教科書にナイ憲法コーギっ!

『NHK受信料制度 違憲の論理』(TTS新書)発売中。小沢一郎政治塾出身。

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学説というもの

学説というのは、それ自体、なんら法的な拘束力をもつものではない。これは、東大の総長の学説だろうと私のそれだろうと、研究を専門としない者のそれだろうと同じである。もちろん、実際の影響力だとか、自説に従わなければ大学において単位を認定しないなどの不当な拘束力はのぞいた、あくまでも法的な拘束力のことである。

この学説も、ひとたび、有権解釈機関が採用すれば、一定の拘束力を持つようになる。例えば、ある学説に基づいて、国会が法律を制定すれば国民を拘束するものになるし、行政機関が命令を発すれば、下級官庁または法律の委任がある場合には国民を拘束するし、裁判所の判決は当事者を拘束する。ただ、拘束力の源泉は、学説を提唱した学者にあるのではなく、それを有権解釈機関が採用したところにある。いかに多数の学者が支持する学説であろうと、違憲審査基準として知られる二重の基準論は裁判所は採用していないし、逆に、自衛隊の問題など、学説では少数と思われるものが国会や政府の見解となっていたりする。

言うまでもないが、この学説、教科書的には通説だの多数説だの言われるものがあるが、それはただ多数の支持という事実があるだけで、真理を表しているものではない。だいたい、通説とされるものを寄せ集めたら、憲法の理論としては破綻する。例えば、「国会は国権の『最高機関』」であることは、法的には意味のない、政治的美称に過ぎないとするのが通説である。三権分立である以上、ある機関が他の機関に優位してはならないのだという。その一方で、最高裁判所規則と法律が抵触する場合には、法律が優位するというのが通説だともいう。三権が対等であればそういう理屈にはならないはずだ。法的に国会が国権の最高機関と認める立場なら容易に説明がつくが、そうでないのだから、一部の学者は矛盾した理屈を唱えていることになる。。ちなみに、この憲法を制定した者は、三権分立が憲法に先行する原理ではなく、憲法によって権力分立の程度が決定されることを明らかにしている。

ともあれ、資格試験を目指す者でないかぎり、他人の学説を無批判に受け入れる必要はない。各自、感情によってではなく、論理にしたがって考えればよし

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裁判員制度3年、廃止せよ。

裁判員法附則には、施行後3年で、必要があれば見直すことが記されている。当初の目論見と異なって、裁判は長期化するは、わかりやすい説明に努めたらかえって混乱するは、見直しどころは数あれど、そもそも、憲法違反の制度だということから見直してもらいたい。

ふだん、人権擁護を唱える憲法学者さえもが、この制度に疑問を持たないことが不思議で仕方がない。この制度も、検察審査会の強制起訴制度も、国民が国家権力に加担あるいは直接行使して、同胞である国民の人権を侵害するものだということになぜ気がつかないのか。国家権力によって不起訴とされた物を刑事被告人に仕立て上げたり、裁判官だけの合議では無罪となるものも、有罪としたり。人権よりも、社会正義を重視するならそれでもかまわないだろうけど(「正義」なんて内容不明だがね)。

憲法に基づく国家機関、この憲法が実施される前あるいは国家にもともと備わっていて、憲法に記すまでもない国家の機関以外の者は、国家権力を行使することはできない。「国民主権に基づく機関だから、裁判員は司法権を行使できる」などというのは憲法無視を宣言したに等しい。過去・現在・未来とつながる抽象的観念的存在としての主権者国民の意思は憲法に現れているのであって、その憲法が、現存国民の一部の者の権力の行使を認めていない以上、憲法改正なくして、裁判員など認められない(もちろん、強制起訴も)。

かろうじて、憲法で保障された参政権を根拠に、国民の国政(立法・行政・司法)への参加は正当化できるかもしれない。とすれば、参政権の本質を考えねばならない。通説のように参政権が、「権利」ならば、選挙権を放棄してもお咎めがないように、裁判員への就任を「理由なく」拒否できなければならない。参政権の中に、権利としての部分と、義務としての部分が同居するという理屈は理解を困難にするだけである。

