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Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

12〜13ページの続きです。
(茶色の文字が写真の説明文です。)


イメージ 1

ポーの青空のもと、テラスでのひとコマ。
左から右へ、
ベルギー人ディグネフ(※1)と、3人のツーリストルーティエ達、
ファヨル(ニース)、リュオズィ(ニース)、ユベツ(ラン)(※2)。

彼らはデッドラインタイムをオーバーしてポーに到着したが、
コミッショナーによって救済されることになった。


(※1)Antoine Dignef アントワーヌ・ディグネフ
 ベルギー人、個人参加。
 この年から開催されたプエルタ・ア・エスパーニャの第1ステージで勝利。
 したがって、大会史上初めてマイヨ・ロホの袖に手を通した男。

(※2)Georges Hubatz ジョルジュ・ユベツ
 フランス人、ツーリストルーティエ参加


イメージ 2
シャルル・ペリシェ
ピレネーで隠遁生活を決め込んでいた彼は、
スポーツ勘を呼び戻すことができるだろうか?

人気者シャルロ(※3)は、
1929年のツールで最終成績26位、
1930年は8つもステージ勝利を挙げたにも関わらず、
優勝のリュデュック(※4)、マーニュ、グエッラ(※5)らに及ばず9位
1931年は13位、
久々の出場となった今年は、初心に戻って出直しの年のようだ。


(※3)シャルロ
 チャールズ・チャップリンのフランスでの愛称ですが、
 ファーストネームのスペルが同じなので、
 シャルル・ペリシェにも使われたようです。

(※4)André Leducq アンドレ・リュデュック
 フランスナショナルチーム参加

(※5)Learco Guerra  レアルコ・グエッラ
 イタリア人。人間機関車と言われた名選手だそうです。


−つづく−

この記事に

Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

12〜13ページです。

イメージ 2

(茶色の文字が写真の説明文です。)


イメージ 1

ピレネーの峠、そしてポーへ、ずっと励まし合ったコンビ
ティアーニはロシアンビリヤードに興じ、
さらに日焼けしたモレリは自分の番を待っている。

(※)キューを立て気味に持っているのがモレリ


イメージ 3

左写真:
アンリ王時代の古都(※1)の当時の二頭立て荷車
アールツは、二頭の牛と遅さ比べを始めた。

右写真:
荷台に乗っかっているのは、左から右へ、
ベルトッコ(※2)、ガルシア(※3)、ベノワ・フォーレ(立っている人)、
ポール・ショック、ジャン・アールツ

(※1)ポーは、アンリ4世の生まれ故郷のようです。
 アンリ4世は、日本でいうと安土桃山時代から江戸時代初期の人物で、
 在位中から現代に至るまでフランス国民の間で人気の高い王の一人
 だそうです。

(※2)Aldo Bertocco アルド・ベルトッコ
 フランス ツーリストルーティエクラス参加

(※3)Manuel Garcia マヌエル・ガルシア
 フランス ツーリストルーティエクラス参加


イメージ 4

ピレネーでの自分の記憶を思い起こしながら、興味津々に記事読む。

左から右へ、3人のツーリスト・ルーティエ選手、
ベノワ・フォーレ、モクレール(※4)、ショック。
モン=ルイ、ピュイモラン、ポリテ・ダスペ峠、アル峠のステージ(※5)の
写真を見ながら思い出している。

(※4)Joseph Mauclair ジョゼフ・モクレール
 フランス ツーリスト・ルーティエ参加
 L’Union Vélocipédique de Reims ランス・ヴェロシペド連合のメンバー
 だそうです。

(※5)一つ前のステージ、第15ステージです。


この記事に

Le Miroir des Sports誌
1935年7月25日号
ツール・ド・フランス第16ステージ








ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー ◇ ーーー

10〜11ページの右の④⑤です。

イメージ 1

(茶色の文字が解読結果です。)

[特別配信]ポー、火曜夜
モレリ、リールで39位も、ポーでは2位に躍進


アルプスの向こう側の麓、ネルビアーノっ子のアンブロッジオ・モレリは、
パリでは、イタリアナショナルチームをサポートする個人参加に過ぎなかったが、
過酷なツールを生き残り、
リュション−ポーのステージでは勝利をもぎ取り、
ついにトップに2分57秒差の総合2位につけた。


しかし、このイタリア人アスリートはスロースタートだった。
最初のステージ、パリ−リールで39位、トップから12分遅れだった。

そこから、モレリは総合順位をじりじりと上げる。
シャルルヴィルで20位、メッスで20位、ベルフォールで17位、エヴィアンで15位。


イメージ 2

(※)この年の7月2日号の記事の中にある小さなルートマップです。
 パリから北のリールに向けて出発し、
 そこからベルギー、スイス、イタリアとの国境に沿って南下し、
 時計回りに進みます。
 余談ですが、よく雑誌に綴じ込んであるようなポスターサイズの地図は、
 コレクターに人気があってなかなか手に入りません。


