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蜀漢における軍隊組織の変遷について_2

両者の違いを生んだもの

では、なぜ諸葛亮と姜維とで、その指揮する軍隊組織がこうも変化してしまったのだろうか?

理由はいくつか考えられる。

政治権力
そもそも、諸葛亮の築いたような組織を使いこなすには、自分に合った人材を掻き集め、適所に配置しなければいけない。だが、その為には、諸葛亮がそうであったように、絶対的な権力が必要である。だが、姜維にはそれがなかった。

姜維も陳祗の協力によって大きな権力を有するに至ったが、そこから人を集めるには時が経ちすぎていた。
戦略・戦術志向
また、姜維自身の考え方も大きく影響している。

蜀においては、姜維が最も優れた指揮官であり、参謀であったから、彼に制御しうる範囲であれば、彼一人で動かす方が効率が良かったのだ。
そして、姜維もまた、名誉に生き、名誉に死のうとする多くの英雄と同様、独善的な人間であった。その為、物事の決定に他者が介在する事を、それも自身より劣る人間が介在する事を拒んだのだ。
蜀漢における政治の流れ
だが、そうした事は決定的な理由ではない。
蜀漢の軍隊を姜維一人でどうこう決められるようであるならば、姜維はもっと独裁者的色彩を帯びていたはずである。
彼が指揮した軍隊は、蜀漢の政治の大きな流れの中で、彼の望む形に収斂していったと見るべきであろう。

では、そうした流れを作ったのは誰であろうか?
それは、諸葛亮の後継者にして、彼同様に独裁者たらんとした蒋琬である。
蒋琬が何を行い、それを姜維がどう受け継いだのか、それを考えていく事にしよう。

蒋琬政権

蒋琬は諸葛亮の後を襲った。
彼はまず尚書令に任命され、次いで、行都護を加えられ、節を仮され、益州刺史を領し、まもなく大将軍・録尚書事を加えられた。
そして延熙元年には大司馬となり、開府を許された。
延熙元年における蒋琬の肩書きは、仮節行都護大司馬録尚書事領益州刺史安陽亭侯である。
丞相ではないものの、考え得る全ての権力を己の身に集中したのである。

蒋琬は紛れもなく、第二の諸葛亮になろうとしていた。

その蒋琬は、諸葛亮の組織した軍隊をどうしようとしていたのだろうか?

彼はまず、腹心であった尚書僕射李福を、前監軍領司馬に任命する。
しかし、李福は就任するやいなや亡くなり、姜維がその後を襲う事になる。

右監軍姜維は、李福が亡くなると蒋琬の要請を受けて大司馬司馬を兼任する事になる。また、彼は数年後には右監軍から中監軍へと遷っている。
蒋琬政権下での彼は中監軍領司馬輔漢将軍である。
また、王平は蒋琬が漢中に出征すると後典軍より前護軍に移り、大司馬事府を署する事になる。

ここで気付く事がある。蒋琬の時代に入り、それまで兼任する事のなかった掾属の兼任が、それも司馬と監軍を兼任する例が現れるようになった。
何故であろうか?

蒋琬はずっと丞相府の事務を取り仕切っており、軍事についての経験は少ない。
彼が総司令官として軍を取り仕切るには、経験が絶対的に不足しており、それを蒋琬自身も分かっていたのだ。
また、諸葛亮死後、丞相府の率いた軍隊は各部の監軍や護軍が取り仕切り、かつてのような一つの指揮系統に収まっていなかった。

そこで蒋琬は、司馬に自身の軍を取り仕切らせると共に、各部の監軍を大司馬府(大将軍府)に集め、諸葛亮時代と似た組織を、よりコンパクトに再生しようとした。
初め、李福を前監軍として前部を大司馬府に取り込み、更に右監軍姜維を呼ぶ事で右部を取り込んだ。また、王平を大司馬府に入れる事で後部をも指揮下に収める事になった。
蒋琬は大司馬として漢中に幕府を開くと、漢中防衛の軍となっていた王平の後部を指揮下に収めると、改めて王平を前護軍として前軍の指揮官とさせ、後部と右部、更に中部を中監軍領司馬姜維の旗下に入れ、軍の再編制に努める事になる。
これ以降、右部を指揮する職は出ておらず、後部を指揮する職も現れなくなる。
後に姜維が己の北伐で指揮する軍は、この時に姜維によって形作られたものであると言えよう。