私は、参政権の本質を「公務あるいは義務、公務就任の地位や資格」と、教科書的にはすでに絶滅したかのように扱われる立場にいる。ちなみに、諸外国で、選挙権の不行使に、なんらかの不利益を課しているのも、権利とは考えていないからである。私の立場では、裁判員も参政権の一環としてもかまわない。しかし、憲法上、裁判員に司法権という国家権力の一部を行使させる根拠がない。選挙権に関する規定と比較すれば明白である。裁判員も検察審査会も、参政権の一環として、裁判所や検察に「意見表明」は許されるが、権力の行使は許されないのだ。

ことの本質を考えず、裁判官(あるいは検察)と国民の感情が乖離しているだとか、そんな表面的な事由で、こんな法律を制定した国会議員の罪は重い。どうしても国民を参加させるというのであれば、憲法の趣旨に従い、不当な裁判あるいは不当な起訴に対して抑制できるような制度しかない。国家機関と一緒になって、国家権力を行使することは、少なくとも現行憲法は明記された例外のほかには認めていない。憲法を改正して、例外的に、国民の権力行使を容認するというのであれば、憲法の趣旨からははずれるけれども、憲法制定者の意思として、従わざるをえないが。

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指定弁護士の控訴権、再び。

再三、検察審査会法によって指定された弁護士には控訴権がないことを指摘してきた。一部のメディアもやっとことの異常さに気づいたらしく、このことが指摘され始めた。もっとも、裁判員制度のときも、制度が動き出すまでは批判を許さず、動き出してしまえばもはや止められないだろうと、批判を始めるのがメディアだが。

他方、控訴できるという見解も、もちろん存在する。検察審査会法上の指定弁護が控訴できないのならば、「控訴できない」という規定がなければおかしい、のだという。だが、この見解こそが、ことの本質を見誤ったおかしい見解である。指定弁護士による公訴および控訴が、検察による場合の例外である以上、刑事手続きにおいては、法上、「控訴できる」と明記していなければならない。

刑事手続きにおいては刑事訴訟法が基本である。仮に、真に犯罪をなした者であっても、この手続きに違反してなされた場合には、無罪としなければならない。手続法とはそれほど重要なものである。そこで刑事訴訟法上の指定弁護士の規定を中心に、再度、検討してみる。

控訴に関しては刑事訴訟法第351条に規定がある。

刑事訴訟法第351条
 検察官又は被告人は、上訴をすることができる。
 第266条第2号の規定により裁判所の審判に付された事件と他の事件とが併合して審判され、一個の裁判があつた場合には、第268条第2項の規定により検察官の職務を行う弁護士及び当該他の事件の検察官は、その裁判に対し各々独立して上訴をすることができる。

検察官と被告人のほか、「第268条第2項の規定により検察官の職務を行う弁護士」も控訴権を有する。これが刑事訴訟法上の指定弁護士である。ここから、順番に関連条文をみていく。

刑事訴訟法第268条
 裁判所は、第266条第2号の規定により事件がその裁判所の審判に付されたときは、その事件について公訴の維持にあたる者を弁護士の中から指定しなければならない。
 前項の指定を受けた弁護士は、事件について公訴を維持するため、裁判の確定に至るまで検察官の職務を行う。但し、検察事務官及び司法警察職員に対する捜査の指揮は、検察官に嘱託してこれをしなければならない。
(3-5項省略)

刑事訴訟法第266条
 裁判所は、第262条第1項の請求を受けたときは、左の区別に従い、決定をしなければならない。
一 請求が法令上の方式に違反し、若しくは請求権の消滅後にされたものであるとき、又は請求が理由のないときは、請求を棄却する。
二 請求が理由のあるときは、事件を管轄地方裁判所の審判に付する。

明文で「裁判の確定に至るまで」と規定されているから、当然、控訴権が認められる。検察審査会法には、「裁判の確定に至るまで」という文言はない。法の解釈においては、異なる表記であれば、異なる意味をもつのが原則であるから、「裁判の確定に至るまで」ということばの有無は大きな違いとなる。仮に、同じ意味だとすれば、杜撰な立法という評価を免れない。

