石の思い

もう五月…。あっ、金環日食見ました〜♪

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「人間の建設」岡潔・小林秀雄 対談集

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「それでよいのだと思います。仕方がないということではなく、それでいいのだと思います。」

                          『人間の建設』

図書館本の忘備録。

『人間の建設』 小林秀雄(こばやし・ひでお)と岡潔(おか・きよし)の対話集。

小林秀雄は評論家。岡潔は数学者。

有り体にいえば雑談である。しかし並みの雑談ではない。文系的頭脳の歴史的天才と理系的頭脳の歴史的天才による雑談である。

↑文庫うらの謳い文句も奮っています^^

表紙の岡潔の写真がいいのです。(ぶっちゃけ表紙の写真を見てうっかり手に取りました^^;)

「古武士?古武士なの!?」

刀剣じみた風貌です。

言動もとてもはっきりしていますね。ことばは短いです。そして迷いがありません。
むっちゃ格好いい。なんていうのかなあ。ポーズをとらないというか。悩んでるふりをしない潔さっていうか。
自分の生き方を、こう、決めちゃっているんですよね。決断してる。ゆるがない。
うーむ、こういう人はもう平成の世には出ないのかなあ。出たら出たで危険人物なのかも…
うーむ、ちょっとさびしい^^;うーむ、うーむ。

とても素直な人で、「トルストイってイマイチ好きになれなかったけど、小林さんの話をきいたら偉い人のようだから見なおした…」的な、自分の知らないことを知った時の態度の素直さが、ほとんどあどけないくらいで
とても正直でまっすぐな反応に胸がきゅんきゅんしました。
あー、こういう人って好きだわー。

と、久々に気持ちの良い御仁に出会って大満足なのでした。ツボです。

(あ、もちろん小林秀雄の「岡さん、トルストイを誤解しないで!すごいの、ピュアなの、まっ正直なの!」という熱烈アタックにもくらくらきましたが^^)

以下、個人的な抜き書き、忘備録。まとまっていなくてすみません…。


岡   トルストイは人としてたいへん偉いですか。

小林   偉いです。

小林  トルストイの目は、何とも言えない、健康で、明瞭で、廻り道や裏道が一つもないものです。
    美しいと思いますね。あの目で思想問題もやったのです。
    正直な明瞭な目でキリスト教というものを見て、一直線に進んだのです。

    ああいう文章はドストエフスキーには書けません。ドストエフスキーにはああいう目がないのです。
    横から見たり縦から見たり。ドストエフスキーという人は、病身で複雑な都会人でして…。


小林  (ドストエフスキーは)「無明」の極がトルストイよりもよほど濃いのです。
     トルストイは「懺悔録」なんてものを書いていますが、ドストエフスキーには懺悔録なんか
     ないのです。
     トルストイには痛烈な後悔というものがあるのですが、ドストエフスキーに言わせれば、
     自分の苦痛は、とても後悔なんかで片付く簡単な代物ではないと言うかも知れません。
     そこまでの「無明」があの人を取り囲んでいました。
     そういうところがトルストイとドストエフスキーの違いです。
     だからふたりの戦闘というものは違うのです

    トルストイは死ぬか生きるかのはっきりした戦闘をして、最後にやられるのです。

    ドストエフスキーはもっと複雑で、うろうろ、ふらふら、行ったり来たりしている。
    それが彼の宗教体系なのです。


岡   善人で努力家。トルストイを悪く言うのはやめましょう

・・・・・・・

小林   「白痴」も、よく読むとあれは一種の悪人です。

岡    ムイシュキン公爵は悪人ですか。

小林   悪人というと言葉が悪いが、全く無力な善人です。


(ここのあたりのやり取りがすごく良くて…。岡氏が、とても心外だ、思ってもみなかった、というふうに「ムイシュキン公爵は悪人ですか?」と問いかける部分は、たまらない…。)

注:ムイシュキン公爵:ドストエフスキーの『白痴』の主人公。
  知恵おくれだが、純真で人の心を武装解除してしまうような美しい魂をもった青年。
  彼の存在がきっかけで、ゴキブリのように生き汚い商人・ロゴージンと薄幸の美女・ナスターシャ
  の魂は翻弄され、時に昇華され、最後には破滅へと疾走してゆく。

