ここから本文です
Ancienne Bicyclette
自転車で幸せになる

書庫全体表示

記事検索
検索

全89ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

Miroir du Cyclisme 1982年4月号 No315
「パリ−ルーベ叙事詩 1896年からこれまで」







3ページ目の続きです。
(茶色の文字は解読を試みた結果です)


パリ−ルーベという名の割には、走り出しはコンピエーニュからだ。
パリは日曜も渋滞するので、自転車レースの出発地とするには無理がある。

デュランの坂だってレースコースとしては適さないだろうって?
確かに難所だが、走ったまま登れるんだからパリよりましだ。

しかもデュランの坂は、勝負の分かれ道となる重要な地点だ。
コースから外すなんてとんでもない。


イメージ 2

このコースは、石畳がすごいという以外には、
コンビエーニュからルーベへの間に心和む水仙の植え込みがあるわけでなく、
また、秋のロンバールの見事な赤の色合いもない。

クリテリウム・ド・ドーフィネやツール・ド・フランスのように、
明るい太陽もない。

(※) Critérium du Dauphiné クリテリウム・ド・ドーフィネ
 1947年から開催されているロードレースで、
 ツールドフランスの直前に開催される大会ですね。


この道は、そんな華やかさとは無縁な、
鉱滓が整然と連なる労働者達のための仕事道。

日々過酷な労働を強いられた炭鉱夫の集落を突き抜けるのだ。


(※) 19世紀後半、フランス北部とベルギーにあった炭鉱で働く
 炭鉱夫の集落です。

イメージ 3



そんなパリールーベというレースには、
猟犬の上品さと、木こりの無骨な勇猛さを組み合わせたような
ラフスポーツである自転車競技の本来の姿がある。

それこそが、名門レースである所以なのだ。


自転車選手なら、本能的にその激しさに惹かれ、
そしてそこで勝利者として名を残したいと願う。

毎年多くの有力選手が出場し、ほとんどの出場選手は
有利なスタートポジションは期待できない。
ならばいっそのこと、正々堂々ルート上で前へ出るしかないと覚悟する。

イメージ 1

しかしこの道は、雨が降るととても危険だ。
晴れたら晴れたで、乾燥し埃に苦しめられる道にもなる。

多くの選手が、追いつき、追い抜こうとして何度も失敗し、
落車し、マシンを壊し、パンクする道だ。

まるで、中央はペスト、両端にはコレラ、
その間を避けながら走るような道だ。

イメージ 4

心臓が揺さぶられ、胃袋は裏返り、腕は振り払われる、
そんなガタガタな石畳の上を、
雨なら泥、晴れれば埃をかぶりながら、
激しい歓声と罵声の中、
これ以上はない恐ろしい自転車レースを戦うことになる。

イメージ 5


実績があり、その上命知らずでなければ走り抜けないコース。

恐ろしさから、集団の後ろに下がりたくなる誘惑。

他人であるこの世の地獄から、我れ先にと這い上がろうとする競争相手達。

イメージ 6


これが、パリールーベの真髄なのだ。

Maurice Vidal
モーリス・ヴィダル


(※) モーリス・ヴィダル
 1919年生まれ。スポーツジャーナリスト。
 Miroir Sprintをはじめ、多くのスポーツ誌のディレクターを歴任。
 1967年、アンリ・デグランジュ賞受賞。


(※) タイトル「石畳、それは他人だ」について
 パリ−ルーベと言えば、石畳、北の地獄です。
 地獄と言えば、サルトルの有名でかつ理解不能な言葉
 「地獄、それは他人だ」が連想され、
 そこから、こんなタイトルになったのでは?と思っています。


つづく

この記事に

Miroir du Cyclisme 1982年4月号 No315です。

イメージ 1


「パリ−ルーベ叙事詩 1896年からこれまで」
と題された特集号です。


北の地獄と言われるレースのこれまでを読んでみようと思っています。
(何年かかるかわかりませんが)

自分も持ってるよという方、一緒に楽しみましょう。


表紙をめくってすぐに、
ルネ・ペロによるパリ−ルーベの挿絵が飛びこんできます。
イメージ 2

おどろおどろしい絵ですね。

(※) René Pellos ルネ・ペロ
 本名René Marcel Pellarin、ルネ・マルセル・ペラリン。
 1900年1月22日生まれ
 フランスで有名で人気のあったスポーツ画家、漫画家です。



