政府紙幣を考えるブログ

政府紙幣をメインにはじめたのですが、歴史を追ってマネーの迷宮に迷い込んでしまった。

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2009年8月13日

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紙幣の父 ジョン・ロー (3) 貨幣数量説の萌芽

ジョン・ローまで経済学の流れをざっとおさらい中
前回→http://blogs.yahoo.co.jp/alternative_politik/20407924.html

16世紀におこったヨーロッパ全域におけるゆるやかなインフレという現象を説明すべく経済学は発展をはじめ、物価の上昇に伴う貨幣価値の減少により、利子に対する考え方も少しずつ変化していき、封建的な社会構造も徐々に崩壊していくことになる。重商主義と聞くとどうしようもない幼稚な経済学理論と思われがちだが、スコラ学派の聖トマス・アクィナスや実業家のトーマス・マンは先進的なアダム・スミスの先駆けとも取れるような理論も展開していく。

重商主義の考えはウィリアム・ペティ生産要素の価値所得分配などの考えが加わることにより、国家の代弁者的な理論展開から純粋な学問として発展していく。

土地は富の母で、労働はその父である


ウィリアム・ペティ(1623-1687)は、イギリスの医師、測量家、経済学者。労働価値説を初めて唱え、また、政治算術派の先駆となったことから、古典派経済学と統計学の始祖ともいわれる。

ウィリアム・ペティ(William Petty)
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この政治算術という摩訶不思議な学術分野は、当時確立しつつあった主権国家を1つの生命体とみなしてこれを解剖学のように分析を行い、その国家が持つ国力とその未来予想を行うことによって将来の国家の動向を予想しようとしたのである。特に重要視されたのは人口で、その多寡は国家の将来に大きく影響すると考えられていた(ウィキペディア)

彼は所得分配と、「生産要素」ごとの貢献の相対的な価値に注目するようになった。かれにとっての生産要素とは、基本邸には労働と土地だった。地代は賃料支払い後の余剰だという発想を開始したのはペティだった。ペティの考察はリカード派の地代(レント)を先取りするものだった――それどころか、かれは市場からの距離の応じて土地からのリターンがだんだん減るという議論までしているほどだ。

ペティにとって、賃金は労働者に必要な金額によって決められる。つまり「生きて、働いて、生み出す」ために必要なお金だ。ペティはこれをもとに、「労働価値説」を創始した。ここでは財の相対価値は、それを生産するために必要な労働時間の相対量で決まってくる。かれはこれを、相対的な労働時間と相対価格のどっちについても、アービトラージを根拠に正当化した。また、資本の利息が地代と等しくなると論じるときにもアービトラージ型の理由づけを使っている(でもペティは、実はまともな独立した資本の理論を持っていなかったのだけれど)。だからペティは、後の古典リカード派ドクトリンの多くを先取りしているわけだ。
引用→ http://cruel.org/econthought/schools/mercant.html

さて、16世紀後半におけるフランス経済は、繁栄を極めるスペインやオランダ、そしてイギリスなどを横目に比較的停滞した時代を迎えていた。それは長引く宗教戦争や植民地政策に乗り遅れた。16世紀のインフレは旧貴族の没落と新貴族の台頭をもたらし、蓄積する富の番人となる官僚を発達させていった。

イギリスやオランダでは,商人,製造業者,金融業者はいちど資産を手に入れると、これを事業に投資し、子孫のために企業の発展によってその経済的地位を高めてやろうとする。これに対して,フランスでは,官職購入に投じられ,そこから年金を得ようとする。これがフランス産業の沈滞の原因であり、冒険精神・企業家精神にかわり、年金あるいは金利生活者(rentiers)への性向を生み出させることになってしまった。

 後のフランス重商主義の産業保護育成政策が,企業家のイニシアティブによるよりも国家資本の力による国立製造業(manufacture d’Efat)や王位製造業(manufacture loyales)に傾斜しなければならなかった大きな理由の一つは,ここにもあったのである。

その後、重商主義はダドリー・ノース卿 (Sir Dudley North) とジョサイア・チャイルド卿 (1693)によって、国際貿易がゼロサムゲームではなく、双方にとって有益なものに成り得るということを認識しはじめる。ノースは独立した生産要素として「利益」と「資本」について論じた最初の人物でもあり、お金が価値があるのは、資本として貸し出された時に限るということを認識した最初の人でもある。

ジョン・ロックの貨幣数量説


ジャン・ボダン以来の貨幣数量説もどきを展開した人物としては、社会契約論者として有名なジョン・ロックがいる。ロックは何とお金の「速度」という概念を定式化して、貨幣数量説を実質的に創始した。フリードマンが実質マネーサプライと言うものを「○週間分のお金」という表現を使うのに似ているのだろうか?