( 個人的にも「白痴」は大好きな話なのです。本当に生きる為にはどんな汚いことでもするロゴージンが、ムイシュキンに向ける隠しようのない友情とか、ナスターシャがムイシュキンに向ける畏敬にも似た憎しみとか…。この三人の三角関係を軸にした恋愛小説(?)です。ロゴージンとナスターシャは、ムイシュキンの事を本当に掛け値なく愛しているんだけれど、同じくらいに彼を踏みにじって壊してしまいたいとも思っていて。嵐のように進んでゆく物語にハラハラしながらページをめくった記憶があります。
ムイシュキンだけが、最初から最後まで変わらずに穢れなくて、最後には穢れのないままに発狂してしまうのです。で、読んでいる方としては、なんだかほっとしちゃうんですよね。ああ、壊れてくれた、よかった、って。どんな感情かうまくは説明できないのですが、なにしろほっとしちゃいます。
ムイシュキンを見ていると「存在悪」ってあるんだなー、とつくづく思わされます。
って、かなり長くなりました。すみません^^;)

・・・・・・・

小林  ピカソにはスペインの、ぼくらにはわからない、何というか、狂暴な、血なまぐさいような
    血筋がありますね。ぼくはピカソについて書きましたときに、そこを書けなくて略したのです。
    在るなと思っても、見えてこないものは書けません。あのヴァイタリティとか血の騒々しさ
    を感じていても、本当に理解はできないのです。それがわからないのは、要するにピカソの絵
    がわからないことだなと思った。ぼくら日本人は、何でもわかるような気でいますが、実は
    わからないということを、この頃つよく感じるのですよ。自分にわかるものは、実に少いもの
    ではないかと思っています。


岡   小林さんにおわかりになるのは、日本的なものだと思います。


小林  この頃そう感じてきました。


岡   それでよいのだと思います。仕方がないということではなく、それでいいのだと思います
    外国のものはあるところから先はどうしてもわからないものがあります。

・・・・・・・


小林  (ピカソは)「無明」をかく達人である、その達人というものはどうお考えですか。

岡   それほど私はピカソを高く評価しておりません。ああいう人がいてくれたら、「無明」のあること
    がよくわかって、倫理的効果があるから有意義だとしか思っておりません。
    ピカソ自身は、「無明」を美だと思い違いしてかいているのだろうと思います
    人間の欠点が目につくということで、長所がわかるというものではありませんね。
    とうてい君子とはいえない。小人にはいるでしょう。

                                   

岡   (ピカソは)男女関係を沢山かいております。それも男女関係の醜い面だけしかかいていません。
    あれが「無明」というものです。人には「無明」という、醜悪にして恐るべき一面がある。

    人は自己中心に知情意し、感覚し、行為する。その自己中心的な広い意味の行為をしようとする
   本能を「無明」という。ところで、人には個性というものがある。芸術はとくにそれをやかましく言っている。
    漱石も芥川も言っております。そういう固有の色というものがある。
    その個性は自己中心的に考えられたものだと思っている。本当はもっと深いところから来るものである
ということを知らない
    つまり自己中心的に考えた自己というもの、西洋ではそれを「自我」といっております。
    仏教では「小我」といいますが、小我からくるものは醜悪さだけなんです


こういうゆるぎなさって、作家さんには逆立ちしても持てないんじゃないかなあ、と思います。数学者ならではというか…。
そういう意味でも、とても面白い対談でした。



****


すごく古い本かと思ったら、文庫版は平成22年3月初刷でした。対話自体は1965年(昭和40年)ですが…。
これ、売れるのかなー?新潮社。でもありがとう、新潮社。

☆☆☆

『人間の建設』(岡潔/小林秀雄)新潮文庫 (税抜・362円)