だが、その軍も、蒋琬の病状悪化と費禕への権力交代劇を経て、再び解体される事となる。

延熙六年、費禕は大将軍録尚書事となった。また、同時に王平は前護軍より前監軍へと移り、蒋琬の指揮下を離れる事となった。
辛うじて姜維が中監軍を保持し、中軍だけは蒋琬と姜維のラインに残るが、それ以外は費禕の指揮下へと移される事となる。
興勢の役で費禕が涪の軍を指揮して漢中へ急行した事にそれが現れている。王平が援軍の遅れを心配したのも、それまで蒋琬と姜維のもとにあった軍を費禕が突然指揮する事で、軍に混乱が生じる事を懸念したものであろう。
その後、蒋琬が亡くなり、費禕がその後を襲ってからは、姜維が録尚書事として費禕と肩を並べる事になるも、依然として姜維の指揮する軍は蒋琬政権下で養成した中軍だけであった。

延熙十六年に費禕がなくなった際、姜維がすぐさまその軍を接収し北伐に転用できたのも、もともと彼が養成した軍であったからであろう。

姜維は、諸葛亮の作り上げた軍の残骸から新たな軍を再生しようとした蒋琬の下で、己の指揮すべき理想の軍を作り上げた。

だがそれも、費禕の手によって僅か四年の後に解体を余儀なくされる。中核となっていた虎の子の中軍だけは何とか保つも、それは最早大作戦に対応できるような軍ではなかった。

費禕輔政期、彼は己の軍と、費禕から借り受けたかつての自分の軍を使って隴右への介入を行うも、廖化や張翼に率いられたそれらの軍は戦略的な判断力を欠き、彼の戦略を実現できるような状態ではなかった。

費禕が死に、蒋琬政権下で作り上げた己の軍の全てを手にするようになると、姜維は再度、理想の軍組織を構築し始める。
それは姜維一人の手によって全てが動く、巨人の如き軍であった。
だがそれは、姜維という異能の手によってしか動かせず、また、彼の存在するその場所でしか力を有し得ない歪な組織であった。

強力ではあるが、一人の人間によって限界を規定されるが故に、力の及ぼす地平は広大とは言えなかった。

しかし、こうした組織を強力に統率し、敵を打ち破ることのできる人物は、往々にして軍事的天才として歴史に名を残す人物である。
また、少なくとも三国時代において、姜維の如き組織によって大軍を動かした人物は例が無い。

諸葛亮の作り上げた組織もまた優れたものではあった。
組織としての力が広範に押し上げられ、広大な範囲にそれを行使することの出来る組織だった。だが、それ故に、その力の強さは、それを率いる者の能力の限界を下回るものだった。

諸葛亮と姜維、どちらも己の才能に合った組織を以って、大事業を完遂せんとした人物と言える。その組織が、それを作り上げた人物にしか動かし得ないという点で、両者は共通している。
だが、片や己の能力をいかに組織に還元するかを求め、片や己の限界を高める為の組織を求めた。
個を重視する姜維と、組織を重視する諸葛亮、両者を単純に比較する事はできないが、個人の才能という点では姜維に軍配が上がろう。

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初めまして。いつも興味深く拝見させております。

蜀軍が最終的に全く満足に抵抗ができずに滅亡した理由が腑に落ちました。諸葛亮の下で護軍・監軍レベルで働ける将官が消耗し、ポストとして存在せず経験を蓄積・伝播していくことができなければ姜維
以外に効果的な戦術を立案できる人物いなくなり、結果として混乱したのでしょうか?いずれにしても蜀は軍事的に早晩存立しえない国家であったと思います。

古代での軍事教育システムが構築されればと思っていたのですがそれに対して兵書や経験知の継承以外何らかの手段がとられたのを知っていないので難しいのだなと思いました。

2011/12/12(月) 午後 3:41 [ kan**8886 ]

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はじめまして。コメントありがとうございます。

そもそもの話になってしまいますが、諸葛亮が目指したような、遥か彼方の軍を自身の思い通りに動かすなどと言うのは不可能なのだと思います。もちろん、諸葛亮とてそんな事は為しえていません。

また、蜀の滅亡も複合的な理由によって引き起こされていますので、一概に何が原因であるとは言えないでしょう。
あの戦いでの蜀軍の動きに問題があったとすれば、それは軍制よりも、朝廷との信頼関係の喪失や、漢中との連絡不足の方が比重としては大きいと思います。

依然として姜維の軍は強力ですし、拠点も堅牢であって、方針を明確にして守れば勝機がないわけではなかったでしょうから。

2011/12/13(火) 午前 0:07 [ Jominian ]

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