ペロの絵の右側、3ページ目です。
イメージ 3

茶色の文字は解読を試みた結果です。


石畳、それは他人だ

(※) 妙なタイトルです


一人の男が、デュランの坂を自転車を押して登ってきた。
子供が彼を、大丈夫?と見ている。
競争相手もコース沿いの観客もいない。

それはパリールーベの、まだ草分け期のできごとである。

その写真がこの号に掲載されている。

これは、
自転車競技の中で最も困難で、また最も有名な「クラシック」のレース、
パリ−ルーベの栄光のシンボルと言える一場面だ。

イメージ 4


1896年、ドイツ人ヨセフ・フィッシャーが
パリからルーベへのレースで勝利した時、
彼は、それが勝利者リストの輝かしい先頭に置かれるような偉業になるとは
思ってもみなかった。


そのフィッシャーから
ベルナール・イノーへと続く、泥に彩られた栄光の系譜は、
モーリス・ガラン、
オクタヴ・ラピーズ、
アンリ・ペリシェ、
アンドレ・レデュック、
ガストン・ルブリー、
リック・ファン・ステンベルヘン、
ファウスト・コッピ、
ルイゾン・ボベ、
リック・ファン・ルーイ、
フェリーチェ・ジモンディ、
エディー・メルクス、
そして4回優勝の脅威のジプシー、ロジェ・デ・フラミンク、
このような錚々たる顔ぶれ、アマチュアなら花を贈るプレゼンターでなければ
間近に見ることもないビッグネームによって脈々と繋がれている。


列挙した中に、もしあなたがファンである選手が名前が抜けていたら
ご容赦いただきたいが、
それほどにレベルが高く、歴史も深いのだ。


このレースは、草創期から権威があったわけではなく、
また他に比べて特に困難というわけでもなかった。

この時代、どの分野においても速さよりもタフさが尊ばれ、
ボルドーパリ、パリブレスト(むろん往復)、マルセイユ−パリ(本当に)が
石畳の頂点として君臨していた。

(※)マルセイユ−パリ
 1902年の5/18〜5/19にかけて、
 1回だけ開催されたL’Auto-Velo紙主催の自転車レース
 マルセイユのラ・カヌビエールから、アヴィニョン、リヨン、ディジョンを
 通って、パリのパルク・デ・プランスまで938kmを走破する。
 優勝者は、フランス人リュシアン・レズナ。
 この人はパリールーベ、ボルドーパリでも優勝している強者。


当時のフランスには石畳はいたるところにあり、
パリとルーベ間もそれらと比べるとごく普通と言えるものだった。

その後時代は、タフさよりメカの進歩を求めるようになり、
またそれを多くの人が直に見ることができるように、
山岳地から平地のロングコースへとコース取りも変わっていった。

今や、パリ−ブレスト(往復)はロードレースではなくなったし、
ボルドーパリも低迷している。


(※)パリ−ブレスト
 1891年に始まり、1931まで10年周期で5回変更があり、
 1931年以降はシクロツーリストの認定(ブルべ シクロツーリスト)
 のためのイベントになりました。

(※)ボルドーパリ
 1891年に始まり、1988年まで続き、2014年から復活しています。


やがて、フランス中の橋や川べりには、
整備された道路網、鉄道網などではり巡らされていったが、
フランス北部の2つのビート栽培地域に挟まれた農業地帯の真ん中では、
ガッタガタの石畳道がで大昔からのまま取り残された。

その道が、パリ−ルーベとして知られる素晴らしいレースのコースであり、
このまま後世に残すべき宝となった。


つづく

この記事に

Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

15ページの挿絵です。
(茶色の文字が解読結果です。)

イメージ 1


山岳地の寒暖の差の恐ろしいこと。
このステージのスタートでは半袖だったが、すぐに防寒服を着こむことになった。


イメージ 2
選手が到着するまでの間、地元の写真屋のひな壇は団体客が絶えない。

街道の巨人が宿泊するホテルの前では、
若いファンが直筆サインをもらおうと待ち構えている。

RED TdF 1935

(※) REDというのは、当時の画家、漫画家です。

イメージ 3

「ツールドフランスの画家、漫画家」という本があって、
その中で紹介されています。

イメージ 4

ミロワール・デ・スポール 長期間掲載

RED

ミロワール・デ・スポール誌のツール発展期の代名詞
古き良き時代のユーモアコラムのような素朴な視点
子供のころ親しんだポエムを思いだす筆致
ツールがくる日の皆のざわめき
ツールのきらきらした光景
大レースへの素直な賛美と、少し冷めた嘲い

本名ルネ・エミール・デュロン・ロワ(1894-1970)。
DERと署名することもある彼は、
15年もの間ツールの全コースをジャック・ゴデと一緒に回り、
REDの名でポエムの世界を展開した。

