幻のシリアゾウを追え! Part1
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ここのところ「検証: 聖書アラビア起源説!」シリーズを続けてきたのだが、本日は番外編だ。
前回の疑問点は・・・
トトメス3世は本当に象狩りをおこなったのだろうか?
シリア象は実在したのだろうか?
オリエント世界の美術品や工芸品の素材として象牙が使われていたにもかかわらず、「ゾウ」そのものがオリエント美術に登場しないのはどうしてだろうか?
ひょっとして象牙とは言っても、実際にはナイル川のカバの歯であるとか、イノシシの歯でも代用はきく。これらを単に象牙と言っていただけではないのだろうか?ひょっとすると、ファラオの墓の遺物やフェニキア美術に代表される「象牙製品」は、イノシシの歯とかなのかもしれない。
それに・・・
象の分布
これだけを見るとシリア象が実在したとはあまり考えにくい。
・・・いやいや 少し違うかもしれない。
古代エジプト人と象紀元前3000年に古代エジプト文明が勃興する以前、この地域からすでに野生の象は見られなくなった。しかし、ナカダ文化第一期(紀元前4500年〜紀元前3500年)のものと思われるロック・アートにはダチョウなどと一緒にはっきりとアフリカゾウが描かれている。また、ヒエロコンポリスでは、埋葬されたゾウの骨が発掘されている。紀元前3600年頃のものだという。
ナカダ文化については下記リンクをご参照ください ↓
古王国時代のエジプトで第六王朝(紀元前2347年〜紀元前2216年頃)といえば、強力な王権の下に巨大ピラミッドを築いてきた時代に幕を閉じた王朝だ。この時代、メソポタミアではシュメール文明も終焉を迎え、オリエント世界には新たな秩序が構築されることになる。気候の変動によって、ナイルの増水が思うように起こらなかったことが、王権の失墜をまねいたとも指摘されるが、貴族などの交易と経済力を背景とした新たな影響力のある社会層が台頭してきたことも原因の一つかもしれない。
その時代、上エジプトと言われるナイル川上流部にハルクフ(Harkhuf)と言う名の地方領主(知事)がいた。商人としての才覚もあった彼は時代の寵児と言うべく、第6王朝の3代目ファラオであるメレンレ(紀元前2250年〜紀元前2245年)と、彼の異母兄弟であるペピ2世(紀元前2245年〜紀元前2180年)に仕え、四回にわたるヌビア遠征を指揮した。
以下は下記サイトより抜粋
最初の3回の旅行は、第6王朝第3代国王メレンレ(Merenre/Mernere;在位 2255-2246BC)の命令によるもので、1回目だけ父親と一緒であった。1回目は7ヶ月、2回目は8ヶ月かけ、ともに貴重な産品を持ち帰ってきた。3回目には、途中でヤムの首長がテメー(Temeh;現在のリビアの一部とのこと)との戦争に向かうところに遭遇し、外交手腕を発揮して彼らの紛争を調停している。そしてその謝礼としてロバ300頭分の贈物(香料、黒檀、穀物、豹の毛皮、象牙...)が贈られ、危険地域から出るまで護衛までつけてもらって持ち帰った。 ペピ(ペピ2世)は、上エジプトの有力貴族クウイ家の娘の間に生まれ、わずか6歳でファラオに即位した。彼は100歳まで生き、実に94年の在位期間を持ったとされている。彼がまだ幼少の時、王に代わって実権を握ったのは王母アンクネスメリラー2世と宰相のジャウで、どちらもクウイ家の出身であった。
この時代、古代エジプトにおける象牙などの取引は南方のヌビアを仲介して行われていたとされる。ファラオや神官が象を直接目にすることはなかったのではないだろうか。
エジプトが再び黄金期を迎えた18王朝時代、先般のブログでトトメス3世が行ったシリア象の狩りについて書いたが、どうも象狩りを行ったのは彼だけではないようだ。
トトメス1世(紀元前1504年〜紀元前1492年)
彼の治世おそらく4年目か5年目の年にシリアに向けて軍事遠征をおこなった。その帰り道に象狩りを行ったと言う。彼の娘であるハトシェプストはその時に獲得した象牙をアメン神に捧げたことが、ハトシェプスト女王葬祭殿のリリーフに刻まれているという。
トトメス2世
碑文にかすかに「象」が読める程度
トトメス3世
120頭の象を狩った。前回記事参照 ↓
トトメスの家系図
トトメス三世からアメンホテプ2世の時代までの治世で宰相を務めたレクミラ(Rekhmire)という人物がいる。当時様々な職人の様子を描いた彼の墓(霊安所)は旅行者にも人気のスポットなのだが、この壁画の中に彼が、プントやヌビア、あるいはシリアから持ち込んだ様々な珍しい動物が描かれている。一番上の段にはヌビア人と思われる民族がキリンを連れ、そして下段の方にはシリア人と解釈される人物が「子どもの象」と「熊(?)」を連れている。
実はこの象・・・専門家の間ではかなり議論を呼んでいるものだ。
「子どもの象」にしては、この子が持つ牙は大きく発達していて、すでに成人の象のようである。一方でさらに議論を難しくしているのが、この象が「毛」で覆われているようなのである。クマのような動物も並んで描かれていることから、ドワーフ・ウーリーマンモスとの意見もあった。他にはデフォルメ的に象の牙を大きく、そして身体を小さく書いているという説もあるが、しかしそれでは他の動物と比べた時に、なぜ象だけ小さくするのか説明がつかない。
映画「センターオブジアース2 神秘の島」に登場した小さな象は、人が軽々持ち上げられるほどなのだが、ドワーフ・エレファントも、成人で隊長は1メートル半、肩までの高さが90cmぐらいしかない。シチリア島、マルタ島、クレタ島、キプロス島といった地中海の温暖な島々で発見されている。・・・そもそもこの時代にまで生きていたのだろうか?