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「大工と私」(講演記録) 幸田文

「哀しくて、だけどなんてすがすがしい男」

                  幸田文 「大工と私」


小川三夫『不揃いの木を組む』、西岡常一『木に学べ』

棟梁たちの本を読んでいいなあ、すごいなあ、と嵌っているきょうこのごろ。

『幸田文全集 第23巻 雑纂1』の講演記録を読んでいたら。

棟梁でない、若い大工さんたちのお話がありました。

忘れがたい文章だったので抜き書き。

講演記録「大工と私」より。

奈良・法輪寺の三重塔にたずさわった若い大工さんたちの話。

塔がだんだん仕上がって、別れが来る。みんなだんだんにちりぢりになってゆく。

「既に木造の部分の仕事を終えた若い大工さんは、手をあけていることができないからほかの土地へ移って行かなくちゃならないんです。残る者が送り出すんです。寂しい別れがそこにあるんですね。男なら食っていかなくっちゃならない。そして出発するんです。」

古代建築って、稼げないんですってね。意外でした。第一に仕事がない。

大きな仕事がおわったあと、若い大工たちは、次の仕事の口がほとんどないのが実情だそうで。

棟梁は、若い大工たちの次の仕事の口をみつけてやれない、と、気に病んでいます。

だから若いやつらに古代建築は勧められないんだ、といいます。

「これだから古代建築は、俺は、どんなに言われても、文化財なんだと言われても、人に勧められないんだよ。」

「この次の満足な仕事の口を若いもんにやるからこそ棟梁の力があるんだけれど、私にはそれがない。どこを捜してもいい古建築の新築はない。」

「あとはどうするかな」


・・・・

「皆どうするの」

幸田さんが問います。

すると若いひとは応えます。

「うん、いいよ」

「いよいよせっぱ詰まってくりゃ、日雇いに出るから・・・。」

「だって、あんた、ここでこんな大きな檜材使って仕事したものが日雇いになるの?」

「道路工夫してもいい、しょうがないじゃないか、俺生きていくよりほかねえもん」

「ここでしたことが果てれば、俺はそれでいいと思っているんだよ。

俺、一生恵まれなければ、人夫で終わっちゃうかも知れない。

だけども、子供ができても、俺はひとつだけ言えるんだよ。

<こういうところに、こういう塔があって、そこの西側を俺がやったんだ>ってね。」

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読書メモ

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ご無沙汰です。もう4月も後半戦だなんて信じられませんね。
一年の1/3が過ぎようとしているんですよ。まって。いろいろ待って…!!(心の叫び)

そんなこんなで相も変わらず、つらつらと読んだ本の事などを。
忘れないうちにメモメモ。

『文豪』 松本清張 (文春文庫)
坪内逍遥の死と妻をめぐる異説。尾崎紅葉=泉鏡花師弟の確執。ひそかに樋口一葉を想う斎藤緑雨の孤高…。
従来の評論家・文学研究者と異なる角度から光を当て、取材と推理を駆使して定説の盲点を突く。
明治文壇史にさんぜんと輝く強烈な個性の栄光と悲惨を描き、文学研究者からも高い評価を受けた評伝的連作小説。(文庫あとがきより)

明治の文豪を題材にした推理小説?といえばいいのかな??
通史・通説の後ろに隠された、文豪たちの横顔、その陰影に迫った迫力の文章。

「行者神髄(ぎょうじゃしんずい)」 

娼妓あがりの妻の前身をひた隠しにし、山田美妙の天才へ激しい嫉妬から、文壇から美妙を追い落とそうとする坪内逍遥の暗い心中とは…。

「葉花星宿(ようかせいしゅく)」

今をときめく弟子・泉鏡花(いずみ・きょうか)への複雑な思いを秘めた文壇の重鎮・尾崎紅葉(おざき・こうよう)。
理想的な師弟の陰に隠れた各々の思いとは…。

「正太夫の舌(しょうだゆうのした)」

舌鋒するどく、世の中を文学者を、めったぎりにしつつも、ついに貧困と病のうちに死んだ斉藤緑雨(さいとう・りょくう)の樋口一葉(ひぐち・いちよう)に対する秘められた恋とは?
(※正直正太夫(しょうじき・しょうだゆう)は斉藤緑雨の別ペンネーム。)