そして、アルプスの最初のステージで大きく飛躍した結果、
エクス=レ=バンでは総合9位につけ、
さらにそこからグルノーブルへのステージでは、
同胞カムッソ(※1)に続いて2位でゴール。


(※1)Francesco Camusso フランチェスコ・カムッソ
 イタリアナショナルチーム
 第7ステージ勝利 第15ステージで棄権
 現役時代はクライマーとして名を馳せたそうです。


そのあたりから、彼は、
スペシェ、カムッソ、シルフェーレ・マース、フェルファッケ達と共闘しながら、
上位4人に残るよう戦法をとった。

これがうまく行って、
ニース、このカドリーユ(※2)のシャッセクロス発祥の地では、
首尾よく6分55秒遅れにまで挽回した。

(※2)男女4組で踊るダンスのことで、
 シャッセクロスはその中の型の一つだそうです。


ピレネーの麓、ペリピニャンではまた14分19秒遅れに後退してしまったが、
この遅れが、たまたまグルノーブルでのタイム差と同じであったのは、
この先また彼の進撃を予感させるようだった。

そしてその予感は、
オービスク峠での神がかった登りとして現実のものとなり、
マイヨジョーヌの運び屋、ロマンマースに2分57秒差に迫り、
彼を慌てさせることになった。


しかし、モレリも若手ではない。もう30歳、ツールも3回目だ。
昨年も、デーニュでは
アントナン・マーニュ、マルターノに次いで総合3位まで詰め寄るも、
最終順位は6位に終わっている。


−まあ見てろって。

これまでの戦いを振り返りながら、彼は言い放った。

−俺はエンジンのかかりが遅いので、
 ツールの最初の数ステージで不調なのはいつものことだし、
 今日2位になったのも驚くほどのことではないよ。

 ツールはまだこれからだ。
 パリに着くときには俺が一番になっているから楽しみにしていろよ。


期待しよう。

JEAN ROUTIER.
ジャン・ルティエ(※3)

(※3)先のレイモン・ユティエと同じく、
 この時代のスポーツジャーナリストです。
 検索してみても、ポツポツと引っかかるのですが、
 著作もあるのかどうかなど詳細は不明です。

この記事に

<<この自転車ツーリングの先頭へ



桂浜からまた渡船乗り場に戻り、船に乗るかどうか迷って待っていると、
到着した渡船からローディさんが降りてきた。

道の駅大山岬で話をした人だった。
再会を喜び合うとともに情報を交換する。


昨夜は種崎千松キャンプ場にテント泊したが、
GWということもあって、とても騒がしく明け方まで寝られなかったとのこと。

こちらが道の駅夜須のことを話し、
互いに、相手のサイト地のほうが良かったと言い合った。


ローディさんは、これから足摺岬へ向かい、
たどり着けなくても、美味いカツオのたたきがあるらしい久礼(くれ)まで
頑張ってみるという。

自分はここであきらめてツーリングを終えるので、楽しんでくれと伝える。

またどこかでお会いできるかもしれませんねと言ってくれた
そのローディーさんと別れ、そこから北へと走り出した。

イメージ 1


高知市は路面電車が走っている。
イメージ 2

イメージ 3

イメージ 4


いくつか大きな川を渡り、路面電車に寄り添いながら走って、
途中から国道32号線を北上する。



今回で、ランドナーでのテント泊ツーリングは5回目になった。

このランドナーを手に入れた時、5回くらいは出かけたいと思った。
その時から10年かかったが、一つの目標は達成できた。


ランドナーの何が好きなのかというと、
自分よりずっと上の団塊の世代のお兄さんたちや、その少し下のお兄さんたちが、
日本列島改造なんかもまだ及んでいなかったような所までも、
縦横に駆け巡った魔法の乗り物だったように思っているから。

そして自分もそんな風になりたいと思った頃がよみがえってきて、
前と上だけを向いて夢中になれるような気がするからだ。


こんな感覚、だれにも理解されまい。



11:10 西濃運輸高知支店。
イメージ 5


ここで、フロントバッグだけを外して、
残りを自転車ごと預け自宅宛へ運んでもらうよう頼んだ。
小さな荷物の送料よりは値は張ったが、気持ちよく引き受けてもらえた。


自分の身はというと、タクシーで高知駅まで戻った。
自転車を引き取ってくれる集配所が、
もっと街なかにあれば、タクシー代を節約できたのにとも思った。


でもそのタクシーの中で、
運転手さんからいろいろ面白い話を聞くことができた。

四国の人々がお遍路さんに対して尊敬の念で接していること。
四国のお遍路というものが、
世界の巡礼の中でも宗教、宗派にとらわれない稀有なものであること。
高知の代表的なお土産は浜幸のかんざしというお菓子だということ。



