2008年・ベスト本
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師走も半ばを過ぎて、そわそわと落ち着かない日々が続いています。 一年の総括として、心に残った本の記録ベスト10をば。
「そうよ、あたしを見ていて。あたしを見守っていて。もう遅すぎるという日がいつか来るのよ。」
自分の中で完全に何かが終る。お終いになる。望む望まざるに関わらず、人間にはそういう瞬間がかならず訪れる。 みんな黙ってそれを受け入れる。確かな胸の痛みを覚えつつ、羊のように従順に。 語らない。語れない。だって我々は言葉をしらない。胸の痛みをうったえる言葉を持ちあわせていない。 だから<作家>という生き物が、我々には必要なのだ。
<あなたたちにはわからないの?何ごとも永遠には続かないということが?
この作家さんって<黒い人>を書くのが好きなのだろうか?
気がついたときにはもう遅いということが?>
「太陽に抗議する」でも「湖畔の一日」でも、<黒い人>が現われて主人公の時間を殺してゆく。 今まで信じていた世界が、突然、なにもかも、だまし絵のように、くるっと回転して変わってしまう。 その予感、その不安、そしてひりひりするような、期待。胸の高鳴り。 <黒い人>はそのスイッチのような役割をする。まるで執行人のようだ。 「 もう時間ですよ。もうお終いですよ。ぜんぶ、間に合わないんですよ」 とりつく島もない優しさで、そう宣告してくれているような気がする。 そうして我々は、薄々は気付いていたけれど、認めたくなかった事実をうけいれるのだ。 変わったのは<世界>ではなく<自分>の方なのだ、と。 『地の果て、至上の時』のショックから立ち直れないままに手に取った本作。(秋幸〜!!) 若さと美しさの絶頂で突然生命の幕を引かれる<中本衆>たち。 そんな彼らを見つめ続ける産婆・オリュウノオバ。 女の股から生まれ、オリュウノオバに取り上げられ、滅び、見取られてゆく。 <ボウフラのように湧いては消える>生命たち。 滅びるために生まれてくる生命、そんな風にしか生きられない者たちがいる。 いた。 そんな生き方を見つめ続ける人がいる。 いた。 いてくれた。 それだけでよいと思った。 オリュウノオバはひとつの<救い>の姿だと思った。 せめて物語の中だけでも、オバのような人がいてくれてよかった…。 3、ユーゴ・サッカー三部作 木村元彦 『誇り〜ドラガン・ストイコビッチの軌跡〜』 『悪者見参〜ユーゴスラビアサッカー戦記』 『オシムの言葉』 http://blogs.yahoo.co.jp/ango1jp/55903503.html 「何より美しくあれ」 スポーツ・ノンフィクション。深入りしすぎた物書きの記録。 旧ユーゴスラビア社会主義連邦共和国。いまはもう地球上に存在しない国。 <ヨーロッパの火薬庫>そんな喜ばしくないレッテルを貼られた土地でひとりの少年が生まれた。 ドラガン・ストイコビッチ。通称ピクシー(妖精)。 1990年代。彼の華々しい選手人生と同時進行に崩壊してゆく祖国・ユーゴスラビア。 内戦。民族浄化(エスニック・クレンジング)。空爆。スポーツ制裁。アネックスB。西欧諸国の(大掛かりな)メディア操作。国際社会からの孤立・・・。 そんななかでただひたすら誇り高く、ただひたすら美しいプレーをし続けるフットボーラー達がいた。 その記録。 「悲しいことがなくなると、たいていみんな忘れちゃうのよ。 いまはどうやら、悲しいこともあまりなさそうね。ずっとそういうふうでいるのよ、坊や」 シカゴの南側(サウス・サイド)。栄光の<公認荒廃地域>。 耳慣れないさまざまな言葉を喋る少年たちが暮らす街。 たくさんのものが弔いも受けず、<ただ消えていって>しまう街。 「朝鮮戦争とベトナム戦争のあいだの、ロックンロールが完成に近づいていたころに、 僕らの町が<公認荒廃地域>に指定された。」 少年達はバンドを組んだり、詩を詠んだり、オンナノコと付き合ったり、サックスを吹いたり、車を潰したり、氷を吸ったり、ポルカを踊ったりしていた。 そして、いつのまにか消えていった。 <ただ単に消えてしまった人間をどう弔ったらいいのか、誰にもわからなかった> 冒頭の引用は「冬のショパン」より。 黒人の子を身ごもった女子大学生・マーシーの台詞。 階下に住む少年へ向けたこの台詞が、作品全体を通しての(やがて消えてゆく)少年たちへの祝福のようでした。 福井県の小さな町で繰り広げられる凄惨な家族小説。(ファミリー・サーガ) <人間凶器>・<移動式地獄>・<暴力の永久機関>奈津川二郎(ナツカワジロウ)は いかにして「奈津川二郎」に成り得たのか? 末っ子で腕利きのER・奈津川四郎が饒舌なまでにしゃべり尽くす「家族の肖像」。 図書館で借りた本なので引用できず…。断腸の思い(涙)。再読用に絶対に買います。 二郎がね、いいのよ。すばらしいのよ。おそろしいのよ。 えーと、二郎が<秋幸>にダブるのは私だけでしょうか・・・?
