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Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

15ページの挿絵です。
(茶色の文字が解読結果です。)

イメージ 1


山岳地の寒暖の差の恐ろしいこと。
このステージのスタートでは半袖だったが、すぐに防寒服を着こむことになった。


イメージ 2
選手が到着するまでの間、地元の写真屋のひな壇は団体客が絶えない。

街道の巨人が宿泊するホテルの前では、
若いファンが直筆サインをもらおうと待ち構えている。

RED TdF 1935

(※) REDというのは、当時の画家、漫画家です。

イメージ 3

「ツールドフランスの画家、漫画家」という本があって、
その中で紹介されています。

イメージ 4

ミロワール・デ・スポール 長期間掲載

RED

ミロワール・デ・スポール誌のツール発展期の代名詞
古き良き時代のユーモアコラムのような素朴な視点
子供のころ親しんだポエムを思いだす筆致
ツールがくる日の皆のざわめき
ツールのきらきらした光景
大レースへの素直な賛美と、少し冷めた嘲い

本名ルネ・エミール・デュロン・ロワ(1894-1970)。
DERと署名することもある彼は、
15年もの間ツールの全コースをジャック・ゴデと一緒に回り、
REDの名でポエムの世界を展開した。

短時間で書き上げるため、硬い印象を与える細線の描写だが、
境界線をなくして、様々な場面を所狭しと書き並べるスタイルは、
どこから読んだらよいのかぼんやりしているが、
そこがまたこの絵の世界に合っていもいる。

ツールの画家、漫画家で有名どころのそろい踏みの図です。
REDは下段の右から3番目。
イメージ 5

この中で最も有名なのは、上段の左から2番目のペロでしょう。
漫画というより絵画で、自転車にとどまらず多くのスポーツシーンを描いています。


本シリーズ解読の最後に一言。
いつの日か、日本人選手がツールのステージ勝利を飾り、
さらに総合優勝を飾る時に、生きて居合わすことができますように。




この記事に

Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

15ページです。
(茶色の文字が解読結果です。)

イメージ 1

あん? もっとカメラから離れろってか?

ムッシュー・アンリ・デグランジュは、
カメラマンにわざと噛みつくように言った。

”ツールの父”のその言葉に、
国内外のジャーナリスト、大会役員、アントナン・マーニュ(杖の人)の
皆が笑った。

イメージ 2

(※)アンリ・デグランジュは、こっち向いて噛みついている爺さんです。



最後の16ページの写真
イメージ 3


次号発売:パリは金曜、プロヴァンスは土曜


標高2,114mのトゥルマレ峠に最初に到達したフランス選手は、
熱狂的な歓迎を受ける。

旗を振るベレー帽の男は、最初の自国選手に沸く観衆の王様。
(※)ジョルジュ・ビスコです。その3参照

そしてその選手は、
ヴィエトでも、リュオズィでも、ベノワ・フォーレ、ジアネロでもなく、
バレージュへの下りへ早く突入しようと力を振り絞って登る
ツーリスト・ルーティエクラスのパリジャン、ポール・ショックだった。

彼はここトゥルマレ峠を5位で通過するも、ポーでは、
2人のイタリア選手モレリ、ティアーニ、
4人のベルギー選手シルフェーレ、フェルファッケ、ロマン・マース、ロウィエ、
そして素晴らしいラストスパートを見せた2人のフランス人選手、
スペシェとアーシャンボーに次いで9位だった。

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イメージ 5




この記事に

Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

12〜13ページの続きです。
(茶色の文字が解読結果です。)

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ポーへのステージ よもやま話

−5− フランスチームの課題













では、われらフランス勢の課題は何だろうか?


みなもう、やる気が失せているかと心配したが、雰囲気は妙に明るい。

彼らはまだ、スペシェがツールの総合優勝者になるかもしれないと、
希望を捨てていないようにも見える。


しかしそれをやってのけるための、マキャヴェリなみの秘策(※1)
あるとも思えない。 全く謎だ!