高知駅では、すんなりと岡山までの指定席を手に入れることができた。
12:13発 岡山行南風14号に乗って、焼きさば寿司を食べた。
イメージ 6


座席の目の前には、奥四万十博の案内が貼ってある。
イメージ 7


今が会期中。

頑張ってもう少し足を延ばせばよかったと後悔もしたが、
高知の地元こんびにで買ったミレービスケットを食べながら、
やはりそれは無理だったとすぐに思った。
イメージ 8


岡山駅を目前にして、列車が遅れ始めた。
強風の影響を受けているとのこと。

しかし、岡山からの新幹線が特に混んでいたわけでもなく、
どうという事もなかった。


新幹線の窓の景色は、本当に飛んで流れ去っていく。
あらためてその速さは破壊的だと思った。

自由席に座って、
今年のGWは無為に過ごさずに済んだと安堵し、
こんなに便利に家に戻ることができるありがたさを感じると同時に、
5日かけて少しずつ積み重ねてきたものを一瞬にして吹き飛ばされてしまう
ようにも感じた。

京都に着いて、近鉄と向かい合う八条口側の改札を出る時、
GWの大混雑にたじろいだ。


イメージ 9


おわり。

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<<この自転車ツーリングの先頭へ



翌朝、自転車ツーリング5日目、まだ暗いうちに行動開始。
一晩を過ごした痕跡が残らないように片付けして、
5:45 さらに西へ向けて出発した。


サイクリングロードではないが、海岸線に沿って走りやすい道が伸びている。
イメージ 1


空は雲に覆われていて、昨晩からの風がまた少し強まっている。

まだ雨は降っていないが、
足摺岬へ向かう気力はもうすっかり失せていて、
せめてもの節目として高知市を目指した。


6:19 物部川。

橋を渡った先には、龍馬高知空港が広がっている。
昨晩見た飛行機は、ここへ飛行機が降りてきていたのか。


物部川を渡った先も、海沿いの堤防道が続く。
イメージ 2




まもなく、集落道になった。
イメージ 3


この道は細いが、西へずっと続いている。
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伊座利で買った入りきらない乾燥わかめを大事にしながら、道をたどる。
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集落道が、県道14号線くろしおラインと合流したころ、
土佐タタキ道場なる店を発見。
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そういえば、まだカツオのたたきを食べていない。
ここが本場で今が旬なのに。
しかしまだ店は開いていない。


7:20 種崎千松キャンプ場。
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高知市の名所見学先の中で、一番目に来てしまった。
イメージ 8


広々としている。 トイレも数か所ある。
浜もすぐそばだし、遅くまで開いている食事処も近くだ。
無料のキャンプ場とは思えない。

うーん、昨日頑張ってここまで来ればよかった。
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偵察を終え、次は桂浜に向かう。

桂浜は、浦戸湾を挟んで種崎千松キャンプ場の対岸にある。
キャンプ場の駐車場から見える橋を渡ればすぐだ。
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しかし、この橋は見上げるほど高く、車もずっと連なっていて、
歩道幅も狭く一人しか通れない。
下手をすると、トラックに轢きつぶされてしまう。

別のルートはないものかと地図を探すと、渡し船をみつけた。
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高知県営渡船「龍馬」。
通勤通学時間帯なので、20分おきに出ている。
7:50発長浜行に乗船。
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見えている対岸に向かう。

側面の柱の間から、先ほどの橋が見える。
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乗客は、ほかには原付一台だけ。
乗船時間10分程のなかなか風情ある乗り物だった。


渡った先の長浜で、地元こんびにに立ち寄る。
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店のおかあさんに地元の物はある?と聞くと、
近所のパン屋の自家製パンと、
近所の工場で作っていて今売り出し中のノムラのミレービスケットを勧められた。
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お遍路さんかえ?と聞き返されたので、
いえいえ観光です。今から桂浜へ行こうと思ってます。
と答えると、とても丁寧に道順を教えてくれた。


教えてもらった花街道を進む。
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風が強くなってきて走りにくく、乾燥わかめが飛ばされそうにもなったが、
道は整備されていて、おもてなしの気持ちが伝わってくる。


少し登らされて、
8:30 桂浜。
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風雲急を告げる時代の主人公ゆかりの地にふさわしい天気になってきた。
雲だけでなく雨粒も落ちてきた。
イメージ 18


急いで、来た道とは反対側、浦戸湾沿いを戻る。
乗ってきた渡し船が、湾に浮かんでいるのが見えた。
イメージ 19




つづく

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