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『NHK受信料制度 違憲の論理』(TTS新書)発売中。小沢一郎政治塾出身。

小沢一郎の政策研究

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小沢一郎の政策研究(3)


II、格差をなくして国民が助け合う仕組みをつくる

子ども手当と親手当の創設
社会の基本単位である家族の再生のために、親と子の支え合いをあと押しする制度を導入し、子育てに対する「子ども手当」と、親と同居している世帯に対する「親手当」を創設する。また、年金受給者については、若年・壮年世代との給付のバランスを図るため公的年金控除を引き上げる。

バラマキと批判されている子ども手当だが、これには高額所得者の支給制限がついている(後述)。給付の形態については触れていないが、現金給付では本来の目的が達成できないことは明らかになったから、方法の見直しは必要だ。従来の児童手当と本質は変わらない。「親手当」はあまり注目されていないが、介護と関連付ければ考える価値がある。現在、原則として、親と同居し、介護をしていても、家族が介護している限り、介護保険が適用されず、すべての負担を家族が負うことになり、親の介護をしたくても難しい状況にある。自宅で親を介護する者に対して、なんらかの給付をしたいところ。介護保険のために、わざわざ他人に親の介護を任せなければならないのである。もちろん、介護される側にしても、家族の世話を受けることが苦痛とする者もあるようだから、すべて家族での介護を義務付ける必要もない。ちなみに、前上小阿仁村小林村長は介護保険法42条の過疎地特例を利用して、自宅で介護する世帯に現金給付をした。厚生労働省はこの制度の一般化には、家族介護はかえって家族関係を損なう等の理由で消極的だが、その理由が妥当かどうかは疑わしい。単に同居しているというだけで支給するのでは意味がないかもしれない。

雇用のセーフティネット
野放図な非正規雇用の増加が社会の二極化、不安定化を招いていることから、希望者については非正規雇用から正規雇用への転換を推進するとともに、常勤者の「同一労働=同一賃金」の原則を確立する。
終身雇用を中心とする日本的雇用制度は、わが国にふさわしい雇用のセーフティネットとして再評価し、雇用法制はあくまでも長期安定雇用を基本とする。官・民とも管理職については徹底した自由競争の仕組みを導入する一方、非管理職の勤労者については終身雇用を原則とする。
子育てや介護で離職した人たちの再就職を促進する仕組みを創設する。特に、子育てが一段落した女性(男性でも可)の職場復帰を推進する。

もちろん、非正規雇用がすべて悪いといっているわけではない。非正規雇用(フリーランス)でかえって優遇されている者もいるし、望んで責任から開放された非正規雇用を選んでいる者もいるから、あくまで、常勤者と同一の仕事をしていながら地位が不安定な非正規雇用者にならざるを得ない者の保護のことを言っていると考えられる。ともあれ、「二極化」を緩和することは必要。ただ、それが簡単でないから、解決されていない。実際、どのような制度がいいのか机上ではわからないことも多い。このあたりは、試行錯誤が必要な領域。

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小沢一郎の政策研究(2)


義務教育の拡大と子育て制度の一元化
高等学校までを義務教育化したうえ、中・高一貫教育を実現する。また、就学年齢を5歳に引き下げるとともに、就学前教育の無償化を推進する。幼稚園、保育所など子育てに関わる制度は完全一元化する。

高校を義務教育とするのである。義務教育となれば、憲法26条に従い、無償とすることができるが、ただ「無償化」というのは不平等な制度でしかない。就学年齢をいくつにするかの論理的基準はないが、4月入学とした場合に、いわゆる「早生まれ」児童の負担を考えれば、就学時期を任意に1年遅らせることができるなどの選択ができてもいいかもしれない。


すべての国民に高等教育の機会を保障
すべての国民は生まれた環境にかかわりなく、意欲と能力に応じて高等教育を受けることができるように、奨学金制度の抜本的拡充を実施する。

高等教育とは、大学・短大・高等専門学校など、高校卒業後の教育機関のこと。高等学校は、後期中等教育にあたる。高等教育はあくまで「意欲と能力に応じて」のことであって、意欲と能力のない者の面倒を見る必要はない。能力のある者は、それに応じて評価するのも平等であって、能力のある者もない者も同様に扱うというのが平等というわけではない。返還義務のない奨学金制度の拡充は期待したい。


社会ルールの学習
学校週5日制を見直し、毎週土曜日は、教師、父母、生徒・児童、地域住民、様々な団体、企業が力を合わせ、スポーツ、ボランティア活動、伝統文化の継承等を通じて、子どもたちが社会を知り、ルールと教養を身につける日とする。

