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イメージ 4
Le Miroir des sports
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ

オリジナルはこちら
→http://blogs.yahoo.co.jp/ancienoutil/31041912.html


ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

5ページ目下の解説記事部分のつづき


(茶色の文字が解読結果です。)

ここからのレース展開は、
二人のイタリア人の圧勝という結果からは
想像しにくいものだった。


コースの最初の峠、長くて緑に覆われたペルスールド峠で、
ベルギー勢は先頭を突き進んだ。

もう後がなく、声援を送らずにはいられない二人のイタリア人と、
ほか数人の選手を引き連れて。


ベルギー人のフェルファッケは、
持ち前の不規則で断続的に加速するような独特の走りで
峠の頂上を首位で通り抜け、
ニースの男リュオズィ(※1)に2秒のリードを奪った。

リュオズィは、トラブルにも全くひるむことなく
今大会は好調を維持している。

イメージ 2

(※1)Gabriel Ruozzi
 ガブリエ・リュオズィ

 フランス人
 ツーリストルーティエクラス参加



 わっ!パンクしています。
 今大会第2ステージで。




イメージ 1




 うっ!またパンク。
 前ステージペルピニャンで。




ロマン・マース、シルフェーレ・マース、ロウィエのベルギー勢、
二人のイタリア人、モレリ、ティアーニ、
アンベルグ(※2)、ジアネロ(※3)、
黒タイツが定番のスイス人ハートマン(※4)が
フェルファッケに20秒遅れで通過。


イメージ 5

(※2)Léo Amberg
 レオ・アンベルグ
 スイス人、個人参加。















イメージ 3

(※3)Dante Gianello
 ダンテ・ジアネロ
 ツーリスト−ルーティエクラス参加
 イタリア生まれで
 1931年フランスに帰化














イメージ 4

(※4)Fritz Hartmann
 フリッツ・ハートマン
 スイス人、個人参加

 真ん中の花を持っている人




46秒遅れでドイツ人ウェッカリング(※5)、
51秒遅れで若いブリュターニュ人、
柔らかく無理のない流れるようなフォームを続けるコガン(※6)、
55秒遅れでやさ男ジャン・アールツ(※7)、
1分15秒遅れで、
ペルピニャン−リュションの後、登り調子のヴィエトが続いた。


(※)どうもフランス人選手には温かいコメントが付くようです。


イメージ 6
(※5)Otto Weckerling
 オットー・ウェッカリング

 ドイツナショナルチーム
 この年のツール・ダルマーニュ
(Tour d'Allemagne、
 ドイツ一周レース)で優勝










イメージ 7
(※6)Pierre Cogan
 ピエール・コガン
 フランス人

 つい最近、2013年98歳まで
 お元気だったそうです。

 ツーリストルーティエ参加











イメージ 8
(※7)Jean Aerts
 ジャン・アールツ

 ベルギーナショナルチーム

 お洒落な襟元!








上から1/4あたり




この記事に

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Le Miroir des sports
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ

オリジナルはこちら
→http://blogs.yahoo.co.jp/ancienoutil/31041912.html


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5ページ目下の解説記事部分
イメージ 1
















(茶色の文字が解読結果です。)

”風前の灯”のイタリアが、四峠のステージで手にした勝利
[特別配信]ポー、日曜夜


 峠でのせめぎ合い


このステージの出発点リュションでの下馬評はといえば、

ベルギー勢は、きっと、
ペルピニャン−リュションのステージでの快進撃(※1)の後、
少し疲れが出るに違いない。

そして、しぶといヴィエト(※2)が、これまでの不調から立ち直るか、
あるいは、スペシェ(※3)が、ここぞという時に、
ベルギー勢の疲れを見越して一気に抜け出る
という展開が期待される。

というものだった。


(※1)第15ステージ
 ベルギー勢が1-2-3フィニッシュを成し遂げています。

イメージ 3
(※2)Rene Vietto
 ルネ・ヴィエト

 前年に、有名な一件で
 一躍脚光を浴びたフランス人選手。

 この下馬評でも分るように、
 この年、フランス国中の期待を
 背負っていたはずです。

 御覧の通りの男前で、
 当時、汗臭いイメージの
 自転車ロードレースに、
 多くの女性ファンを
 呼び込んだこと間違いなし。

 この年のツールでは、
 第6、第9ステージに勝利。


イメージ 2

(※3)Georges Speicher
 ジョルジュ・スペシェ
 フランス人。

 1932年、10代でツールデビュー。
 この年のツールでは、
 第13ステージで勝利。

 この写真のジャージは、
 THOMANNでしょうか?


