ユーラシア大騎馬民族の時代 4 馬の家畜化
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遊牧騎馬民族について考える上で、 そもそも
という素朴な疑問が沸いてくる。 人類が地球上に誕生して以来、生存し続けるための最大の関心事は食料獲得の問題であっただろう。農業によって食料を恒常的に生産し確保するというのは、人類のもっとも偉大な発明であったのかもしれない。 しかし、それ以前の世界を考えると、やはり最初は狩猟と採集という食料獲得の手段しか存在していなかっただろう。『興亡の世界史 第二巻 –スキタイと匈奴』によると、牧畜というのは狩猟生活の中から始まったと考えるべきだ。 この著書の中では、遊牧に発展していく過程として2つのアプローチを紹介している。
家畜の歴史を見てみると実は一番古いのはイヌらしく、紀元前1万2千年前だ。つまりオオカミ系の動物が残飯を貰いに人間社会に近づくことを繰り返しているうちに、飼いならされてしまったというわけで、ダンス・ウィズ・ウルブズならぬダンス・ウィズ・ドックというわけだ。 ただ、なんせ文字が発生する前の出来事なので不明な点があまりにも多い。 代表的な家畜の発生起源と場所は以下のとおりだ。
馬の家畜化にあたってはおおむね紀元前4000年ごろを起源とするらしい。 今回調べてみてわかったのだが、馬の家畜化に関してはおびただしいほどの研究がすでに行われている。馬の家畜としての最大の特徴は、騎乗できることにある。物資の輸送手段としの馬と、それへの騎乗を通じて人類の歴史は飛躍的に変わったと言っても良いかもしれない。 紀元前858年 - 紀元前824年 シャルマネセル3世 (新アッシリア王国時代のアッシリアの王) 羅針盤や造船技術の発達が大航海時代を招いたように、この『騎乗』するという行為が一般化したのは、ユーラシア内陸の交通・交易、また陸上のシルクロードが発達する上で甚大の影響を及ぼしたに違いない。内燃機が普及し始めたのは19世紀になってからだが、それまでの間、6000年以上ものあいだ、馬は人類が利用できる最も早い交通手段であり続けた。 紀元前334年から紀元前331年 アレクサンダー大王の遠征は乗馬が伴ってはじめて可能なものだ 紀元前3世紀 スキタイ人と言えばこの姿?パジリク(Pazyryk)遺跡 しかし、中にはスキタイの仲間とみなされながらも変わったスキタイもいる。 ヘロドトスは一風変わったスキタイで、紀元前6世紀頃に現れたイラン系の遊牧騎馬民族について言及している。 「サカイ、すなわちスキタイは、先が尖ってピンと立ったキュルバシアという帽子を頭にかぶり、ズボンをはき、自国産の弓、短剣、さらにサガリスと呼ばれる双頭の戦斧を携えていた。彼らは“アミュルギオンのスキタイ”なのであるが、ペルシア人がスキタイ人すべてをサカイと呼ぶため、彼らもサカイと呼ばれていた。」 (ウィキペディアより引用: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%AB) サカは紀元前6世紀頃から中央アジアに現れるイラン系遊牧民族で、中国語では塞と呼ばれているが、近年の研究成果ではどうも同一民族ではないらしいので、ここでは深入りしない。 何だか・・・すごいっすね。。。 本当に騎馬民族ですか? 馬に乗る時邪魔にならない? 多分・・・邪魔になったんだろう。。。 このサカが(おそらく)建国したのがインド=スキタイ王国だ。 さすが遊牧騎馬民族スキタイ人が建国した国と言うだけあって、王朝を築いたMauesがチャリオット(戦闘馬車)に乗っている以外は、ほぼすべての王は、硬貨に乗馬している姿で描かれている。硬貨の文字などは、まだアレクサンダー大王の遠征と、その後に建てられたギリシア人の中央アジア植民地であるグレコ・バクトリア王国(インド・ギリシア朝)の影響が出ている。 Azes2世(紀元前 35–12年) このインド=スキタイ王国は、その後プレスター・ジョンで有名なゴンドファルネス率いるパルティア人と匈奴の圧迫によって西方へ移動し、後にクシャーナ朝を築いた月氏によって衰退させられてしまう。 ところで、最近また『馬の家畜化』の起源をめぐって新たな動きがあった。ナショナルジオグラフィック ニュースでは昨年(2009年)3月に『馬の家畜化』について、次の記事があった。 乗馬とウマの搾乳の先駆者は、いまはカザフスタンの国土となっている広大な草原に暮らしていた人々だった。少なくとも5500年前、この地域の人々がウマを家畜として飼い慣らしていたという新しい証拠が見つかった。 「ウマを食用としただけでなく、その乳も利用していた。この地域では、非常に早い段階から乗馬と搾乳の両方が行われていた」と、今回の研究を指揮したイギリス、エクセター大学の考古学者アラン・ウートラム氏は話す。この発見により、ウマの家畜化の開始時期は1000年早まることになる。 歴史は新しい発見によって次々に書き換えられている。今日知っている歴史は、10年後にはまた違う歴史になっているかもしれない。時間が未来へ進むほど、過去に起こったことに対する理解が変わっていくなんて、何だか不思議な気分だ。 |














