,透過戲劇、藝術等方式幫助曾飽受身心摧殘的阿嬤們療癒,過程長達16年,並出資以影片《蘆葦之歌》記錄她們透過工作坊面對創傷、圓夢的過程[7]
2003年4月2日到3日,多名慰安婦阿嬤在臺北縣金山好望角渡假民宿,吐露了她們當時所愛過的日本人。小桃阿嬤也吐露說:「他是日本軍醫,非常君子的日本人,我很想嫁給他,但是因為想念我的阿嬤要回台灣而失去了姻緣。」
2008年12月23日,繼「阿嬤穿婚紗」、「阿嬤園遊會」後,小桃阿嬤、滿妹阿嬤秀妹阿嬤陳鴦阿嬤沈中阿嬤寅嬌阿嬤秀鳳阿嬤芳美阿嬤參加婦援會的「阿嬤參觀總統府」。
2010年,《蘋果日報》記者問小桃阿嬤說:「妳心裡有怨恨嗎?」她回:「會啊!怎麼不會?被人家欺負,當然會有怨恨。(もちろんよ!なぜ恨まないでいられるの!?人を騙しておいて・・・当然恨んでますよ!!)但她強調說:「日本也有好人。(でも日本人にもいい人はいるわ)日本民間組織友人柴洋子會定期來台和慰安婦阿嬤們聚會。談起這輩子有什麼未了心願,她說:「我想和其她阿嬤們一起去澎湖七美看一看,聽說那裡因為曾有7個美人,所以叫『七美』。」可是她的椰子攤月租就要新台幣1萬元,每天營收不定,沒有夠錢去。
2013年,台南女中秘書李宜芳與校友會、青年社的女學生到屏東探視小桃阿嬤,帶著90周年的台南女中校刊、當時的舊制服,希望讓她重溫學生時光。穿著當年南女制服的她感慨地和女學生說:「要珍惜現在的時光,而且要替我完成,當年未能完成的學業。」同年《蘆葦之歌》拍攝完成,卻因經費不足無法上院線[7]
2014年4月17日,馬關條約119年,中華民國總統馬英九邀請小桃阿嬤與而蓮花阿嬤共進午餐[11]
2015年,抗戰70周年翌日,中華民國總統馬英九對《蘆葦之歌》導演吳秀菁說:「第一次在台北看小桃阿嬤劈椰子,為之傾倒不已,她手起刀落乾淨俐落,插一根吸管,就可吸椰子水,完全可以自力更生,她這不是表演,是真的在屏東賣椰子。後來我去屏東看她,帶國旗圍巾送她,她竟然織了三條圍巾送我和家人。每次想到小桃阿嬤就想到我媽媽,她們在同個時代,小桃阿嬤卻在19歲就被騙走,命運完全轉變。」[12]同年8月,《蘆葦之歌》上映時,片中紀錄的六位阿嬤已有四位已辭世,小桃阿嬤也已進安養院,與蓮花阿嬤等著日本政府道歉[7]
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その他「元慰安婦」のおばあさんたちでWikiに詳細が載っている方を順次ご紹介したいと思います。

このおばあさんには「柴洋子」という慰安婦デモ(南朝鮮と連動した「水曜デモ」)に参加している日本人女性の友人がいるそうで。
※こんなコラムあり。「台北の600回デモ」・・・日本人が参加していたとは。呆れます。
http://www.dce.osaka-sandai.ac.jp/~funtak/papers/taipei.html
その他台湾に留学中の日本人女性とか(案外慰安婦を騒ぎ立てるのが目的で来ているのかも)が慰安婦デモに参加しているそうですから、困ったものですね。「何て酷いことを日本人はしてきたのかしら。私たちが先人に代わってお詫びしますぅ〜」と自虐にウットリするタイプって、ほんとに迷惑です。