刑事訴訟法第262条
 刑法第193条 から第196条まで又は破壊活動防止法第45条若しくは無差別大量殺人行為を行った団体の規制に関する法律第42条若しくは第43条の罪について告訴又は告発をした者は、検察官の公訴を提起しない処分に不服があるときは、その検察官所属の検察庁の所在地を管轄する地方裁判所に事件を裁判所の審判に付することを請求することができる。

刑法第193条 公務員職権濫用
刑法第194条 特別公務員職権濫用
刑法第195条 特別公務員暴行陵虐
刑法第196条 特別公務員職権濫用等致死傷

しかも、この指定弁護士は検察審査会法上のそれと性質が異なる。「告訴又は告発をした者」の請求によって裁判所の判断で審判に付すかどうかを決めるのであって、検察審査会という憲法外の機関の強制起訴によって、形式的に裁判所が指定するものではない。控訴するにも「告訴又は告発をした者」と相談ができるが、検察審査会とは相談できない。強制起訴を議決した審査会はすでに消滅している。

検察審査会法には控訴の規定が存在しない。検察審査会法が刑事訴訟法の特別法とみるにしても、性質がまったくことなるにもかかわらず、検察審査会法の規定がない部分を、刑事訴訟法で補うことは、被告人の権利・自由を侵害することに加担するものであるから、刑事司法の原則に反する。刑事訴訟法で明文をもって、検察審査会法の指定弁護士にも適用する規定をおかないかぎり、適用は許されない。

「規定が存在しない場合」は、単純に、規定がないから許されるだとか、逆に、規定がないから禁止されると判断することはできない。憲法や、刑事訴訟法が何のために存在するのか、「法の入り口」の問題を解決してからでないと解釈はできない。

憲法は国家権力を拘束し、国民の自由と権利を守るためにある。そうであるから、控訴に関する規定がないということは、控訴できないという意味でとられねばならない。

ところで、刑事訴訟法第351条2項は、指定弁護士の審判と検察官による裁判とが併合された場合、両者に控訴権があることを規定している。私は刑事訴訟が専門ではないので、起こりうることなのかどうかもわからないが、検察審査会によって強制起訴された裁判と、検察官による裁判が併合されることはないのだろうか。あるとしたら、検察審査会の指定弁護士にも控訴権が与えられるのだろうか。この条文を読む限り、刑事訴訟法の指定弁護士に限定されているようにしかおもえないのだが。

刑事訴訟法第351条
 検察官又は被告人は、上訴をすることができる。
 第266条第2号の規定により裁判所の審判に付された事件と他の事件とが併合して審判され、一個の裁判があつた場合には、第268条第2項の規定により検察官の職務を行う弁護士及び当該他の事件の検察官は、その裁判に対し各々独立して上訴をすることができる。

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みんなの党憲法改正の基本的考え方の基本的問題

みんなの党は4月27日に憲法改正の基本的考え方を発表。
先日の憲法改正の骨子とあわせてみると、なんとなくカタチが見えてくる。
とても「改正」ですむ内容ではなさそうだが。

以下、みんなの党の発表項目ごとに検討。
詳細な説明がないので、推測によるものもある。
疑問というか問題というか。せめて、憲法の教科書を1冊くらいは読みましょう。

性格
軟性憲法、改正手続きの簡略化
*国民投票法制の整備

先日のブログでも指摘した通り、「軟性憲法」の意味が、現在の憲法の考え方と異なる。
改正手続きを簡略化しただけで、軟性憲法というわけではない。
新しい基準で軟性憲法を定義するなら、それを示してもらわないと理解できない。
骨子では、国民投票はなしとしていたが、ここでの国民投票法との関係が不明。

立法権
道州制との関係で、国会の立法事項を限定

国内における国権の最高性を否定するらしい。つまり、道州の問題には国家は介入できない。
骨子で、道州裁判所を設置としていたのは、道州に司法権も委譲する意図からか。
現在の地方「自治」では、条例の制定権が、原則として法律と命令の範囲内であるから、それを拡張することになる。
憲法で、単一国家を分解して連邦制にするようなものだ。
地域主権を、ことばどおり、法的に、地域に主権を与えるのであれば、必然的に連邦制になるが。

