三方ヶ原古戦場跡
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今年最初の記事は、三方ヶ原合戦のお話からとしたい。
高天神城、二俣城を訪れた後、しめくくりは浜松城としたかったが、 時間の関係で三方ヶ原合戦跡だけにとどめておいた。 今回訪れたのは犀ヶ崖という、合戦の資料館もある場所だ。 徳川家康の長い戦歴の中で、唯一の負け戦だったのが、
遠州三方ヶ原での、武田信玄との戦いだと言われている。 武田信玄は戦国時代にその名を恐れられたものの、 その生涯で勝ちえたのは甲州と信州、現在の山梨県と長野県で、 恐れられた割には領地そのものはそれほどでもない。 その信玄が人生の総仕上げに京に上るという、 織田信長、徳川家康が一番恐れていた事態が勃発した。 信玄は中山道を歩けば楽に京にたどり着けるのだが、 あえて遠回りして甲州を南下し、浜松の家康に攻め込んだ。 近畿圏内で信長と対戦した時、浜松の家康に背後を突かれないためである。 三方ヶ原は現在の浜松北方の台地で、東名高速道路にも三方ヶ原PAがあるが、 実際に具体的にどの場所でどういう戦いが行われたかはよく分からないらしい。 合戦は武田軍の圧勝で、夕闇の中で徳川軍は退却し、浜松城に逃げ込んだ。 現在の浜松城の場所はその当時の浜松城とはやや違ったらしいが、 家康は浜松城内に篝火を焚き、闇夜に浜松城をライトアップさせた。 追いすがる武田軍は家康にまだ抗戦の意思があることを知り、 闇夜での攻城の不利を悟って攻撃をとどめた。 しかしこのとき家康は恐怖のあまり脱糞し、 浜松城の寝室に閉じこもっていたとも言われている。 浜松城の近くに三方ヶ原古戦場跡として、犀ヶ崖がある。 崖と言ってもさほどの深さは無くきちんと整備もされている。 ここを覗き込んだだけでは、ここで何があったなんてことは想像もつかない。 ここにある三方ヶ原合戦に関する資料館は無料で入場でき、 ボランティアの方が合戦の模様を説明してくれる。 武田軍は日没後、前線部隊がこの犀ヶ崖に布陣していたが、 夜陰に紛れて徳川軍が鉄砲を打ちこみ、武田軍を壊乱させて、 多くの被害を出したと言われている。 しかし信玄は家康にとどめをさすことなく、浜松を後にし、 三方ヶ原の戦いの二ヶ月後、三河の野田城の攻城中に病没する。 信玄の進路を見ると、徹底して徳川領の城をつぶして回り、 甲府を進発してから野田城に至るまで三ヶ月以上を要している。 野田城を落とすにもそこから一ヶ月以上かかっているから、 本当は京に登るつもりはなく、家康の三河、遠州併呑が目的で、 浜松城を攻めて家康にとどめを刺さなかったのも、 のちに有能な家康を家臣にするつもりではなかったか。 いずれにせよ家康はこの戦いに負けはしたものの、
織田、豊臣期を通じて、信玄から逃げなかった武将として、 おおいに諸将から恐れられた。 新年はこの家康の出世談とも言えるお話からスタート。 喪中のため、新年のご挨拶は遠慮させていただくことをご了承ください。 |

