全体的に「暗い情熱。暗い執念」といった感じで、読んでいてとてもしんどかったのですが。
↑これ、短編だといいのですが、中編以上でやられるとチョット疲れてしまう^^;

ただ、同じ題材で他作家さんの作品を読んだことがあるのですが、松本清張の文章の方が段違いで迫力があります。厚みが違うというか…。やっぱりすごい作家さんですね…。ふぅ〜。

一番面白く場面展開も巧みで「読みで」があったのは「行者神髄」でしたが。

年明けに樋口一葉(ひぐち・いちよう)の天才ぶりにKOされ。

「緑雨という男は幸福になるには骨がありすぎた。小骨もね。」
(辰野隆 『忘れ得ぬ人々』より)

のフレーズで、緑雨の生き様(っていうか死に様?)に痺れた身といたしましては。

ふたりが登場する「正太夫の舌」を楽しく読みました^^



斎藤緑雨の評伝をとある書肆から依頼された売れない老作家・「自分」が緑雨の足跡を辿る、といった内容。

主人公「自分」は、(どうやら緑雨は一葉に岡惚れしていたようだ)と指摘しています。

当時一葉の家は『文学界』の同人のサロンのようなものになっていて、緑雨もそこに足繁く通います。

一葉の日記より。緑雨を評して。(清張訳)

「この男、敵としてもおもしろいが、味方につけるとなおさらに妙味がありそうである。
 眉山や禿木など気骨のない男にくらべて一段と格は上と見た。」

(注:眉山…川上眉山(かわかみ・びざん)、禿木…平田禿木(ひらた・とくぼく)両者とも文学界同人。)


みごとな値踏みです。「敵にしても、味方にしてもおもしろい男」って…!!どんだけ魅力的。

こんな風にいわれる男も男なら女も女。絶品です。しかも書いているのは天才・樋口一葉なのですから。


どうやら一葉は、自分をもてはやすだけの当時の世間の評をあまり好まなかったらしく。

世間中が「熱涙を流した」とほめそやす「にごりえ」に対して、ひとり緑雨だけは、

「君が作中には、此冷笑(あざわらい)の心みちたりとおもふはいかに。」

と突きつけています。

「されど、世人のいふが如き涙もいかでなからざらん。そは泣きて後の冷笑なれば、正しく涙はみちたるべし」


「泣いた後の冷笑」とはすごい表現ですね。


貧しく苦しい生活。家長として母や妹の面倒を見、食べさせていかなくてはならない責任。うまくいかない商売。女が小説を書くということ。世間の評判。自身の才能への自負、などなど…。
苦の娑婆でぎらりと光る刃物のように冷たい目を光らせている一葉の姿が目に浮かぶようです。

めそめそ泣いて苛め抜かれているばかりではない、底光りする力の凄みのようなものを感じさせられます。

一葉もこの評を受けて、緑雨のことを「おもしろい男だ」と一目を置いたのでしょうか。

天才同士の火花の散る応酬です。

結局ふたりとも、貧困と病の中で早くに命を失ってしまうのですが。(一葉24歳。緑雨37歳。)
何かしら境遇にもシンパシーがあったのかなぁ?


うーん、緑雨と一葉についてもう少し調べたくなってきました〜^^


・・・・・・・・


『木に学べ』 西岡常一 (小学館文庫)

法隆寺金堂の大修理、法輪寺三重塔、薬師寺金堂や西塔などの復元を果たした最後の宮大工棟梁・西岡常一氏が語り下ろしたベストセラー。待望の文庫化。(文庫あらすじより)

西岡常一棟梁の聞き書き。聞き手は塩野米松さんです。

第六章の「棟梁の言い分」が面白かった〜。

「法隆寺の鬼」のエピソードをかいつまんで。(注:文章はこの通りではありません)