この方の場合、とにかく「売られて」「売られて」の生活だったようで、それはお気の毒に思います。
しかし、台湾では日本時代以前からこういったことは日常茶飯事だったんですよ。
結局、騙すのも騙されるのも、売るのも売られるのも台湾人
慰安所は日本軍のものだったのでしょうが、きちんと料金を払って「身請け」しているわけですから。
それを「給料が無かった!」だの言われても、それは台湾人の自分を騙した女衒に言うしかないでしょう。

恨むのは日本じゃなく、自分を売り続けた台湾人たちにして下さい。
彼女たちの言う「日本人のいい人」「日本人の友人」とはすなわち、お金をくれる人、自分たちの面倒を見てくれる人、なんでしょうね。

この方の生涯をWikiだけで知ることがは難しいかもしれません。
しかし、どうしても私には「日本が悪い」とは思えませんでした。
悲惨な生涯に同情はしても、だからと言って日本政府が謝罪する義理も賠償金を払う道理もありませんから。
多くの人に騙され売られた鬱憤を、時の流れに乗り「日本が悪い!」と叫んで晴らしているように思えてなりません。

日本を悪者にすれば皆が同情してくれる。皆が自分を「台湾の可哀想な被害者」として大事にしてくれる。
売春婦だったからと家を閉め出され離婚させられた苦労も忘れられる。養子から金をせびられても、いくらでもお金なんか入ってくるからいいわ♪
「そうだ!日本が全部悪い!」そう言ってさえいればいい!
打ち出の小槌のような呪文、何て簡単なの♪

飛んだお門違いもいいところです。

自分を「物」のように売買した台湾人に謝罪と賠償をしてもらって下さい。

この記事に

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けっきょく慰安婦なんて台湾も南朝鮮も同じですよ。
慰安婦へのばら撒きが始まるのかしらね(怒)
Aliciaさんのこのブログ記事私のアメブロで紹介させていただいてもいいかしら?

2015/12/28(月) 午後 5:30 [ 神無月 ] 返信する

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> 神無月さん、コメントありがとうございます。

売春婦、つまりそれなりの給与をもらっていた契約売春婦になぜ今更金を払わなければならないのか、全く理解に苦しみます。

もしよろしければ紹介して下さい!
慰安婦の真実の拡散必須ですね。

あ〜、しかし腹の立つ!
同じ女性として腹立たしいですよ。日本にも不憫な唐行きさんが沢山いたのに。

2015/12/28(月) 午後 5:59 [ Alicia ] 返信する

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集金ペーは去年、既に、対・チョーセンに支払う金の10倍をシナに払えと言っています。人口比が、10倍だから被害女性の数も10倍、故に10倍よこせだそうです。

2015/12/29(火) 午後 3:55 [ トンビ母 ] 返信する

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> トンビ母さん、コメントありがとうございます。

キンペーには困ったものですよ。
しかしここに来て南朝鮮と連携な取れない可能性もあり、焦りまくっているのも事実なようで。
支那になんぞにビタ1文支払ってはなりません!

2015/12/29(火) 午後 7:11 [ Alicia ] 返信する

はじめまして。
私も台湾に住んでいます。
宜しくお願いいたします。

結局はお金が目的なんですよね。
お金にがめつい民族だし、台湾の諺で『大きな声を出した方が飴玉が食べられる』という位ですから、もらえなくて元々。貰えたらラッキー位に思ってるんでしょうね

2016/1/22(金) 午後 4:23 [ jua***** ] 返信する

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> jua*****さん、はじめまして♪コメントありがとうございます。

こちらこそよろしくお願い致します。

台湾の元慰安婦の証言もまた事実とは異なることが多いようで、後から言わされているようにしか思えません。しかし国民党政府は事実を調べようともせず証言だけで感情的に日本に謝罪と賠償を求めようとする、正に南朝鮮に便乗の被害者ビジネスです。

台湾の諺、朝鮮の「泣く子は餅を1つ余分にもらえる」とそっくりですね。それだけ漢族と朝鮮族は類似民族ということか…残念です。

2016/1/22(金) 午後 6:56 [ Alicia ] 返信する

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