AKMKレコード社内通知 第一号
費やすことを一切禁ずる。 そもそも良きアイデアとは、普段の気取らない知的でウィットネスに富んだ 会話、生活の知恵の中から自然発生的に生まれてくるものである。 つまり改まってそのやうな「会議」などといふ奇天烈な場を設けることは、普段の十全たる 精神活動を怠っている証左である。それはあたかも乾いた雑巾から水を搾り出そうとしても 一滴の「しずく」だに落ちないことに喩えることができませう。 また得てしてそのやうな集まりは現代において、一見は民主的な場所に捉えられるきらいも 無くはないが、所詮実際は単なる詭弁に満ち溢れたところ。単なる力を持った一人物の 権威付けの場所、アジテーションに利用されることもままあるし、それに加えて益体もない 長話を延々と聞かされる側からしてみれば、話している方は楽しいであらふが 笑顔を繕いながら無理して聞かされる弱い側からしてみれば、単なる苦痛以外の何ものでもない。 それにプラスして日本の伝統を根本から断ち切ってしまうやうなラヂカル(急進的な)思想が展開 される恐れもある。 はたまたは、ありきたりで小学生でもわかるような、結論みえみえの議論が展開さるれば 単なる時間の浪費でありますし、更にそれが常態化し「ディスカッション」事態が目的化される と腹部に圧迫を加えることになり「過度の放屁」が懸念されるのであります。 もともと「議論」といふ言葉は、先述のやうにつまり英語で言うところのディスカッション (Discussion)のこと。 その元になるラテン語の原意としてはdis(離されて)+quatere(揺さぶられるもの)の意なのです。 つまりローマ帝国の公用語に置きましては「議論」つまりは敷衍するなれば「言葉」というのは 「散らされて粉々にされるもの」であると言う意味合いがまだ残っていたのでありました。 大分に話が反れてしまいましたが、なおAKMKレコードが定期的に開催するイヴェントの 段取りのためには、まま会議(議論)の開催もやむなしと致しますが時間も15分以内に限定 し、用いる資料もA4の用紙1枚(記載片面のみ可)と致します。 つまり色々な意味合いにおいて互いにヴァ−スト(熟知)した間柄におきましては敢えて言葉を交わ さずとも、互いに目線を合わせるだけで相手の考えていることがわかるものなのです。
|
トラックバック
トラックバック先の記事
- トラックバック先の記事がありません。