時は戦後まもない昭和24年。法隆寺で火を出してしまい、金堂の壁画を焼いてしまった時のお話。

国から「法隆寺の壁画を上野の博物館へ持っていってそこで保管することにした」

と通達があるんですね。

で、法隆寺サイドとしては、そりゃ嫌です。

でも強く言えない。火を出してしまっていますから。「お前らのせいだろう」となりますから。

当時の住職・佐伯定胤(さえき・じょういん)さんは困り果てて、西岡棟梁に相談しました。

「(壁画をもっていくのを)なんとか止めてもらえんかいな」

「はあ、さよか、ほなまかしておきなはれ」

***

さて、役人さんが来たので西岡棟梁が出てゆく。

「あんな、あんたな、よう考えてみい。あの壁画は法隆寺の本尊さまみたいなもんやろ。
やから持っていったりしたら、あかんよ」

こうお願いするわけです。(法隆寺から魂をぬくようなものだからやめてくれ)と説くんですね。

でも、役人さんは、決めたことだからそういうお願いは聞き届けない。

まあ、行政ですから。決めたことは履行するだけなんです。

「きさま、国の方針に手向かうのか」になっちゃう。

「定胤サンも悲しんでおられるし、ほんでな、どうしても、持ってくっていうんならな」



「あんたの首、ノコギリで挽いてしまうで」



棟梁!!棟梁!!

それ、脅しですよね?ハイ、わかります。まごうことなき脅しです

ちょうど50人くらい若い大工もいるしって。

実力行使ですね。棟梁!!


「ときにはそういう無茶なことを言わんと道理が通りませんのや」


す、すごいです…。

国としても文化財保護は急務だったので、どっちが良い悪いの話ではないのでしょうが^^;

「自分は法隆寺の大工だから法隆寺がわに付く」とはっきり言い切る西岡棟梁の毅然とした態度には胸を打たれます。

どっちつかずだと、結局どこにも行けないし、何にもならないんですよね^^;
…なんだかそういうこともいろいろ考えさせられました。

西岡棟梁の尽力もあって、壁画は法隆寺が保存することになったそうです^^

そしてこの火災をきっかけに毎年1月26日の「文化財防火デー」が設けられたそうです。

へええー。

・・・・・・・

そんなこんなで。こんな感じで。

ではまたー。

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『連環記』 幸田露伴 (岩波文庫)

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「寂心は大(おおい)に感激した随喜した。そして堪り兼ねて流涕(りゅうてい)し、すすり泣いた。」
                                  「連環記」 幸田露伴

「おもしろいおもしろい」と巷で噂の幸田露伴の史伝「連環記」を読みました。
本当におもしろかったよ。いやすごい。ロハンぱねえ。(←当世風)忘れぬうちメモメモ。

慶滋保胤(かものやすたね)/寂心(じゃくしん)
平安中期の人。
陰陽博士の賀茂氏の傍系。主家の陰陽博士ではなく、文章博士の道をゆく。大内記(だいないき)として、朝廷に出仕。仏心甚だしく、俗世中に「日本往生極楽記」を記す。子の成人を待ち、出家。寂心と名乗る。諸国遍歴後、如意輪寺で没す。弟子に寂照(じゃくしょう)がいる。

大江定基(おおえのさだもと)/寂照(じゃくしょう)
文章・和歌に秀でたキレ者。三河守として赴任の際、妻を去り若き女・力寿(りきじゅ)を得る。女病を得、死すにおよび悲しみのあまり、埋葬もせず遺骸の傍らに侍る。数日後、生けるがごとき女の死骸の口を吸うと、そこよりあさましい死臭がした。ついに女を弔う事を決める。その後ふっつりと俗世を思い切り発心。寂心の元に身をよせる。寂照を名乗る。

保胤(やすたね)往来の牛に泣き、門の女に涙を流すのこと

ある時、保胤が都の大路(おおじ)を歩いていた。たまたま非常に重げな嵩高な荷を負うて喘ぎ喘ぎ大車を牽(ひ)き、よだれを垂らして脚をふんばっている牛を見かけた。

「牛は力の限りを尽して歩いている。しかも牛使いは力むることなお足らずとして、これを笞(むち)うっている。」

他愛ない日常の姿である。が、保胤はハラハラと涙を流す。

「ああ、疲れたる牛、厳しき笞(むち)、荷は重く途は遠くして、日は熾(さか)りに土は焦がる、飲まんとすれど滴水(しずく)も得ぬその苦しさはそも如何ばかりぞや、嗚呼、牛、汝(なんじ)何ぞ拙(つたな)くも牛とは生まれしぞ、汝今そもそも何の罪ありてその苦を受くるや」

