このブログの索引
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No.1 中国と中国人の本質とその将来
No.2. 中国人は戦略家
No.3 中国は世界最大の官僚国家
No.4 中国に三権分立はあるか
No.5 中国は国際契約を遵守するか
No.6 中国における法律
No.7 ロス Engineering社事件、その1
No.8 ロス Engineering社事件、その2
No.9 中国における統計データ、その1
No.10 中国における統計データ、その2
No.11 中国における汚職、その1
No.12 中国における汚職、その2
No.13 中国における統治の仕組、その1
No.14 中国における統治の仕組、その2
No.15 中国における統治の仕組、その3
No.16 中国における報道の自由
No.17 中国における模造品
No.18 文化大革命、その1
No.19 文化大革命、その2
No.20 情報統制、その1
No.21 情報統制、その2
No.22 中国発の世界同時株安、その1
No.23 中国発の世界同時株安、その2
No.24 台湾問題、その1
No.25 台湾問題、その2
No.26 元上海総領事、故杉本信行氏の「大地の咆哮」
No.27 このブログの目的、その1
No.28 このブログの目的、その2
No.29 中国への贖罪意識、その1
No.30 中国への贖罪意識、その2
No.31 中国への贖罪意識、その3
No.32 温家宝首相の報告
No.33 靖国神社の件、その1
No.34 靖国神社の件、その2
No.35 靖国神社の件、その3
No.35 反日デモその他(失礼、番号が重複しています)
No.36 中国は何故分かりにくいのか、その1
No.37 中国は何故分かりにくいのか、その2
No.38 中国は何故分かりにくいのか、その3
No.39 日本人の欠点、外務省の欠点、その1
No.40 日本人の欠点、外務省の欠点、その2
No.41 日本人の欠点、外務省の欠点、その3
No.42 日本人の欠点、外務省の欠点、その4
No.43 中国の実情は何故分かりぬくいのか
No.44 中国のカートン入り肉饅騒動
No.45 慰安婦問題、米議会の非難決議、その1
No.46 慰安婦問題、米議会の非難決議、その2
No.47 中国の対日歴史教育、その1
No.48 中国の対日歴史教育、その2
No.49 中国の対日歴史教育、その3
No.50 中国は何故このような歴史教育をしたのか、その1
No.51 中国は何故このような歴史教育をしたのか、その2
No.52 中国は何故このような歴史教育をしたのか、その3
No.53 自由と平等、その1
No.54 自由と平等、その2
No.55 中国軍指導層の発言(恐るべき発言)
No.56 自虐史観、その1
No.57 自虐史観、その2
No.58 自虐史観、その3
No.59 亡命、その1
No.60 亡命、その2
No.61 大東亜戦争は侵略戦争?その1
No.62 大東亜戦争は侵略戦争?その2
No.63 台湾の対日感情、その1
No.64 台湾の対日感情、その2
No.65 インドネシアの対日感情、その1
No.66 インドネシアの対日感情、その2
No.67 インドネシアの対日感情、その3
No.68 アジア諸国の対日観、その1
No.69 タイの対日観
No.70 パラオ共和国の対日感情
No.71 モンゴルの日本に対する姿勢
No.72 タイの対日観(補足)
No.73 アジア諸国の対日観(補足)
No.74 左の人達の考え方、その1
No.75 陰の部分、イギリスの場合、その1
No.76 陰の部分、イギリスの場合、その2
No.77 陰の部分、イギリスとパレスチナ問題
No.78 陰の部分、フランスの場合
No.79 ちょっと横道に、Globalization
No.80 陰の部分、スペインの場合
No.81 陰の部分、オランダの場合(左の人達への反論)
No.82 陰の部分、ベルギーとドイツの場合
No.83 歴史教育というもの
No.84 司馬遼太郎の「坂の上の雲」再読
No.85 国の安全保障と防衛
No.86 日本は誇る事のできる立派な国、その1
No.87 日本は誇る事のできる立派な国(補足)
No.88 日本は誇る事のできる立派な国、その2