ジョン・ロック (John Locke)
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ロックは、金利を法的に引き下げると交易が崩壊するかもしれない、というのもそれはお金の「自然の希少性」を反映していないから、ということを認識した。お金が崩壊したら、産出または価格も暴落する。価格が下がればイギリスの財は相対的に安くなり、外国の財は相対的に高くなって「どちらもわれわれを貧しくしてしまう」(Locke, 1692)。マンとちがって、ロックはそうなれば輸出が促進されてうれしいとは思わなかった。

ジョン・ロックが労働価値、貨幣、所有権について述べているのは何とも興味深い。学校でジョン・ロックを教わった時は『社会契約論』だとか啓蒙思想に一環で名前程度は覚えたが、改めて知ると結構面白い。

彼の貨幣が『労働の成果を腐敗させること無く蓄積することを可能にする』という認識はユニークだ。そして社会の繁栄をもたらすものとして貨幣システムは受け入れられ、富の蓄積と国家の発展に寄与するという考えの他、貨幣の基本的な機能、つまり交換媒体であるとか、価値の貯蔵手段であることについてはっきりと認識している。

そして、貨幣発行券についても面白い示唆に富んでいる。
以下は→ http://www.l.u-tokyo.ac.jp/cgi-bin/thesis.cgi?mode=2&id=625 より抜粋
現実の市場には、貨幣の独占を背景に、自らが設定した利子率を借り手に強要する銀行家や、買い手の無知や窮状に付けこむ売り手が存在し、それらが市場の存立と貨幣所有者の自由を脅かす。ロックは、政府による市場への介入に対しては、市場参加者の所有権に対する侵害を構成しうるという理由から、原則として反対の立場をとるのだが、貨幣の独占や取引当事者間の知識の非対称性を市場から除去し、以って、市場で弱い立場にある人びとの自由を確保すべく、政府が立法によって市場に介入することを例外的に許容する。

ここでジョン・ロックが議論している内容がまたすごい。ゲームの理論でも展開するかのように情報の非対称性を述べ、貨幣の公共性を説いているのだ。

フランスの重商主義とコルベール主義


アンリ4世(1589-1610)以来、フランスは何んとかイギリスやオランダに追いつきたいと思い、リシリューマゼランなどの官僚が推進力となり重商主義政策を推し進めてきた。マゼランの時期にジャン・バティスト・コルベール(Jean-Baptiste Colbert)が、ルイ14世の政策推進者として加わるようになった。

1661年に長年ルイ14世の宰相を務めたマザランが死去すると、コルベールはルイ14世親政下の財務担当となり、フーケの失脚によって権力を握った。1664年に財務総監に就任したのを始め、20年以上にわたってフランス絶対主義時代の財務を担当した。この間、重商主義的な観点からフランス東インド会社だけでなく、西インド会社・レバント会社・セネガル会社などを設立し、また17世紀前半に発見され、細々と植民拠点が維持されていたケベック(フランス領カナダ)に大規模な植民団を派遣した。(ウィキペディア)

ジャン・バティスト・コルベール(Jean-Baptiste Colbert)
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コルベールは,アダム・スミスによって,国内製造業の保護育成,対外貿易促進のためのinterventionist の典型として批判された。それはまさに王立・国立および特権製造業の保護育成政策にかかわることであった。しかし,コルベールが農業にまったく関心がなかったわけではない。

コルベールにおいて、農業は、最も重要な徴税の源泉であり,国内製造業のための原料の供給源であり,国内消費対外貿易の需要品目としての穀物をはじめとする産出物の供給源であった。ただし、コルベールの場合,農業政策は,どちらかといえば工業を成長させ、輸出を増大させるための政策として取りあげられがちであった。すなわち,農業政策は、工業や貿易を促進させるために、農産物、とくに穀物の低価格政策という形をとってあらわれた。さらに,不公平な租税負担が農民に加重された。

フランスの重商主義は,時にはコルベールの名をとってコルベルティズム(Colbertism)と呼ばれるが、この呼称はフランスばかりでなく、当時のヨーロッパ先進諸国の経済政策,および経済理論をも指している。すなわち、重商主義の別名とさえいえるわけである。

コルベールの国富増進政策は,フランス的には貴金属至上主義(クリソエドニズム)であり,貨幣の蓄積を中心として考えている。「財政が国の最も重要かつ本質的な政策であり」,そのためには「人民をしてより多くの租税を容易に支払いうるほど王国内に貨幣量を増加させる」必要があることが主張されている⒁。つまり,貨幣量の増大は財政の充実をもたらし,それがフランス王国の強大化に通じるというわけである。こうした考えは,しばしば引用されるコルベールの「国の偉大さと力の差をもたらすのは,国にある貨幣の豊富さにほかならない⒂」とか,「われわれが現金をふやせばふやすほど,国家の力,偉大さおよび豊かさを増加させる⒃」という言葉に集約されるものである。

このような考えに基づいて,コルベールは,第一に,金銀の国外への流出を防止し,第二に,外国からの金銀の流入を増大させようとする。第一の点については,直接的な体刑あるいは没収の手段によって,金銀(貨幣)の流出を防ごうとしたし⒄,第二の点については,商工業に対する有効な施策によって,その目的を達成しようとした。「商業,製造業,および家畜の増殖は,貨幣を引き寄せる唯一の方法である」というわけである。

以上 ↓より抜粋もしくは引用
http://seiglib.seigakuin-univ.ac.jp/toppage_composition/topics/0000000092/0000000092-25A.pdf

あまり知られていないが、1674年に彼はCaisse des Empruntsという名前の預金銀行設立も行った。しかしこの銀行はそれほど長くは持たず1709年には破綻している。

そして いよいよ ジョン・ローの登場だ。

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