短時間で書き上げるため、硬い印象を与える細線の描写だが、
境界線をなくして、様々な場面を所狭しと書き並べるスタイルは、
どこから読んだらよいのかぼんやりしているが、
そこがまたこの絵の世界に合っていもいる。

ツールの画家、漫画家で有名どころのそろい踏みの図です。
REDは下段の右から3番目。
イメージ 5

この中で最も有名なのは、上段の左から2番目のペロでしょう。
漫画というより絵画で、自転車にとどまらず多くのスポーツシーンを描いています。


本シリーズ解読の最後に一言。
いつの日か、日本人選手がツールのステージ勝利を飾り、
さらに総合優勝を飾る時に、生きて居合わすことができますように。




この記事に

Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

15ページです。
(茶色の文字が解読結果です。)

イメージ 1

あん? もっとカメラから離れろってか?

ムッシュー・アンリ・デグランジュは、
カメラマンにわざと噛みつくように言った。

”ツールの父”のその言葉に、
国内外のジャーナリスト、大会役員、アントナン・マーニュ(杖の人)の
皆が笑った。

イメージ 2

(※)アンリ・デグランジュは、こっち向いて噛みついている爺さんです。



最後の16ページの写真
イメージ 3


次号発売:パリは金曜、プロヴァンスは土曜


標高2,114mのトゥルマレ峠に最初に到達したフランス選手は、
熱狂的な歓迎を受ける。

旗を振るベレー帽の男は、最初の自国選手に沸く観衆の王様。
(※)ジョルジュ・ビスコです。その3参照

そしてその選手は、
ヴィエトでも、リュオズィでも、ベノワ・フォーレ、ジアネロでもなく、
バレージュへの下りへ早く突入しようと力を振り絞って登る
ツーリスト・ルーティエクラスのパリジャン、ポール・ショックだった。

彼はここトゥルマレ峠を5位で通過するも、ポーでは、
2人のイタリア選手モレリ、ティアーニ、
4人のベルギー選手シルフェーレ、フェルファッケ、ロマン・マース、ロウィエ、
そして素晴らしいラストスパートを見せた2人のフランス人選手、
スペシェとアーシャンボーに次いで9位だった。

イメージ 4
イメージ 5




この記事に

Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

12〜13ページの続きです。
(茶色の文字が解読結果です。)

イメージ 1


ポーへのステージ よもやま話

−5− フランスチームの課題













では、われらフランス勢の課題は何だろうか?


みなもう、やる気が失せているかと心配したが、雰囲気は妙に明るい。

彼らはまだ、スペシェがツールの総合優勝者になるかもしれないと、
希望を捨てていないようにも見える。


しかしそれをやってのけるための、マキャヴェリなみの秘策(※1)
あるとも思えない。 全く謎だ!


(※1)裏切りや欺きもいとわないような、
  びっくりする戦略という意味ですね。



ルデュック、ル・グレヴェ、モアノー、ヴィエト、フォントネー、アーシャンボー
と同じように、スペシェまでもが皆一様に、こう言っている。


「まあ見てろって。
 まだ何が起こるかわからないし、みんなもそれを期待しているんだろ。」

イメージ 2
1935年7月2日 第29回ツール・ド・フランス直前号の表紙
フランスナショナルチーム集合写真

イメージ 3
左から、アーシャンボー、(まじめで賢そうな)マーニュ、
(王選手に似た)スペシェ、ルデュック、(クラーク・ケント風の)ドゥベンヌ、
ル・グレヴェ、(男前)ヴィエト、メルヴィエル


イメージ 4
表紙をめくると、各選手の走っている姿が並べられた洒落た誌面



フランスチームの戦略は、
アントナン・マーニュが怪我で戦線離脱した後受け持っているのだが、
選手たちの様子を見ていると有効な手が打てているのか
心配になる。


アーシャンボーは、l’U.V.F.(※2)から推挙されて、
スペシェやル・グレヴェと一緒に、ツール後に、
ブリュッセルで開催されるトラック世界選手権に出場することになっているのだが、
マーニュが特に指導しているはずなのにこんな冗談まで言い出す始末だ。

(※2)l’U.V.F Union Vélocipédique de France
 フランス自転車連合 今のFFCの前身です。



「あーついてない。
 この大会が終わったら釣りにでも行こうと思っていたのに、
 パリまで戻ったらその足で次の大会に出発するんだよ。
 ああ忙しい!」


レイモン・ユティエ


(※)レイモン・ユティエは、
 自国チームの選手たちが、必ずしもツールに集中できていないことを
 嘆いているようです。


この記事に

全89ページ

[1] [2] [3] [4] [5] [6] [7] [8] [9] [10] [11]

[ 次のページ ]

本文はここまでですこのページの先頭へ
みんなの更新記事