No.89 日本は誇る事のできる立派な国、明治維新、その1
No.90 日本は誇る事のできる立派な国、明治維新、その2
No.91 明治維新の時の目的を達成
No.92 日英同盟
No.92 第一次世界大戦で日本は世界の五大大国に(失礼、番号が重複でした)
No.93 第一次世界大戦から第ニ次世界大戦へ
No.94 第ニ次世界大戦に至った日米関係、その1
No.95 第ニ次世界大戦に至った日米関係、その2
No.96 第ニ次世界大戦に至った日米関係、その3
No.97 第ニ次世界大戦に至った日米関係、その4
No.98 重複につき削除、欠番
No.99 第ニ次世界大戦に至った日米関係、その5
No.100 戦後の日本が辿った道、その1
No.101 戦後の日本が辿った道、その2
No.102 重複につき削除、欠番
No.103 朝鮮戦争の勃発のアメリカの対日政策の180度の転換
No.104 マッカーサーのアメリカ上院での証言
No.105 東京裁判について、その1
No.106 東京裁判について、その2
No.107 歴史の見方
No.108 東京裁判について、その3
No.109 東京裁判について、日経が連載を開始
No.110 東京裁判について、その4
No.111 いわゆる南京事件について、その1
No.112 いわゆる南京事件について、その2
No.113 日本の皇室について、その1
No.114 日本の皇室について、その2
No.115 前空将の論文
No.116 ブログの表題を変えた理由
No.117 このブログの索引
No.118 読んで下さる方々に感謝
No.119 日本が誇れること、その1
No.120 日本が誇れること、その2
No.121 日本が誇れること、その3
No.122 日本は本当の意味の平和国家
No.123 源氏物語について
No.124 ヴォーゲルさんの Japan as No.1
No.125 ヴォーゲルさんの日本の教育に対する評価
No.126 トロイ遺跡を発掘したシュリーマンの日本に対する評価、その1
No.127 トロイ遺跡を発掘したシュリーマンの日本に対する評価、その2
No.128 このブログの索引
No.129 日本が掬った765人のポーランドの子供達
No.130 ポーランドの子供達、後日談
No.131 フランスに対比して日本を見ると。その1
No.132 政治はどう動くか、その1
No.133 フランスに対比して日本を見ると。その2
No.134 フランスに対比して日本を見ると。その3
No.135 フランスに対比して日本を見ると。その4
No.136 政党の選択、その1
No.137 政党の選択、その2
No.138 政党の選択、その3
No.139 政党の選択、その4
No.140 このブログの索引
No.141 第2次大戦の戦没者について(その1)
No.142 第2次大戦の戦没者について(その2)
No.143 第2次大戦の戦没者について(その3)
No.144 第2次大戦の戦没者について(その4)
No.145 温室効果ガスの削減/日本の国益は(その1)
No.146 温室効果ガスの削減/日本の国益は(その2)
No.147 日本に対する東南アジア諸国の評価(その1)
No.148 日本に対する東南アジア諸国の評価(その2)
No.149 日本に対する東南アジア諸国の評価(その3)
No.149 日本に対する東南アジア諸国の評価(その4)
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日本に対する東南アジア諸国の評価、その4(No.150)
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なぜ筆者がこのようなことを書くか、といえば、このような東南アジア諸国の評価を、日本の左翼的マスコミや、左翼的評論家や学者達が全く無視しているからである。彼等の特徴は本当の現実、真実を見ようとしないことである。「日本は悪い。日本は悪いことをした。日本は謝罪しなければならない。補償しなければならない」である。本当にそうか?戦争であったから、一部は悪いことをしたかもしれない。では第二次大戦でアメリカが日本にどんなことをしたのか? 日本が中国を侵略する遥か以前からイギリス、フランス、ロシア、ドイツは中国に何をしたのか? アジアとアフリカの殆ど全部を植民地にしたのは西欧諸国ではないか? なぜそのように全体のバランスの中でものを見れないのか? これが筆者が言いたいことである。
