政府紙幣を考えるブログ

政府紙幣をメインにはじめたのですが、歴史を追ってマネーの迷宮に迷い込んでしまった。

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ユーラシア大騎馬民族の時代 5 四輪馬車からチャリオットへの技術革新

人間の馬に乗るという行為が、歴史上これまでの文化の交わり方、移動距離、民族の移動、戦争などの様式をガラッと変えてしまったのは事実で、それを実践し中心的な役割を果たしていたのが遊牧騎馬民族だ。

前回は 馬の家畜化と遊牧について考えてみたが、この遊牧騎馬民族を述べるのであれば

『人類が騎乗しはじめたのはいつか?』

という問題は避けて通れない。


馬車が先か 騎馬が先か



どっちでもいいじゃん。。。


・・・という訳にはいかないらしい。


人類史上において、これまでの文化の交わり方、交易の距離、民族の移動、戦争などの様式をガラッと変えてしまった出来事なので白黒つけておく必要があるようだ。


『興亡の世界史』では、メソポタミア時代の遺跡から騎乗している人間を描いた粘土板が出土していることから、おそらく騎馬が先だったのではないかとみている。

騎乗者は後ろの方、馬の尻の上に跨っている。馬の背には脊髄が出っ張っており、裸馬の背に直接跨ると股間を痛める。それに対し、尻の上は平らなので、そのような心配は要らない。
この騎乗の方法が、背中があまり丈夫ではないロバと同じようなので、「ロバ式騎乗」とも呼ばれているそうだ。ネット上で画像を拾おうとしたのだが見つからなかった・・・。


前回 馬の家畜化の時期が1000年前にさかのぼるというナショナルジオグラフィックの記事を紹介したが、カザフスタン北部にあるボタイ遺跡で出土した証拠と言うのは以下の通りだ。
1. 歯の摩耗:馬具(この場合はハミ)を噛んだために擦り減ったとされる跡
2. 野生種と比べて細い脚の骨
3. 陶器のつぼの縁辺りにウマの脂肪と馬乳の脂肪分の検出
(http://www.nationalgeographic.co.jp/news/news_article.php?file_id=63936611&expand)

カザフスタン北部は今でこそ乾燥帯であるステップ気候に属するが、古地理学や土壌学によると、紀元前3000年頃は現在よりも湿気があり、2メートルほどの丈の大きい草も生い茂っていたという。そして、ここには何百万頭を超す馬が生息していたと考えられていた。
イメージ 1
モンゴルに生息する「タヒ」(モウコノウマ:Equus ferus przewalskii)は、現在、世界で唯一とされる真の野生ウマであるが、1968年以降、生息が確認されなくなり、本国では一度絶滅したとされる。その後、海外の動物園で飼育されていたものを里帰りさせ、自然保護区のホスタイ国立公園内で繁殖を重ね、200頭を超えるまでになっている。
(ウィキペディアより引用: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A6%E3%83%9E)


ジオグラフィックの記事でこの分野の第一人者であるハートウィック大学の考古学者デイビッド・アンソニー氏のコメントが載っていたが、同氏の調査によると調査対象となった馬のうち10%の馬の歯にそのような摩耗の跡が見つかったとされている。骨や毛などでつくられたハミが使用されていたと推定した。
(カザフスタン北部以前はウクライナでハミが見つかったようだが、最近の調査では鉄器時代のスキタイ人によるものであることが判明したそうだ。)


バジリク古墳から出土した絨毯に描かれた騎馬民族の様子
イメージ 2

アルタイ山脈近くのバジリク古墳から、氷結によって鮮やかな色彩が保たれたままの絨毯が発掘された。紀元前2500年ごろに作成されたとされている。


青銅製のハミに関して言えば、より確実なところで紀元前1,300年から1,200年の間に使われ始めたとされている。


それでは馬車はいつぐらいであろうか?

これには主に物資の運送用に使われたとおもわられる4輪のついた荷馬車と、戦争用にスピード、小回りなどを考慮しながら生まれたチャリオットがある。チャリオットとは聞きなれないかもしれないが、壁画や映画ベンハーでも有名なあの2輪戦闘馬車だ。

映画『ベンハー』に登場したチャリオット
イメージ 3


四輪荷馬車の起源


馬の起源を探るうえではハミが一つのキーワードになったが、四輪式や二輪式の馬車を考える場合は重要なのは

車輪の起源だ。

車輪は最古の最重要な発明とされており、その起源は古代メソポタミアで紀元前5千年紀(ウバイド期)にさかのぼり、元々は轆轤(ろくろ)として使われていた。その北方のカフカースでは洞窟がいくつか発見されており、そこに紀元前3700年ごろから荷車などが使われていた痕跡が見つかっている。車輪のある乗り物(ここでは四輪で軸が2つあるもの)と思われる最古の絵は、ポーランド南部で出土した紀元前3500年ごろのものと思われる Bronocice pot に描かれたものである 
(引用 ウィキペデシア http://ja.wikipedia.org/wiki/車輪 )

ポーランドン南部で発掘された陶器(推定紀元前3550年)四輪の荷台が描かれている
イメージ 4

紀元前2000年ごろの荷台(フード付き)の模型
イメージ 5


以前は、車輪が発明されたのは紀元前4000年ごろのシュメールであったとされていた。しかし、最近の調査によると、車輪は、上記のポーランド南部の他、カフカース北部のマイコープ文化(今日のグルジア)インダス文明のハラッパー遺跡、そしてメソポタミアのウバイト文明でも発見され、おそらく様々な地域で同時に発明されたということが定説になっている。

車輪の歴史的変遷
イメージ 6

戦闘馬車チャリオットの起源


古代世界において、明らかに機能性と馬がもつ本来のUSPを活かそうとするために四輪車から二輪車へ改良を行ったというのは、シュンペーターの言うところの技術革新そのものだろう。

青銅器時代の隆盛とともに食糧問題が解決に向かうと、今度は資源や豊かな土地をめぐって争いが起こり始めた。

技術革新は、他でもない軍拡競争の賜物だろう。


青銅器時代の武器
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/0/01/Bronze_age_weapons_Romania.jpg

『The Standard of Ur』というシュメール文明の遺物がある。紀元前2600 – 2400年ごろに作成されたようで、大きさ縦21センチ、横50センチほどの箱には、貝、ライムストーンやラピスラズリなどのモザイクで装飾されている。実際何に使用されたのかは分かっていないらしいのだが、2つの大きなパネルから成り立っていて、1つは平和な日常生活を描いたもの、もう1つは戦争の様子を描いたパネルだ。戦争が描かれているパネルには、4輪車の戦闘馬車が描かれている。

http://www.britishmuseum.org/images/12_standardur_l.jpg

パネル『Peace』
イメージ 7


パネル『War』
イメージ 8


『The Standard of Ur』に描かれている4輪の戦闘馬車
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/8b/Standard_of_Ur_chariots.jpg


ついでに“シュメール人の都市国家ウル(Ur)“

Zigurat de Ur


また、同じメソポタミアにおいて紀元前2800〜2700年頃と推定される遺跡から2頭立て2輪の戦車(チャリオット)の模型が発掘されているが、どうもこれは、装着された4輪もしくは2輪の車輪があまりにも重いらしく戦闘馬車としては見られていない。


やっぱり、4輪の戦闘馬車などかったるいと感じていた民族が、2輪のチャリオット開発したのだろう。


そして、それは本質的に戦闘民族であった遊牧騎馬民族によって開発されたようだ。


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