(※1)裏切りや欺きもいとわないような、
  びっくりする戦略という意味ですね。



ルデュック、ル・グレヴェ、モアノー、ヴィエト、フォントネー、アーシャンボー
と同じように、スペシェまでもが皆一様に、こう言っている。


「まあ見てろって。
 まだ何が起こるかわからないし、みんなもそれを期待しているんだろ。」

イメージ 2
1935年7月2日 第29回ツール・ド・フランス直前号の表紙
フランスナショナルチーム集合写真

イメージ 3
左から、アーシャンボー、(まじめで賢そうな)マーニュ、
(王選手に似た)スペシェ、ルデュック、(クラーク・ケント風の)ドゥベンヌ、
ル・グレヴェ、(男前)ヴィエト、メルヴィエル


イメージ 4
表紙をめくると、各選手の走っている姿が並べられた洒落た誌面



フランスチームの戦略は、
アントナン・マーニュが怪我で戦線離脱した後受け持っているのだが、
選手たちの様子を見ていると有効な手が打てているのか
心配になる。


アーシャンボーは、l’U.V.F.(※2)から推挙されて、
スペシェやル・グレヴェと一緒に、ツール後に、
ブリュッセルで開催されるトラック世界選手権に出場することになっているのだが、
マーニュが特に指導しているはずなのにこんな冗談まで言い出す始末だ。

(※2)l’U.V.F Union Vélocipédique de France
 フランス自転車連合 今のFFCの前身です。



「あーついてない。
 この大会が終わったら釣りにでも行こうと思っていたのに、
 パリまで戻ったらその足で次の大会に出発するんだよ。
 ああ忙しい!」


レイモン・ユティエ


(※)レイモン・ユティエは、
 自国チームの選手たちが、必ずしもツールに集中できていないことを
 嘆いているようです。


この記事に

Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

12〜13ページの続きです。
(茶色の文字が解読結果です。)
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ポーへのステージ よもやま話

−4− 休息日


ポーでの休息日は、これまでのものとは様子が違う。

好成績に向けてやる気満々の選手もいれば、
巻き返しが難しく半ばあきらめかかっている選手もいるが、
皆の表情には、おしなべて
文字通り最後の”山場”、それがもう過ぎたという安堵感がうかがわれる。


山岳地は息つく暇もなく、あらん限りの力を振り絞って走らなければならないが、
平地のコースなら、タイムトライアルだろうが、通常のレースだろうが、
消耗も大したことはない。

選手みなにある同じ思いは、今日はひと心地つける日だという事だ。
「やっと、苦しみと畏さから解放された〜。」


山岳地では、命の危機でもなければ、だれも助けてはくれない。

曲がり角で、狭い道で、車体が跳ねたり、滑ったり。
彼らはいつも、転倒の、転落の、
そしてその結果、怪我で競技ができなくなる脅威にさらされている。


あるベルギー選手などは、
ガップの出口、ヴァール峠とアロ峠の手前で、
べそをかきながらもがいているのだ。
一国の代表たる者がここまで苦しんでいるのを見たことがなかった。

イメージ 2

「ウォー! もうやめたい! もうたくさんだ。
 俺には、かみさんも子供もいるんだぞ。
 何かあったらどうしてくれるんだ〜。
 昨日、タイヤ外れが相次いで、頭から血を流して運び出された奴もいたが、
 俺もいつかそうなってしまう!」

とは言え、泣き言の本人は今も元気で走っていて、
大した事故には会っていない。


こんな感じなので、
最後の山場も何とか凌いでポーにたどり着いたという
選手たちのホッとした気持ちはよくわかる。


しかし、ただのんびりムードとは少し違う。
レースの前日は、大抵ワクワクし、目を輝かせ、誇らしげで明るい雰囲気だが、
今日の各チームは決してそうではない。

今この時、残りの5ステージをどのように挑むのか、
それぞれの課題を抱えて、重苦しい空気が漂っている。



ベルギー勢の課題は、チームのまとまりを今一度強めることだが、
それほど案ずることはない。

ロマン・マースが2分57秒の差をつけて総合首位を保っている。
フラマン人選手に先導させて、着々とレースをこなせばよい。

実際、ベルギー勢にはそれほど追い詰められた様子は見受けられない。
山岳ステージを乗り切った今となっては、
平坦なステージにもタイムトライアルにも強いロマン・マースが、
そうやすやすと大敗するとも思えない。