■インドネシアでは独立記念日8月17日に国旗を掲揚する際には、男女二人と日本軍の軍服を来た一人の合計三人で国旗を掲揚する。そしてジャカルタのムルデカ広場(ムルデカは「独立」の意)にある独立記念塔に刻まれている独立宣言の日付は「05年8月17日」となっている。独立宣言が行われたのは1945年だが、なぜ05年と書いてあるのであろうか? 独立に多大な貢献をしてくれた日本に感謝し、西暦ではなく、「日本皇紀(神武紀元)」の2605年を使用しているのである(独立宣言がなされた1945年は皇紀の2605年に当たる)。独立宣言はスカルノ初代大統領とハッタ副大統領が署名し、その日付を日本への感謝の記しに「05年8月17日」としたのである。
■ ビルマの独立宣言の中の一文:「日本への感謝を永久に記録せんことを希望するものなり」
■ 【パラオ】「日本の国旗である日章旗をモデルにした「月章旗」を作り、自国の国旗にした」
■ 【アメリカ】ハミルトン議員
「(日本の対アメリカ開戦時におけるアメリカの国務長官ハルの対日最後通牒「ハルノート」を指して)これによって日本は、自殺するか、戦うか の選択しかなかった」
■【フランス】フランスの教科書「日本がアジアを解放した」
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日本に対する東南アジア諸国の評価、その3(No.149)
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タイ ククリット・プラモード 元首相
「日本のお陰でアジアの諸国はすべて独立した。 日本というお母さんは難産 して母体をそこなったが、生まれた子供はすくすくと育っている。
今日、東南アジア諸国民がアメリカやイギリスと対等に話ができるのは一体誰のお陰であるのか。 それは『身を殺して仁をなした』日本というお母さんがあった為である。
12月8日(真珠湾攻撃)は我々に、この重大な思想を示してくれたお母さんが一身を賭して重大決意した日である。 更に8月15日は我々の大切なお母さんが病の床に伏した日である。 我々この2つの日を忘れてはならない。」
マレーシア ガザリー・シャフィー 元外務大臣
「日本はどんな悪い事をしたと言うのか。 大東亜戦争でマレー半島を南下した時の日本軍は凄かった。
わずか3ヶ月でシンガポールを陥落させ、我々にはとてもかなわないと思っていたイギリスを屈服させたのだ。 私はまだ若かったが、あの時は神の軍隊がやって来たと思ったものだ。 日本は最終的には敗れたが英軍は再びマレーを取り返すことができず、マレーシアは独立出来たのだ。」
マレーシア ラジャー・ダト・ノンチック 元上院議員
「私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。 敗れて逃げて行く英軍を見た時に今まで感じたことのない興奮を覚えました。 しかもマレーシアを占領した日本軍は、マレーシアを日本の植民地としないで、アジアの国々の独立と発展の為に、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育を行ってくれたのです。」
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ち○こ見せてあげたついでにボクのち○毛あげたら2万余分に貰えました。。
2010/1/30(土) 午後 1:26 [
チリチリ
]
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日本に対する東南アジア諸国の評価、その2(No.148)
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インド ラーダークリシュナン第2代大統領(Sarvepalli Radhakrishnan, 1888-1975年):
「インドは当時、イギリスの2隻の不沈戦艦と言われた最新鋭の戦艦が沈められるなどということは 想像もできなかった。それを我々と同じ東洋人である日本人が第2次世界大戦で見事に撃沈した。 驚きもしたが、この快挙によって東洋人でもやれるという気持ちが起きた。」
インドネシア モハメッド・ナチール 元首相 :