そう思っているうちに、はっし、とムチの音が響く。
保胤はたまらない。

南無、救わせたまえ、諸菩薩(しょぼさつ)、南無仏(なむぶつ)、々々々」そう念じた。

保胤にとっては、この世は即ち悲(ひ)であり、哀(あい)であった。
娑婆は苦に満ちており、それをいわたしいとして泣き、とめどもなく泣き、さらにまた泣くのがこの人であった。

さて、こんなこともあった。
ある日、保胤が宮中に参内しようと道をいそいでいた。
ふと、門のところで女が実に苦しげに泣いて立っているのをみかけた。牛馬にさえ悲憐(ひれん)の涙を惜しまぬ保胤であったので、どうかしたのか?と問いかけた。女は答えた。「主人の使いで帯を人に借りて帰ってきた途上でそれを落としてしまった。どれだけ探しても出てこない。主人の用をこなさず、人さまの物を無くすなどとは、もはや生きていても死んでいても身のたつ瀬のないものだ」と泣きながら申し上げた。聞けばそれは衣冠束帯、朝服の石帯(いしおび)であり、その帯がなければ、宮中に参内できぬという。保胤はあわれを催して、さてどうしようと思いかねた。参内の時間はせまっている。主人はさぞや気をもんでいる事だろう。したがって女は搾り上げられるような焦燥のなかで嘆いているわけだ、と思うと、もうたまらず、スルスルと自分の帯を解き、女に与え「疾く、疾く、主人が方にもて行け」とせかした。女は手を合わせ喜び勇んでたちまち消えた。さて、と保胤もホッと一ト安心―――。ア、今度は自分が帯なし、帯なしでは出るところへ出られぬ、と困惑するにいたる。
帯なしのあさましい姿では往来にいることもできず、恥ずかしがって片隅に隠れていた。

「さて片隅に帯もなくて隠れいたりけるほどに」と「今鏡(いまかがみ)」にも伝がある。
公事、いままさに始まらんとしている。大内記(だいないき)の保胤が出てこないでは仕方がない、同僚は遅い遅いと待ちかね待ちこがれ、ついには門の外まで探索の手を伸ばす。あわれ、帯なしの保胤は顔を赤くして隠れている。人々はそれを見て呆れもしたし、「なんたる厄介千万」と舌打ちもしたであろう。が、兎にも角にも公事である。面目なさに弱りかえって度を失った保胤をひきずりだし、抱えるようにして「疾く、疾く」とせかし、余所より帯を借り、またもやクルクルと保胤をまわして帯を締め直させ、辛くも内に滑り込み、公事はとどおこおりなく行われた。

これが保胤である。保胤とはこういう人である。

「これでは如何に才学があって、善良な人であっても、世間を危気(あぶなげ)なしには渡っていかれなかったろう」

保胤、寂心となるのこと

保胤は寛和2年をもって、落髪出家の身となった。なるべくしてなったというが正しかろう。
名は寂心(じゃくしん)。世間には「内記の聖(ないきのひじり)」と呼ばれた。

増賀、根負けするのこと

さて、この寂心、ますます仏道に邁進するために、師を求めた。
横川に増賀の聖(ぞうがのひじり)という摩訶止観(まかしかん)を説く僧があった。その元に馳せ参じた。
この増賀、俗気が微塵もなく、深く名利(みょうり)を憎んで、断崖絶壁の如くに身の取り置きをした。断崖絶壁の君であるからして、世間の常識は通じない。時には、学僧仲間からも煙たがられるほどの断崖絶壁ぶりである。こうと決めたら、必ずそうする。理屈も会話も通じたものではない。随分厄介といえば厄介な、つまり、すなわち、そういう人であった。