シチリア・ドワーフ・エレファント
考古学的には、北アメリカのベアリング海峡にあるセント・ポール島で発掘されたドワーフ・エレファントは、紀元前6000年頃のもので、更に北極海のウランゲリ島には、紀元前1700年頃のマンモスが発見されている。そう言えば何年か前に『紀元前1万年』という映画でマンモスがピラミッド建設を手伝っていたというシーンがあった・・・。
ではこの象はいったいどこから来たのか?
なぜ、シリア人が連れているのだろうか?
シリアゾウはどこから来たのか?奇妙な話だが、ソロモンやダビデの時代にはシリア地方にはゾウがいたという。。。アジアゾウの中でも最も身体が大きく、肩までの高さは3.5メートルであった。もともとアジアゾウはアフリカゾウに比べて脳が発達し、紀元前4000年ごろのインダス文明では野生の象を調教するようなことがされていたという。戦象として調教され実際に戦争で登用されたのは、紀元前1100年ごろでサンスクリット語の詩に述べられている。
紀元前400年頃にはエジプトのファラオが、Ptolemais Theron(狩猟のプトレマイオス)と呼ばれる湾岸商業都市を、クシュ王国の首都があったメロエから紅海へ出口に建設し、そこで大々的な象牙の取引を行った。また、メロエ王国(紀元前280年頃)にはすでに象が戦争に使われていた痕跡がある。
ところで、
ヨーロッパの人間が最初に出会ったのは、インドゾウだ。
紀元前331年のガウガメラの戦いで、アレキサンドロス3世率いるマケドニア王国とギリシアの連合軍は、そこではじめてとアケメネス朝ペルシア軍の15頭の戦象と遭遇する。記録上ではこれが最古なのだが、そこからすぐ、紀元前326年にアレクサンドロス3世がインド諸侯と対峙し、ヒュダスペス河畔の戦いがおきた時、再び戦う象の悪夢がよみがえる。その後、紀元前4世紀から紀元前3世紀にかけてはオリエント世界のほとんどの戦いで戦象しようされることになる。 ストラボン(紀元前63年頃〜西暦23年頃)やポリュビオス(紀元前204年〜紀元前125年)に記すところによれば、セレウコス1世やアンティオコス3世はインドから象を大量に輸入していたと伝えられている。セレウコスは属州インドを引き渡す代わりにマウルヤ朝のチャンドラグプタから象500頭を受け取り、前301年のイプソス の戦いではそのうち400頭が投入され、敵を深追いしたデメトリオスとアンティゴノスのあいだに象を割り込ませて両者を分 断してアンティゴノスを破ったという事例もある。 セレウコス朝とプトレマイオス朝の間で戦争が起きた時は、まさにインド象とアフリカ象が激突した。
セレウコス朝はインド象を集め、プトレマイオス朝はアフリカ象を集めて象部隊を編成していたが、それではどちらの象部隊の方が強力だったのであろうか。現存する象の種類から考えるとアフリカ象の方がインド象より大きいため、 プトレマイオス朝の象部隊の方が強力であるように思うかもしれない。http://historia334.web.fc2.com/history/antigonos/b-1-7.html マルミミゾウ(確かに弱そう ↓)
ふむ。
それじゃ ポエニ戦争で有名になったハンニバルの象は何処から来たのか?
どこで調達したのだろうか?
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