平和主義、安全保障
国際平和に貢献し、我が国を防衛するため、自衛権のあり方を明確化
2年間の国民的議論のうえ、国民投票を実施して決定

何を国民投票で決定するのかわからないが、安易に国民投票に頼ることは、国会議員の職務を放棄することに等しい。かつて、民主党が、憲法改正のほかに、国政の重要事項についても国民投票を実施することを求めていたことを思い出す。

骨子
・天皇は象徴で元首
・国旗は日章旗、国歌は君が代。いずれも国の表象
・侵略戦争を否認、国軍を保持。軍事審判所を設置
・政党規定を明記
・一院制を導入(立法議院)、立法事項を限定
・首相公選制を導入
・道州制を導入し、道州裁判所を設置
・憲法改正は、国会議員の5分の3以上で可決。国民投票はなし(軟性憲法)

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自民党憲法改正草案の疑問点

以前作成されたものよりは、現実的な印象。
もちろん賛同できるところもありますが、ざっと読んで気になった点を少し。

前文1段
わざわざ「三権分立」と規定する必要があるのか。近代以降、権力分立が当然の要件として求められているし、条文から権力分立を採用していることは明白。権力分立を、M.J.C.Vileにならい、国政作用・組織・人の分立の面からみれば、議院内閣制は、アメリカのようないわゆる三権分立とは異なるし、会計検査院が独立して活動する以上(憲法上、「独立」との明記はないが、独立していなければ無意味)、組織としても4つになる。

前文3段
「日本国民は...基本的人権を尊重するとともに...」とあるが、基本的人権を尊重するのは、権力を行使する側、つまり国家である。憲法は、そもそも、権力を拘束し、国民の自由を確保するためにあるのだから。

前文5段
「日本国民は...この憲法を制定する」というのだから、主権者が国民であることがわかる。この関連でみれば、前文1段の「国民主権の下」という記述と重複する。

第1条
「元首」を定義しないと、規定してもさっぱり意味がわからない。

第3条2項
国旗国家尊重義務の追加によって、国民の義務規定が増えた。国民としてあたりまえのことなので、意図は理解できるのだけれども、憲法に規定することかどうか。

第6条以下
「天皇は、国民のために」とある。わざわざ「国民のために」は不要ではないか。当たり前のことを規定すると冗長になる。

第8条
「皇室に財産を譲り渡し、または皇室が財産を譲り受け」の文。意味が重複しているのだから、直してもらいたかったが。

第9条の2
「国防軍」だと海外派遣したときに名前と実態が乖離する。単に「軍(軍隊)」でいいのでは。

第19条の2
「個人情報の不当取得等の禁止」が憲法にある以上、国家の禁止行為と思いきや、国民に命じられている。憲法の意味がわかってないのかな。国民に命じるなら法律でよし。

第21条の2
国民の権利および義務のところに、独立した条文で「国の義務」をおかなくても。第25条の3、第25条の4は社会権として国民の権利とは言いがたいものもあるからわからなくもないが。

第60条、第73条5号
「予算『案』」となった(「法律『案』」にそろえたのだろうけど)。第73条5号では、内閣が「法律案」も提出できることが明記された。これまで予算案でなかったのは、予算が行政権に属するため、国会に「案」を提出しているのではないという姿勢をとっていたから。これまで、憲法で、内閣の法案提出権が明記されていなかったのは、法律案作成が、本来の行政の仕事ではなかったから。改正草案は現在の状況にあわせたのだろうけど、本質が見失われる可能性がある。

第99条3項
緊急事態に、基本的人権を最大限に尊重していたら何もできない。緊急事態には、基本的人権を含む憲法上の権利や自由を一時的に停止することが必要。

第99条4項
緊急事態宣言中は、衆議院の解散はないようだけれども、解散後の緊急事態はどうなる。そんなことを、4月27日の産経新聞「談話室」に書いたが。

第102条
国民にも、憲法尊重擁護義務が課せられた。都合、国民の「六大義務」になったのか。

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