「アジアの希望は植民地体制の粉砕でした。 大東亜戦争は私たちアジア人の戦争を、日本が代表して敢行してくれたものです。」
インドネシア サンパス 元復員軍人省長官 :
「特にインドネシアが感謝することは、戦争が終わってから日本軍人約1,000人が帰国せず、インドネシア国軍と共にオランダと戦い、独立に貢献してくれたことである。
日本の戦死者は国軍墓地に祀り、功績を讃えて殊勲章を贈っているが、それだけですむものではない。」
インドネシア ブン・トモ 元情報相 :
「日本軍が米・オランダ・仏を我々の面前で徹底的に打ちのめしてくれた。
我々は白人の弱体と醜態ぶりを見て、アジア人全部が自信をもち、独立は近いと知った。
一度持った自信は決して崩壊しない。 そもそも大東亜戦争は我々の戦争であり、我々自身がやらねばならなかった。 そして実は我々の力でやりたかった。しかしやってくれたのは日本であった」
アメリカ人、ジョージ・S・カナヘレ (「日本軍とインドネシア独立」の著者):
「日本はインドネシア語の公用語を徹底して推進し、インドネシア国民としての連帯感を人々に植え付け、広域の大衆をインドネシアという 国家の国民として組織した。 とくに若者に民族意識を植え付け、革命の戦闘的情緒と雰囲気を盛り上げた。またPETA(ペタ)の革命における 意義は大きく、これなくしてインドネシア革命はあり得なかった。」
祖国防衛義勇軍マーチ「大日本 雄々しく立てり アジアを救い 我らを守る」。
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日本に対する東南アジア諸国の評価、その1(No.147)
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インドのラダ・ビノード・パール(Radhabinold Pal)さんは、 極東国際軍事裁判、いわゆる東京裁判で、ただ一人の法律の専門家の判事であった。残りは全て国際法のことなど殆ど知らない、戦勝国側の軍人である。 パールさんは法学博士であり、 1886年生まれで1967年に亡くなった。 1957年には国連常設仲裁裁判所の判事も勤めた。
「なぜ今頃東京裁判か?」と思われる方がいるかもしれないが、「日本は東アジアや東南アジア諸国に悪いことをした。日本は謝罪し、それを償わなければならない」という主張の淵源はこの東京裁判から発している。日本が思想、行動がいびつになってしまったのは、ここが出発点であり、東京裁判の内容を吟味するのは、何度やっても十分ということはない。
ドイツのニュールンベルグ裁判と同様に、東京裁判の本質は戦勝国による復讐裁判であるが、裁判の内容の吟味は膨大な内容なので、ここではパール判事の戦後の文章を紹介したい。補足すると、裁判でキーナン検事は「日本は平和に対する罪を犯し、人道に対する罪も犯した」と主張した。皆さん、これだけでもおかしいと思いませんか? 原爆投下は「人道に対する罪」ではないのであろうか? アメリカ、イギリス、オランダは全ての鉱物資源と石油の対日全面輸出禁止を行い、アメリカのハル国務長官は日本に最後通牒を突きつけ、日本に真珠湾先制攻撃を仕向けた。 石油を全面的に止められて、生き残れる国があるのであろうか? これは「窮鼠猫を噛む」で英米の行動は「平和に対する罪」ではないであろうか?
パール判事が戦後書いた文章は以下の通りである。
「英米が無罪であるならば、日本も無罪である。要するに彼ら(欧米諸国)は日本が侵略戦争を行ったということを歴史にとどめることによって、自分らのアジア侵略の正当性を誇示すると同時に、日本の17年間(昭和3-20年、東京裁判における審理対象期間)の一切を罪悪と烙印する事が目的であったにちがいない。
・・・・私は1928年から1945年までの17年間の歴史を2年7ヶ月かかって調べた。 この中には、おそらく日本人の知らなかった問題もある。 それを私は判決文の中に綴った。それを読めば、欧米諸国こそ憎むべきアジア侵略の張本人であるということがわかるはずだ。 極東裁判の虚妄は原子爆弾の被害よりもじんだいである。 それなのに、あなた方日本人は自分らの子弟に、「日本は犯罪を犯したのだ」「日本は侵略の暴挙を敢えてしたのだ」を教えている。
満州事変から大東亜戦争にいたる真実の歴史を、どうか私の極東国際軍事裁判の判決文を通して、十分勉強して頂きたい。 日本の子供達が歪められた罪悪感を背負って、卑屈、頽廃に流されていくのを私は平然として見過ごすわけにはゆかない。
