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いいかげんな文章を書こう。
「こども様じゃ」
「おお、こども様じゃこども様じゃあ」
ひとりの子供に、数十人の老人が群がっている。
「ありがたやありがたや」
「ひとつ触らせてくれぬかのぅ、ああなんと美しい肌じゃ」
「かわいいのう、かわいいのう」
「こらどけ、その汚い手で娘に触るなあ!」
母親とおぼしき女が、老人達を罵倒し蹴散らして子供の手を引っ張る。
「さぁいくよ、こんな所で油売ってる暇ねぇんだから」
―ー超高齢社会。
この子はやがて、30人もの老人の生計を担わなくてはならない。晴れの日には500ヘクタールの畑を耕し、雨の日には遺伝的アルゴリズムCADを操って、日々列島を蝕む海面上昇の高波を防ぐ護岸工事の図面をひき、嵐の日には数少ない特例レスキュー消防団員として召集される。
朝には老人達のモーニングケアをこなし、日中は15分ごとにデイトレードをこなし、夜には夜なべして手袋を編まねばならない。
その昔、「ニート」という働かない風習に甘んじる若者達があったという。今やその人々が老人となったわけだ。大人になると分刻み秒刻みで働かねばならないこの子の世代にとっては、まるでおとぎ話だ。
この子の母親は、その頃に生まれた。
やがて、40代中盤という高齢出産にして子を産んだわけだが、この頃の国力はすでに相当疲弊していた。道路はボロボロ、街灯は消えたまま、各地で相次ぐ洪水。わが国のインフラはことごとく根ぐされになっていた。
そんな衰亡の時代に育った母親は、自分の親の世代である老人達を、心底憎んでいた。ニートと言われた人々はごく一部だったし、それぞれの事情や時代背景もあったのだが……。
『この世代の怠惰が、この国を食いつぶした』
――彼女はそんな偏見に囚われていた。彼女だけではない。普遍的な常識として歴史観の中に固定化されてしまったのだ。
まるで『戦国時代のかぶき者が、戦乱を巻き起こした』とでも言うような、時系列を無視した見当違いなのだが、世の中はひとたび不利益が生じると、得てして一部の限定的な人々をステレオタイプの枠で固定し、諸悪の根源にし、毛嫌いし、責任を押し付けてしまいたがるものだ。
80:20の法則というのを聞いたことがあるだろう。「全体のわずか2割が、8割の生産をしている」というものだが、これを社会にあてはめれば、8割は就職者であろうと無職であろうと、所詮は『烏合の衆』とみなすことができる。怠惰な社会人を「ロクに働きもせずサラリーを掠め取っている」とみなせば、就業者の8割は、実はニートより性質が悪いものかもしれない。
しかし、社会は全体で構成されている。8割の収益を生み出す企業も、8割の消費者がいなければ成立し得ない。極端な言い方をすれば、ただ飯を食うだけでも、それはしっかりと社会を形作る一行動なのだ。
さて、未来。大人になったその子の心情はというと……
そんな時代に生まれたものだから、とくに文句を言うこともなく、悲鳴を上げるでもなく、淡々と日々の激務をこなしている。むしろ役割がたくさんあって、充実している。彼女は社会の迷子ではない。
もし彼女が現代の、スマートフォンを個々にいじくり回している電車内を見れば、恐ろしく無駄で奇妙な光景に見えるだろう。江戸時代にエジプトのミイラが漢方薬としてもてはやされたのを、現代人が皆目不可思議に感じるほどに、彼女にとっては未来の持つ予想し得ない価値観から、たとえば「不衛生だ」と顔をしかめるような情景かもしれない。
その瞳の輝きは、やがて資質に恵まれたひとりの若者の心を射止めてしまうだろう。彼女もそうあるように。そして慎ましやかな夫婦愛に恵まれて、たくさんの子をもうけるだろう。なにせベビーシッターになれるじいちゃんばあちゃんは、わんさかいる。彼女という貴重な働き手は、さほどオミットされない。
彼女は『産む機械』なんかじゃない。産んで働いてさらにみなぎる、生の輝きにあふれた人間だ。
方や、ゆとり世代のニート老人達はというと…。
なんとか暇つぶしを見つけながら生きながらえてきた彼らは、老人になってさらに修練を重ね、好奇心を自分で開花させていく練達者となっていた。今や「老後」という悠々自適OKのお墨付きがあるから、逆にのびのび生き生きしはじめている。
彼らの好奇心の行方は、この世界に産声をあげたばかりの好奇心旺盛な発育段階とうまくリンクし、その柔軟な発想力は彼女達に引き継がれ、つながっていく。
怠惰か? 怠惰を引き継ぐわけではない。
人間はそれぞれがそれぞれの思いを、生きている。
その貴重な積み重なりを、育むべき未来に託すだけだ。
彼女達がニート老人達から授かったこの無償の愛情は、やがてはニート亡国論を見直しさせていくことになるだろう。歴史観なんて所詮そんなもんだ。世代によってもコロコロ変わるから、自分の観点が100%正しいなんて、思わない方がいい。今現在、社会から白眼視されているのではと思い悩む人も、いつかは日の目を見ることになるだろうから、あまりくよくよしすぎないでいい。
障壁はたくさんあるが、それでもなお、未来は明るく楽しい。
人の思いがある限り。
誠実な思いがある限り。続く。
☆ おしまい ☆
「エエカゲンな近未来」
Mar.10,2012
天津風
Suita City
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