 この人名の読みは、
 を参考にしました。





ヴィエトは、前ステージ、ペルピニャン−リュションで、
早過ぎたアタックが批判の的だったため自重していたが、
それ以外のフランス勢は皆、
リュションを発ってすぐ見えてくるペルスールド峠の
登りに差し掛かったあたりから、
果敢にアタックをかけた。

いや、むしろ恐る恐るという感じだったが、
少なくとも一瞬のチャンスでもあれば
ぐずぐずせず前へ出ようという姿勢が見て取れた。


しかし、ベルギー勢も当然、
他国から、常に揺さぶりをかけられることを警戒している。

盤石の最前線トリオ、
フェルファッケ、シルフェーレ・マース、ロウィエは、
少しでもリードを確保しようと、迷うことなく前進した。


彼らベルギー勢にとっては、
二人のイタリア人、モレリとティアーニがぴったりついてきた事は
想定外だっただろう。
二人は前ステージで大敗北を喫し、誰からも見放されていたからだ。


その二人を、ベルギー勢は、
一昨日、モン=ルイ(※4)の登りでヴィエトに仕掛けたように、
無理やり引き離しにかかった。

そしてそれが、
破綻とまではいかないまでも、かなりの苦境に自分たちを追い込み、
最後にはステージ敗北へとつながった。
まさに、自らを滅ぼす剣を研いでしまったと言えるだろう。


イメージ 4

(※4)Mont-Louis
 モン=ルイ
 フランスが17世紀に、スペインに対する領土確保のために
 ヴォーバンに作った防衛施設が残る。
 2008年にUNESCO世界遺産に登録
 だそうです。


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オリジナルはこちら
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 5ページ目
イメージ 1


























(茶色の文字が解読結果です。)

顔をゆがめ、喘ぎ、汗を噴き出させ、
フェルファッケは、チームリーダーのロマン・マースの
時間ロスを最小限にするために、
あらん限りの力をふりしぼって引っ張った。

情けない走りの2人、
これがサビニャック(※)の小さな登り、
オー=ボンヌとポーの間、ゴールへあと20キロ地点での彼らだ。

(※)サビニャック(Savignacq)を調べてみても、
  今の地図ではそれらしい場所は見つけられませんでした。


観客は、いたわるように、そっと
拍手と励ましの言葉をかけるのがやっとだった。


 ロマン・マースは総合首位は続けていたものの、
 よれよれだったんですね。

 この時代の他の写真では、
 観客は、大声を出したり、並走したり、背中をたたいたり、
 手荒い励ましをする事が多かったようですが、
 ロマン・マースのあまりの衰弱ぶりに、
 静かに声援を送るしかなかったようです。


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ツール・ド・フランス第16ステージ

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→http://blogs.yahoo.co.jp/ancienoutil/31041912.html





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4〜5ページ目はこんな感じです。

イメージ 1















(茶色の文字が解読結果です。)

 4ページ目左上
イメージ 2










































陽をうけて、トゥルマレへ登るマイヨジョーヌの運び屋(※)
(※)ずっと総合1位のロマン・マースのことですね。


 4ページ目右上1
イメージ 3

























1935年の山岳王フェルファッケが、
ルオッチ、R・マース、アンベルグ、S・マース、ティアーニを抑えて
1位でペルスールド峠を制した。


 4ページ目右上2
イメージ 5























ロウィエ(先頭)とR・マースが、トゥルマレで、
脱走してきた子牛をよける。



 4ページ目左下
イメージ 4





























ロマン・マース。
トゥルマレ峠の頂上でギヤ比を変えるや否や、恐ろしい形相で飛び乗った。
(※)まだディレーラの使用は認められていない時です。
   歯数が違うフリーに後輪ごと取り換えたのでしょうか?
   丸眼鏡のおじさんは、メカニック?



 4ページ目右下
イメージ 6






























ポーにて。 
ロマン・マースと、フェルファッケ(右側、背中)。
我の強いフェルファッケだが、今ステージでは献身的なアシストをした。
2人の間の確執(※)は無くなりつつあるようだ。

(※)安家達也「ツール100話」未知谷社によれば、
 「アルプスでパンクに見舞われたときには、あろうことか、...中略... 
 フェリシアン・フェルファッケがアタック、チームとしてのまとまりが
 一気に崩れてしまう。」とあるので、こう解読してみました。



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ツール・ド・フランス第16ステージ

オリジナルはこちら
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さて、この記事を書いたレイモン・ユティエという人は、
今でいうスポーツライター。

Miroir des Sports誌での記事をはじめ、
ロードレースをテーマにした著作など、
戦前戦後のフランスの自転車シーンを描きました。

これは、1947年のLE CYCLISMEです。
まだ読んでないのですが、青少年向きの解説本のようです。
SIROという漫画家の挿絵がふんだんに使われています。

イメージ 1






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