「得意になって人の世話をやき、気がつくと自分一人が取り残されている」
以前からずっと不思議だったのだ。「向田邦子ってどうしてあんなに人気があるんだろう?」 読んで納得。これは・・・愛されるわ。 あまったるくないのだ。よわくないのだ。ただ、やさしい。 きゅっと心をしぼり、なごませ、はっとさせる、ていねいに綴られた文章を読んでいると 「ああこの人にもっと早く出会いたかったな」と思う。
「じゃあ、すごく愛しあってるんだね」
「すっごくね」 あんまり面白くていっき読み!! 『飛ぶ教室』もそうでしたが、ケストナーの書く男の子たちってなんでこんなにけなげで可愛いんだろう! とか思っていたら『ふたりのロッテ』もすんばらしいの!前言撤回。女の子もすごくいいッ(><) 「何ひとつ申し分のないしあわせな気分ですよ」
「赤毛のアン」のスピンオフ・ストーリー。アンはほとんど登場しません。
アヴォンリーの愛すべき(ちょっぴり偏屈で)とびきりキュートな住人たち。15年間口をきかなかったカップル。一人の少女を幸福にするために全力投球な孤独な老淑女。神を憎む姉。完全無欠のオールド・ミス(と、その猫)。神の音を鳴らすバイオリン少年…。 「ロイド老淑女」が特にお気に入りです。
「おとうさん、お静まりなさいませ」
のちに岩波書店の二代目社長になる小林勇(こばやし・いさむ)の露伴宅への訪問記。全編を通して記録される露伴の小気味良い喋り口調がよいです。
「蝸牛庵というのはね、あれは家がないということさ。
身一つでどこへでも行ってしまうということだ。」 (露伴 談)この小林勇という方がそうとう面白い。あの時代だからこそ生まれた傑物という感じです。 人間の器が大きいとかそういうのではなく、相手の懐に飛び込んでゆくずうずうしさ。野心家で年上キラー。自分の気持ちに正直な人なんだろうな。 やりたいことは何がなんでも実現させる手腕。欲しいものは何としても手に入れる気質。手痛いしっぺ返しも相当食らったろうと思います。しかしそれを恐れて萎縮などしない。 露伴が持っていた巻物(?)がどうしても欲しくなって、本人の目の前で奪って走って逃げたというエピソードが笑えます。 あんまり近くにいて欲しくない人だ(笑) ただ、大きな仕事をする人ってこういう人なのかな?と思ったり思わなかったり^^ 露伴の最期。文さんの言葉が、胸にずんときました。
―――文子さんが静かな声で 「おとうさん、お静まりなさいませ」 といった。―――
10、『通りすがりのレイディ』 新井素子http://blogs.yahoo.co.jp/ango1jp/51475855.html 「守ってあげられた…あたしのレイディ」 集英社・コバルト文庫黄金期1980年代の作品です^^ 少女向けロマンチックSF。 Sさんからシリーズを一式譲って戴きました!!本当にありがとうございます(号泣) 主人公の元気なあゆみちゃんと恋人の太一郎さんとのやりとりが面白い。 そして私の永遠のあこがれ「レイディ」は太一郎さんの元妻。 強くて美しくて格好良くて…そして本当はとってもとっても弱い女性。 たった一人で闘い続けるレイディ。身体のほとんどの部位を吹き飛ばされても、 「ま、体の中心部をやられなかっただけ、めっけもんよ」と義足に義手で笑ってみせるレイディ。 そんなレイディを守る為、あゆみちゃんが必死に頑張る姿には本当に涙が出ます。 今頃気付いた。私もあゆみちゃんになってレイディを守りたかったんだよなぁ。 番外編 『二代目はクリスチャン』 つかこうへい
「てめえら、悔い改めてえやつは十字をきりやがれ。でねえと一人のこらずたたっ斬るぜ」
「読書の愉楽」のbeckさんが古本を手に入れたという記事を拝見して、「二代目!!」 私もたまらず古本屋さんで探してしまいました^^ 映画版の志穂美悦子の強さと美しさはハンパじゃないですよ。<中本衆>もビックリです。 ところでこの映画っていまでも観られるのかな?DVDが出ていたら欲しい…。 ・・・・・・ 相変わらず順位は便宜的なものです。どれも素晴らしいものばかりでした。 みなさまのブログを通して出会えた作家さんもたくさんいます。 この場をかりてお礼をさせていただいます。 本当にありがとうございました。
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