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温室効果ガスの削減、日本の国益の視点はあるのか、その2(No.146)
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世界で温室効果ガス排出量のNo.1はかつてはアメリカ、No.2は中国であったが2007年に逆転し中国がNo.1となった。 ブッシュ政権は、「国益に反する」として京都議定書を批准さえしなかった。
オバマ政権はブッシュ政権の政策を転換し11月26日「2020年までに2005年に比べ17%削減」を発表した。各国の発表はそれぞれ「聞こえがいいように」基準年がバラバラなので、1990年比とするとこれは3%の削減である。カナダも3%削減。
11月26日に中国政府は「2020年までに単位GDP当たり40%削減」という非常に分かりにくい発表をした。分かりにくいということは聞こえを良くする為の誤魔化しである。イギリスのBBCや日経は「これは
なんら削減を約束したものではなく、現状よりの増加を抑制する」というだけの意味である、と解説している。また中国政府の発表は「これは自主的な措置である」ということを強調しており、義務を伴う
ものではない、という趣旨になっている。ひとり日本だけが突出していると新聞に報道されている。
経団連は「25%の削減には主要排出国が公平な形で参加することが前提だ」と発表している。関西の経済界を代表する経済同友会の桜井代表幹事は「他の主要輩出国と日本との間で公平性が保てないならば、この数字は見直すべきだ」という声明を出した。日本鉄鋼連盟の宗岡会長は「日本が国際社会と平等な条件にならなければ、日本に残って事業を継続しようという企業がなくなってしまう。工場が海外に移転し、日本の空洞化が進んでしまう」と発言した。鳩山氏の公約は産業界の実情を考慮していない。
民主からは「環境税」を創設しようなどという話が既に出てきた。このようなお人好しのお坊ちゃん首相や、日本の国益を考えず国民の血税を垂れ流し、夢見たいなことばっかり言っているような政党にはとても支持などできない、と思うのだがどうであろうか。
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温室効果ガスの削減 / 日本の国益の視点はあるのか?その1(No.145)
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民主党の鳩山首相は、国連総会で「2020年までに日本は1990年比で25%削減する」ことを世界に公約
した。 今回はこの問題を取り上げてみたい。
1997年12月に京都で「第3回気候変動枠組み条約の締結国会議」というのが開かれた。この会議の英語
名称の頭文字をとって「COP3」と呼ばれており、この会議での合意事項が京都議定書と呼ばれている。 合意により各国は2008年から2012年の期間中に1990年比でそれぞれの削減義務を負った。日本は1990年比で6%の削減義務を負った。 問題はこの6%を達成する目途が立っていないのに、鳩山氏は今回
「2020年までに25%削減」更に世界に公約したのである。
世界各国はこの鳩山氏の公約を歓迎したと報道されている。世界中が喜んでいるのである。なぜか?
それがポイントである。産業活動によりが温室効果ガスが排出される。温室効果ガスは炭酸ガスとか
メタンとか色々あるのだが、COPではガスを全て炭酸ガス(CO2)に換算して議論している。それぞれ削減義務を負った国が、「その義務を達成できない場合は、他国が排出している枠(これを排出枠、排出権という)をお金で買い取れば、その分自国が削減義務を果たしたとものみなす」ということになっている
のである。 例えば中国の企業はともかく生産第一で、環境問題なんかに金をかけたくないから、
大気中に温室効果ガスをジャンジャン放出している。中国は自分は何もせずに、例えば日本が金を
くれて、その分排出量を削減したとみなされ、日本は金を出して、買った排出枠を自国の削減義務枠を
超えた分から差し引いて、「はい、日本は義務を削減しましたよ」と言える訳である。 ただそれを言う為にだけ膨大な国費(税金)が使われるのである。 みなさん、これをどう思われますか?