では対するイタリア勢の課題はというと、
自分だけでは何とも解決しづらい、変な問題に直面しているという事だ。

第19ステージの後半、
ロシュ=シュル=ヨンからナントへのコースで
チームタイムトライアルが行われる予定だが、
イタリア選手はモレリとティアーニの二人しか残っておらず、
チームそのものが組めないのだ。

人数が足りないのに、いったいどうしろというのだ?
イタリアの二人の困惑する顔が目に浮かぶ。


これに対しては、
ベルギー、イタリア、ドイツ、そしてフランスのコミッショナーが、
何度も顔を突き合わせて話し合いを重ね、
ドイツ選手、スペイン選手、スイス選手を交代で、
あるいは、
イタリアチームによってピックアップされたツーリストルーティエクラスの選手を
加えることを提案した。


しかしそういうやり方で人数合わせはできるとしても、
二人のイタリア人をはじめ、他の選手やファンは、それで納得できるだろうか?

一番わかりやすいやり方は、
ポー以降に予定されているタイムトライアルステージ全てを無くしてしまう
事のように思う。


ツールのルールを変更することは容易ではないが、
選手が声を上げればよい。

「あのー、私がサインした参加誓約書には
 決められたルールに従い異議は申し立てないと書いてありました。

 でも、ツールに勝つよう全力を尽くせって言うためのルールなんだから、
 今回のタイムトライアルステージのように、
 選手がなんだかなぁと感じるような状況なら
 やめてしまってもいいのではないでしょうか。」

なんてね。 それしかないだろ?


(※)チームタイムトライアルをなくしてしまえという論調のようですが、
 実際にはその後1回のタイムトライアルと2回のチームタイムトライアルが
 おこなわれました。

 しかも第20ステージの第2レースでは、
 急造チームのはずのイタリアのアンブロッジオ・モレリが勝っています。


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Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








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12〜13ページの続きです。
(茶色の文字が解読結果です。)
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ポーへのステージ よもやま話

−3− ロマン・マースは叫んだ


リュションをスタートする時、
ツールの事務責任者のリュシアン・キャザリス(※1)は、
ロマン・マースがゼッケンを付けていないのをじっと目で追いかけ、
古風な呼び止め方をした。

「エーラ! 君君!ゼッケンを付け忘れたのか!」


(※1)Lucien Cazalis こんな堅物のイメージの人物だったようです。
Mon Tour de France 1959 : la suite のちょうど真ん中あたりの漫画↓
イメージ 2


小柄なロマン・マースは、乗車したまま若鶏のように上体で向きなおり、
着ているマイヨジョーヌを指でつまんで、笑ったような怒ったような表情で答えた。

「そっちからこの黄色いのを着ろと言われたんだが、
 こいつにまでナンバーが要るのか?」



−4− キャプテンはなんとか首位を守った。

そのロマン・マースだが、
リュション−ポーのステージで彼がマイヨジョーヌを失わなかったのは、
繰り返すようだが、本当に奇跡としか言いようがない。

ベルギーチームのキャプテンである彼は、
前のステージでのくたくたの状態のままで、このレースに臨んでいたからだ。


昨夜もポーで、それを裏付けるような話を耳にした。

バテバテのロマン・マースは、
こっそりサポートカーに引っぱってもらっていたらしく、
間の悪いことに、その様子が写真にしっかり撮られていたというのだ。


ほかにも、
年配の観客の頭の上に空のボトルを置こうとして、
誤って彼の眼鏡を壊し、あやうく事故になりかけたらしい。


これはまあファンサービス、シャッターチャンスサービスの
つもりだったのだろうという事で笑い話で済んだが、
車に引っぱってもらった件については、
コミッショナーとしても大袈裟にはしたなかったものの
写真が撮られてしまった以上放っておくわけにもいかず、
結局、サポートカーにペナルティーが科せられた。


そのサポートカーは、
ジャン・アールツ、シルフェーレ・マース、フェルファッケなど
ロマン・マースと同じフラマン人のための車であり、
ペナルティの内容によっては、さらに自分たちが苦しくなる。


こんな風にロマン・マースが何とか首位にいるのは、
チームメートやスタッフの並々ならぬ支えによるものなのだ。


イメージ 3

(※)ペナルティを受けたサポートカーは、こんなクラシックカーなんでしょうね。



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