|
僕らの引越してきたアパートの部屋の界隈は割と朝が早かった。
僕らのベッドルームの隣から、といっても僕らの住む建物は複雑な構造になっていて実際には隣人を見かけたことはなかったが母親が子供を怒鳴りつける声で始まるのが常だった。
僕らの住むアパートは1100年前に建てられたものだそうで、多分上空から見ると漢字の「日」の字を上下半分ほどずらした形ではないかと思えた。「日」の字の線になったところが建物で、空白部分が石畳の中庭である。「日」の字の上中下にある横棒にはそれぞれ右端に楕円型のトンネルがあって、そこから下界と繋がっていた。各部屋も複雑な間取りになっているようで、一階のそれぞれの階に繋がるオートロックのドアも数箇所あったように思う。
あとで日本語を教える事になったナポリから引越してきた男子学生の一家を招待したときに、やはり近所で怒鳴る声が響きわたり、彼らがアクセントからあれはナポリ人だと苦笑しながら証言してくれたことがあった。きっと僕らのベッドルームの隣人一家もナポリ人だったのだろう。ルッカのある北イタリアと南部のナポリあたりとはまるで別の国のように気性も文化にも相違があるそうである。
朝早い時間の物音といえば、ゴミの収集車もうるさかった。下界との通路であるトンネルの脇に大型のゴミ用コンテナが2つ並んでいて、コンテナを1台だけ積める小型トラックが毎朝1個だけ取替えるのだった。ルッカの路地裏はとても狭い、その狭い道を器用に運転していた。
建物の表通りに面した1階はほとんどが商店や、ケーキ屋、携帯電話、コンピュータ、銀行などで占められていた。ケ−キ屋は喫茶店(バール)も兼ねていて、中庭にはいつも小さな車が駐車していて配達に動き回っていた。
そのケーキ屋の朝も早く、時おりとても低いぶきみな笑い声がそこから響いてきた。モンスターやフランケンシュタインが発するのではないかと思えるような低音の笑い声がウッフッフッフと大きな声で中庭にエコーするのである。
そこには腹の突き出たおじさんと30くらいのやせた若い男、それに3〜4人の女性でケーキを作っていて、いつも甘い香りが漂っていた。不気味な声の主は腹の出た中年男性かとずっと思っていたが、ある日、偶然通りかかってその笑い声の発生現場に立ち会った。意外にもやせた若い男の方であった。
ほかにも不思議な音がコートに響き渡ることがあった。多分、ペットの鳥の鳴き声であろうが、とても大きくこれまで聞いたことのない鳴き声で今もってあれはどんな動物だったのか不思議でならない。あと夕方になると近所にオペラ歌手でも住んでいるのか、発声練習の声が響く事もあった。
僕はまだその頃、煙草を吸っていた。いわゆる蛍族で部屋の中は禁煙にして外廊下に出て吸っていた。煙草を吸っていると時おりガヤガヤと多人数の声がするので下を覗くと、小さな旗を持った観光ガイドが僕らの住む建物の上部を指しながら何やら観光客に説明している光景に出会う事もあった。
僕らの住んでいた建物はコルテ・デル・ペッシェと言っていた。ペッシェとはイタリア語で魚のことである。昔、そこのコートで魚市場が開かれたことにちなむ名称らしい。どおりで野良猫の鳴き声まで聞こえたのだと納得が行くのである。
そうそう書き忘れたが、直線で50〜60mほどにあったサン・ミケーレ教会の塔の鐘の音もかなりうるさかった。だが、慣れというのは恐ろしいもので凄い音で響き渡る鐘の音でも眠りを妨げられる事はなくなっていったものだ。
|