さて、摩訶止観の講義である。
寂心はおとなしやかに講義に耳を傾けている。他にも数人の学僧がいる。とある部分で寂心が感極まって泣いた。

「寂心は大(おおい)に感激した随喜した。そして堪り兼ねて流涕(りゅうてい)し、すすり泣いた。」

すると、増賀はたちまち座を降りて、つかつかと寂心の前へ立つなり

「しゃ、何泣くぞ」と拳を固めて、したたかに寂心が面を張りゆがめた。

「我の話を声などたてて妨げるとは何ごとか」と怒ったのである。

周りの学僧は(感涙を流して謹み聞けるものを打つとは何ごとぞ)としらけきっている。
寂心のみ心をいれかえ、声をあげませぬ、泣きはしませぬと詫び詫びして、ふたたび講義に聞き入った。
それでも泣いてしまうのが寂心である。かれは感動すると泣いてしまうひとなのである。
増賀は再び、座を馳せ下りて寂心をしたたか打った。寂心は詫びて泣きやみ、周りは必死にとりなし、みたび講義が再開する。さて間もなく寂心が泣きはじめた。増賀は降りてその横面をしたたか殴りつけた。
三度の涙と三度の殴打をもってして、増賀が負けた。さすがに負けた。
根負けである。寂心の誠心誠意に断崖絶壁の人はついに兜をぬいだ。
こうして増賀・寂心の師弟は結縁した。

「寂心という人は事業などは出来ぬ人である。道理で寂心が建立したという堂寺などのあることは聞かぬ。」と、露伴も呆れつつ「寂心は寂心であった。」とヘンな褒め方をしています。

さて、寂心の弟子、寂照のエピソードはこんな感じ。
この人は、割と豪傑肌で、寂心とは違って浮世でも相当な出世の出来るキレ者だったが、30歳手前で女に躓いた。三河守として赴任した先で、力寿(りきじゅ)という若い女に入れあげ、古女房を棄ててしまう。
力寿はやさしいいい女だったが、病を得、定基の必死の介抱もむなしく、亡くなってしまう。

定基(さだもと)死せる女の口を吸うのこと

一日すぎ、二日すぎても、美しい力寿は美しいままだった。まるで生きているようだった。目を閉じているだけかと思われた。
定基はその傍らで昼も夜も過ごした。わが心がわがものでない気がした。

古い文にいう。

「悲しさの余りに、とかくもせで、かたらひ伏して、口をすひたりけるに、あさましき香の口より出来(いでき)たりけるにぞ、うとむ心いできて、なくなく葬(はふ)りてける」

「どうも致しかたのない人の終りは、そうするかそうされるのが自然なのである。生相憐(あわれ)み、死相捐(す)つるのである。力寿定基は終(つい)に死相捐てたのである。」

その後、定基は、周囲の慰留も振り捨てて発心。寂心のもとに走った。
時は永延2年、齢は31。露伴翁曰く「よく思いきったものであった。」

寂照、古女房に会うのこと

さて、寂照が仏道の修行に邁進していたころの話。
頭陀行(ずだぎょう)のなかに「常乞食(じょうこつじき)」という行がある。家々の前に立って食を乞う行である。ある日、寂照はりっぱな邸宅に招かれた。庭に畳を敷き、食物がおかれている。「寂照何の心もなく、施されるままに畳に座り、唱えごとして食わんとした。」と、眼前のすだれスルスルと上がり、そなたを見ると、美しい装束を来た女がいた。

「寂照は女を見た。女も寂照を見た。眼と眼とは確かに見合わせた。」

そこにいるのはかつて、寂照いや定基が追い出した古女房であった。
女の目には無量の物があった。怨恨、毒気、勝利、侮蔑、冷気、軽蔑、嘲り、それらのものが一緒くたになり、氷でできた刀のような鋭さで寂照のからだに襲いかかった。
女は極めて鈍くうすわらいをした。凄惨であった。