土曜日に、これらを義務付けることには賛同しがたいが、土曜に限らず、人として必要なことであるのは間違いない。土曜日をそういう教育に使っても良いという程度ならいいのではないか。週5日制以前は、授業以外の行事が多かったような。

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小沢一郎の政策研究(1)

 有力な政治家の政策はメディアが報じてくれるが、正確なところは伝わっていない。メディアの考える「正義」に適った一部分(あるいは適わない部分)だけが大々的に報じられ、世論がメディアに都合よく形成されている。もちろん、これから私が書くことも、私の「正義」に従ったものにすぎない。私が書くものに影響力はないが、偶然にも目にした人にとっては、賛同であれ反対であれ、考える契機となってほしい。とりわけ、メディアによって悪意を持って読むような雰囲気を作られてしまった小沢一郎の政策は、冷静に読み返す必要がある。公式に知ることができる小沢一郎の政策は「小沢一郎ウェブサイト」にある。最新の政策として2006年11月の「政権政策」があるが、これは政権政策委員会が作成したものであることから、小沢一郎の政策とは異なるものと考え、ここでは、民主党代表選挙出馬表明にて(平成18年9月11日)で発表されたものを分析対象にする。以下、小沢一郎の政策はイタリックで表記する。なお、分析にあたっては、文面から読み取れる範囲であり、小沢一郎の本心とは異なることもありうる。


私の基本政策 公正な社会、ともに生きる国へ
私たちは、日本の仕組みを一新することで、日本の良さを保守し、国内でも国際的にも「公正な国」を実現するために、早期に自ら政権を担い、当面、以下の6つの改革を実行する。

I、「人づくり」から「国づくり」を始める
日本国教育基本法の制定
「教育の崩壊」とも言える現状を根本から改めるために、現行の教育基本法に代わり、「日本国教育基本法」を制定し、国の最終責任と市町村の役割を明確にした教育制度を構築する。


 教育の崩壊は多くが認めるところだと思う。憲法上も、これに関連して、教育権の所在をめぐり「国家教育権」と「国民教育権」とが対立している(なお、裁判所の立場は、折衷説)。どの国においても、教育は「国民」を作ることである。国の方針が気に入らないからといって、一部の者が独自の教育を施したのでは国家は維持できない。もっとも、国家が教育の最終的責任を負うとしても、国家の方針がどうあるべきかは、国民が選挙によって決めることになるわけで、政治的に未熟なの国民が選択を誤れば、教育の方針も容易に変わってしまう。本章のタイトルは「『人づくり』から『国づくり』を始める」だが、どのような人をつくるのかは、ここでは触れられていない。制度に関する限りである。

 ちなみに、私が、小沢一郎政治塾に在塾していたときの意見表明で、小沢塾長と大学院の指導教授にならい、「人づくりの重要性」を説いたが、ある議員から「オマエは宗教家か!」との野次をとばされたことを根に持っている。私の発言の後、小沢塾長が同様の発言をしたのだが、アノ議員はどんな気持ちだったろうか。どんな良い(良さそうな)制度を作っても、それを実行するのは人である以上、良き人を作るのが重要というのは間違っていない。アメリカ合衆国憲法も、当初は制度に関する規定しかなかったが、その制度を運用する人間の過ちから国民を守るために、権利章典を追加している。


義務教育は国が最終責任者
義務教育については国が最終責任を負うと同時に、市町村が自らの創意工夫で自由に行える制度をつくる。
責任の所在が不明確な現行教育委員会制度を改め、各地方自治体で自ら教育内容を決めて、各首長の責任で民主的に運営する制度とする。
教師の資格、身分の尊重、適正な待遇の保障については国が責任を持つ。


 国の定めた枠内で、市町村が自らの創意工夫で自由に行える制度にすることで、地方分権を促進することになりうる。各地にミニ東京を作るような分権ではなく、それぞれの地域の特性を生かした分権が達成できる。
 首長の責任で民主的に運営する制度とするとなれば、教育が政治化するとの危惧もあるが、国家の作った枠内でのことなので、政治化の恐れは少ない。国家の目が届かず、各教育委員会が、反国家的な教育をすることのほうがかえって有害である。もちろん、国家が定めた枠組みが「正義」であるから、この選択について国民は慎重でなければならない。
 教員の適正な待遇の具体的内容はわからないが、教員の報酬を「教育に対する対価」とするようなサラリーマン教員が、現在の教育崩壊を招いたことも否定できない。ただ、少なくとも課外活動を担当する教員の待遇は改善の余地がある。
 教師の資格については、少なくとも国公立教員については、公務員として国の方針に従えることが最低条件になろう。教員、とくに国公立の教員は、全体の奉仕者なのである。自ら選んで公務員としての教員になるのだから、自己の政治的主張などを抑制できる人でなければならない。

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