京都議定書による削減義務でも日本は達成の目途が立っていないのである。今回の鳩山公約を実現する
となると、家計の負担は一月2万円増大する、という試算も日経に載った。慶応大学の野村準教授に
よれば、国内だけでこれを達成する場合は(つまり外国から排出権を買わない場合は)、家計負担は一月に最大63,000円になるという。 輸出立国である日本は輸出での競争力を持つ為に、既に20年も前から、省エネルギーに取り組んでおり、日本のエネルギー効率の水準は既にかなり高い水準にある。
これ以上の大幅な削減は「乾いたタオルを更に絞るようなもの」とよく言われている。
「冗談じゃないよ。鳩山お坊ちゃん、いい加減にしてくれ」ですよ。
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第2次大戦の戦没者、その4(No.144) これを言いたい。
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池田さんの最後の戦闘経験は、1945年4月の沖縄特攻作戦である。この時の日本側編成は、戦艦大和、
軽巡「矢はぎ」、駆逐艦8隻の計10隻であった。もうその位しか日本海軍には残っていなかった。
作戦としては大和を沖縄本島の海岸に座礁させ、砲台代わりに使おう、ということであったらしい。
しかし池田さんは「この出撃で生還できるとは誰も考えていなかった。みんな死を覚悟していましたね」と語る。 日本軍の暗号電報は米軍により完全に解読されており、艦隊は鹿児島と沖縄の中間地点ぐらいで4月6日、米軍に捕捉された。 池田さんは航海仕官なので艦橋にいたが、自分のすぐ隣にいた曹長が
肩に敵艦載機の機銃掃射を受け即死、15メートル離れた高角砲座には海兵の同期生がいたが、部下と共に機銃掃射により負傷、部下を先に医務室に運ぶよう指示を出したが、自分自身も腹部に貫通銃創を受け、池田さんは医務室に見舞ったが、翌日死亡。 池田さんは遺体を軍艦旗に包み水葬にする。
大和は1,000機以上の敵艦載機の攻撃を受け、大型爆弾3発、小型爆弾多数を被弾し、魚雷14本を受け、かなり持ちこたえたが、最後は弾薬庫に魚雷が命中したらしく、大爆発を起こして沈没した。
矢はぎに対しても米軍の攻撃は凄まじかった、と言う、「まるで蜜蜂の大群が襲い掛かってくるような感じでした」と池田さんは言う。魚雷多数と爆弾を被弾し、艦が横倒しになったところを更にとどめの魚雷攻撃を受けた。 魚雷が炸裂すると瞬間的に1,000度位の熱が放射されるそうである。「無意識に手で 顔をかばったのでしょう、私の顔のやけどには手の跡がついていた。 海に放り出され、燃料タンクから浮き出た重油の海に5時間浮いていた。 浮遊物はなかったので、立ち泳ぎをしていた。若かったので そんな体力があったのでしょう。4月の沖縄の海は2月よりも冷たいのです。一緒に投げ出された誰かが「船が来たぞー」と叫ぶので、そんな筈はあるまいと思いながら、油だらけの目をこすってみると本当に僚艦の駆逐艦だった」
沖縄特攻作戦に出撃する際、海兵の2期下の卒業生が既に各艦に配属されていた。 しかし司令官の命令により全員乗艦が許されなかった。死ぬことは分かっており、あたら有為の若人を死なせてはならない、という海軍上層部の判断であったそうである。
海軍は平時においても遠洋航海などで外国訪問などを行っており、自然と視野も広くなる。基本的に海軍はLiberalなのである。池田さんは言う「艦に乗れば、艦長も一水兵も運命共同体。だから家族のような感じがありましたね」。 海軍は外国海軍でも日本海軍でも、司令官や艦長は沈没時に部下に退艦命令を出しても、自分は責任をとって艦と運命を共にしたことがしばしばあった。ミッドウエー海戦の際の