だが、定基はすでに定基ではなく、ここに居り乞食しているのは、寂照であった。
「寂照は寂照であった。」
女の怨嗟は女から放たれ、寂照におそいかかった。

「我に吹掛ける火焔の大熱は、それだけ彼女の身を去って彼女に清涼を与えるわけになった。
我に射掛くる利箭(りせん)の毒は、それだけ彼女の懐を出でて彼女の胸裏を清浄にすることになった。」

厭離。怨讐。嫉妬。その矢は寂照が引き受けた。その的たるが寂照であった。

因果応報の理はここにおいて断たれたのである。
彼女の苦しみは彼女を離れ、決して彼女に戻ることはなくなったのである。
怨嗟の飛距離は彼女の清浄に比例した。

その後の女のことは知らぬし、ものの本にも書かれておらぬ。ただその業火が女を焼かず清めたという伝えがあるのみという。

寂心、没す。および寂心娑婆帰来(しゃばきらい)のこと

寂心の終りは安らかなものであった。
こころの優しい泣き虫の寂心は、僧としてこれといった事業をするでもなかった。その死も、しずかに、おだやかに、朝日に溶ける露のごとき終りであったという。

さて、こんな言い伝えがある。ある場所のある人がこんな夢をみた。

「寂心上人は衆生を利益(りやく)せんがために、浄土より帰りて、更に娑婆に在(い)ます」

寂心ひとりが娑婆に帰来しようがこの世の哀しみが消滅するわけでもあるまいに、お人よしの彼は、また泣くためにのみ、ノコノコと苦の世界に戻ってきているらしいのだ

うれしい知らせであった。

「寂心は世を哀(かなし)み、世は寂心の如き人を懐かしんでいた。」

何かにつけては泣き、周囲に面倒をみられ通しであった保胤こと寂心であったが、世の人々はそのような彼をやれやれと思いつつも、ひどくまぶしいものを見るように懐かしんだという。

そういう伝えである。

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僕らが旅に出る理由

イメージ 1

「もうこれで永日じゃ。わしはかなわん!」

             井伏鱒二 「言葉について」



こんな言葉を読むと旅に出たくなります。

日本海のXX島のれっきとした別れのあいさつです。

(もうこれっきり会えないだろうね?ちょっと寂しいといった感じじゃないか!)

井伏訳だと、こうなるそうです。


「日本海のXX島の住人は男も女も申し分ない肉体をしていて、言葉づかいも一風かわっている。」

お粗末で喧嘩腰のふしぎな言葉にかこまれた旅人のスケッチといった風。
話のスジもヤマ場もオチもありませんが、ずいぶんいい感じの掌編です。


読んでいると、むしょうに旅に出たくなります。すると、思い立ったが吉日です。


靴箱のなかからほこりまみれのズックをひっぱりだしたり、腐った靴ヒモを新調したり、と準備に余念がありません。

終いには天気図やら海図ら磁石やらを取り出してきて。
「いや、お前はいったい何処へ行くつもりだ」としばし自問の末、海図と磁石は不要との天啓を得ました。
行く先海ないし。


***

「永日」というのは、春の日。あくびのでるほど長くのたりとした昼間のこと。

転じて、別れのあいさつ。

(いずれ日ながの折にゆっくり会おう)と約してひとは別れます。


別れというのは、いいものだな。特に春はな。いい時期だな。うん。

寂しいし。明るいし。うってつけな気がします。


サヨナラ。アバヨ。おさらば。ハイチャ。いずれまた。ごきげんよう。グット・バイ。


思いつくままに、別れのあいさつを列挙してみて。

ますますいいもんだなあ、と思います。
(↑急にあたたかくなって、脳が弛んでいる為もある。)

そういえば、こんなうららかな詩もありました。


 「さよなら、さよなら! 
  こんなに良いお天気の日に お別れしてゆくのかと思ふとほんとに辛い
  こんなに良いお天気の日に」

 「さよなら、さよなら!
  僕、午睡(ひるね)の夢から覚めてみると
  みなさん家を空けておいでだつた
  あの時を妙に思ひ出します」


 「さよなら、さよなら!
  さよなら、さよなら!」

                    中原中也 「別離」より。


***

と、いう訳で、週末は旅に出ま〜す^^

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