第二航空戦隊司令官の山口多聞少将はその例である。山口司令官は自分の指揮下の攻撃隊に発進を命じた際、搭乗員一人一人と水盃を交わし、「君達だけを死なせはしない。俺もあとから行く」と言ったそうである。自分の艦の沈没が明らかになった時、総員退去命令を出したが、部下の退艦の勧めに一切耳を貸さず、艦と運命を共にしたという。 山口少将があの時の総司令官であったなら、ミッドウエーはあれ程の敗戦にはならなかったろう、と言われている。一方陸軍では司令部は常に前線部隊の後方の安全地帯に
あり、前線部隊に対し「戦え、死守せよ」などと命令を出す。 海軍と陸軍の根本的な思想、文化の違いである。
池田さんは終戦後、東京大学の建築科に入学し建築家となった。「戦後64年経ちましたが、僕にとっては海兵に入り終戦までの5年間の方が戦後の64年より遥かに比重が大きいんですよ。 海兵の72期の同期生625名の内、戦死者335名。 同期生の戦死者全員について、どこでどのように戦死したかを調べ、それをノートにつけている。私はもう彼等の4倍を生きてしまった。思い出のあるクラスメートは多い。みんないい奴ばかりだった。この自宅からは海が見えるが、いつでも海を見ると、戦友達を水葬にした時の情景を思い出す。今日の日本の繁栄はこういう人達の犠牲の上に築かれた。戦後の日本は経済発展のみに心を砕き、こういう人達の献身に感謝し、英霊に心から向き合い、深く弔うということをしてこなかった。これは大きな間違いである、と私は思う」。池田さんの言葉である。
池田さんは直接言及はされなかったが、靖国神社問題など「大きな間違い」であろう。あそこには国家の命令で戦地に赴き、心ならずも戦場に散った350万人の軍人の霊が祀られている。その神社に参詣し、その人達の霊に対し「安らかに眠れ」と祈ることが、どうして外国政府の干渉を受けなければいけないのか? どうして「それは内政干渉である」と日本の政治家は一言明確に言わないのか?
「A級戦犯が祀られているから」と中国と韓国は言う。祀られているA級戦犯は10人にも満たない。
韓国及び北朝鮮は戦前は日本の一部(植民地)であり、当然のことながら日本と朝鮮半島とは交戦国ではない。従って「戦犯(戦争犯罪人)」という言葉を韓国が使うこと自体が、全くおかしなことである。
戦没者を追悼する施設は、アメリカにも欧州にもどこにでもある。ある欧州のジャーナリストは当初靖国神社とは中国領にあると思っていたそうである。それが日本にあることを知り、「日本人がその神社に参詣して、何が問題なんだ?」と聞いたそうである。
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第2次大戦の戦没者、その3(No.143)
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池田さんの二度目の戦闘体験は1944年10月23日から25日のレイテ沖海戦である。マッカーサーが圧倒的な日本軍の攻撃を受け、1942年に配下の将兵を置き去りにして、フィリピンのコレヒドール要塞を脱出して以来、フィリピンは日本軍の占領するところとなっていたが、アメリカ軍はレイテ島の奪還を目指した。日本軍がそれを阻止しようとして起きたのがこの海戦である。この海戦は規模も大きく、戦域も広大であり、内容はシブヤン海海戦、スリガオ海峡海戦、エンガノ岬沖海戦、サラール沖海戦に分かれる。日本側の司令官は小沢治三郎中将、栗田中将、アメリカ側はBull(雄牛)と仇名されるハルゼー大将である。
日本はフィリピンを「これ以上の防衛線は最早引くことができない、最終的な防衛線」と考えていたが、ミッドウエー、マリアナと続いた空母艦隊の敗戦で、海軍航空兵力は殆ど残っておらず、航空機はフィリピンの陸上基地にある航空機のみを頼る状況であった。この時大西中将の発案で、神風特別攻撃隊が編成され、爆弾を抱えての敵艦突入、自爆攻撃が始めて実施された。戦闘開始時の両軍の戦力は、日本軍は空母4隻(米軍は護衛空母を含めて35隻)、戦艦は大和、武蔵、長門など9隻(米軍12隻)、重巡洋艦13隻(米軍11隻)、軽巡洋艦6隻(米軍15隻)、駆逐艦6隻。
戦闘の結果、栗田艦隊の謎の反転などがあり、艦載機を持たない日本側に勝ち目はなく、日本側は空母4隻全て、戦艦は武蔵、金剛など3隻、重巡は愛宕など6隻、軽巡1隻、駆逐艦6隻などを失った。米軍は空母3隻、駆逐艦3隻のみ沈没。
アメリカの空母プリンストンは、日本の急降下爆撃機の直撃弾を受け、一発で沈んだ。アメリカの巡洋艦バーミンガムは、プリンストンの消火活動中、プリンストンの魚雷格納庫が誘爆し、119名が死亡、重傷者211名、軽傷者215名をだした。
戦艦武蔵には米軍の攻撃が集中し、20本の魚雷、16発の爆弾を受け、沈没した。池田さんの乗る「矢はぎ」も船首に至近弾を受け、直径3メートルの大穴が開いたが、応急処置を施し内地に帰投することができたが、50名を越える戦死者を出し、「彼らを水葬に付した」と池田さんは語る。日本海軍はこのレイテ沖海戦の後、大規模且つ組織的な活動が不可能となった。
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第2次大戦の戦没者、その2(No.142)
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池田さんは軽巡洋艦「矢はぎ」への乗艦を命ぜられ、航海士官となる。「矢はぎ」は水雷戦隊の旗艦として建造された新鋭艦であった。航海士官とは、常に艦の位置を正確に測定し、艦の航行に責任を持つのが任務である。 池田さんの最初の戦闘経験は1944年6月19日と20日のマリアナ沖海戦であった。アメリカ軍がマリアナ諸島への侵攻を行い、日本軍がそれを阻止するのが目的であった。日米両軍による空母艦隊どうしの航空決戦であった。日本側の司令官は優れた指揮官との評価のあった小沢治三郎中将、アメリカ側はミッドウエー海戦に参加したレイモンド・スプルーアンス大将である。
日本海軍では世界最大の空母「大鳳」などが参加した。「艦橋から見たら、水平線一杯に日本艦隊がひしめいている。頼もしく感じましたね。でもあとで分かった事なんですが、相手はその倍の勢力だった」。 マリアナ沖海戦はミッドウエー海戦の後であり、既に艦載機の優秀な搭乗員の多くを失った後であった。 マリアナ沖海戦に参加した日本側の搭乗員はまだ十分な訓練を積んでおらず、アメリカ側からは「アリアナの七面鳥射ち」などと揶揄された。七面鳥を射つように簡単に撃墜できた、という訳である。 池田さんは目の前で日本の空母が航空攻撃と雷撃を受け、炎上し傾き、ある者は飛行甲板からバラバラと海に転落し、ある者は燃え盛るリフト(飛行機を上げ下げする大型エレヴェーター)の大きな穴に吸い込まれてゆくのを目のあたりに目撃した。「水地獄と火炎地獄を見ました」と語る。
マリアナ沖海戦までにアメリカ軍はレーダーを既に開発していた。従って日本軍の艦載機による攻撃隊の接近は事前に察知されており、アメリカの艦載機は十分に高度をとって待ち伏せしていた。また米軍は対空砲弾に「近接信管」というものを開発していた。この砲弾は直接に敵航空機に当たらなくても、航空機に近ければ炸裂する、というものであった。これの被害も大きかった。日本の対空砲火にはこれはなかったので、砲弾が当たらなければ、敵機は撃墜できなかった。日本艦隊は米潜水艦の攻撃も受けた。
戦闘開始時の両軍の戦力は、日本軍は空母9隻(米軍15隻)、戦艦は大和、武蔵など5隻(米軍7隻)、重巡洋艦11隻(米軍8隻)、軽巡洋艦2隻(米軍12隻)、駆逐艦20隻(米軍67隻)。戦闘の結果日本側は空母大鳳、翔鶴、飛鷹の3隻を失い、艦載機は430機の内380機を失った。アメリカ側には沈没艦はなく(大破、中破などのみ)、艦載機は900機の内失ったのは123機であった。池田さんの乗艦の矢はぎは損害を免れた。
日本海軍の惨憺たる敗戦である。このマリアナ沖海戦により日本海軍は海上航空戦力としての能力を失うこととなる。
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