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今回は、孔明による第一次北伐の一局面である、街亭の会戦に関して少し考えてみようと思う。多くの人が考察をしている戦いなので、敢えてやる必要も無いと思っていたが、孔明死後だけだとさすがにネタ切れが起こっているので、この街亭を取り上げてみる。
地理的条件
街亭は、関中より隴山を越えて隴西へ進出する際に用いる二本の道路の内の、北側の道路上にあり、魏が隴西へ軍を機動させる際に通らざるを得ない地点である。もう一本、渭水に沿い隴関を経由して隴西に入る道もあるが、諸葛亮の時代にこの道が用いられる事はあまり無かった。
隴関が関中という名前の由来の一端を為している事からも、南道が主要街道であったことが窺えるが、魏は第一次、第四次北伐の二度の戦役において、どちらも北道を選択している。
いずれにしても街亭が、魏軍の隴西進出を防ぐ為に押さえなければならない、戦略要点である事に変わりはない。
会戦に関する考察
まず街亭会戦の重要事項として考えられるのが、馬謖が山に拠って抵抗しようとした、という事である。
山に拠って防いだという事のみからならば、南北に伸びる六盤山の隘路口を押さえて、魏軍の西進を直接的に防御したという事も考えられるが、記述から読み取れる会戦の様子を考えれば、これは有り得ない考えだろう。
馬謖の拠った山は、戦略的な意義を持つ事の無い、単なる高地であったと考えるべきである。
蜀側の記述から分かる事は、
・馬謖は王平の諌めを聞かず山に上った
・補給を断たれて敗北した
と言う事だが、これだけでは会戦の様子を知りえる事はできない。そこで張郃伝に見える記述が重要になってくる。すなわち、魏側が馬謖の拠った山を「南山」と呼んだ事と、その周辺に城があった事である。
南山という呼称から考えて、六盤山を越えて西南に伸びる道路の南に、馬謖の拠った山が位置していた事が分かる。また、城に関しても、築かれている以上は戦場において翼や中央を依託出来る位置にあると考えるべきなので、道路上か、またはその北に築かれ、南山と連携した防御の行えるものであったのだろう。
これらの事を踏まえて街亭会戦を考えると、馬謖には右翼に高地、中央又は左翼に城砦を持つ地形に布陣し、魏軍を防御するという任務が与えられていた事になる。
高地も城砦も、平地よりも高い防護力を有するし、高地は戦場の把握を容易にすると共に、火力の効果を高めるので、どちらも支撐点となり得るので、この両地に敵の攻撃を支えるに足るだけの戦力を配置しつつ、翼か中央の何れかに戦力を集中して敵を突破するというように、高地と城砦を軸として敵の撃破を行うか、またはこの支撐点に拠って防御を行うべきであった。
こういった防御が成功するか否かにかかわらず、高地にのみ戦力を置き、正面に間隙を作ってしまうのは、自ら敗北への道を突き進むようなものである。
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実に5年前の記事にコメントして申し訳ないのですが、GoogleEARTHで、街亭を検索したら「街亭古戦場」がヒットしました。位置的にも同じみたいです。
まあ、当時は現地が森林だったと言う件は知った上で現在の地形を見た感じだと、確かに街亭の南には山と言うか台地がありますね。そのすぐ北に河川があり、河川に北を街道が通ってて、ここに昔は城があったんでしょうね。
なるほど、張?が城を押さえてしまうと、蜀軍は水に窮してしまう。
でも見た感じ、六盤山脈から出てきてすぐの狭隘口って感じではない。
まさか、蜀側が想定した迎撃地点より、深く侵入されたから、突発的な遭遇戦になった可能性はありえないでしょうか?。
2011/3/8(火) 午後 5:31 [ victorymonstar2010 ]
コメントありがとうございます。
街亭が遭遇戦であったかどうかまでは分かりませんね。
これには諸葛亮の意図と、蜀軍が魏軍の動向を察知したタイミングが関係してくると思います。
諸葛亮が、張郃が隴山を通るルートで進軍中である事を察知してから馬謖を派遣したなら、もとより山地の出口の隘路を押さえる時間は無いでしょう。
したがって、そういう状況なら馬謖の押さえるべき場所は最初から街亭だったと思います。
また、諸葛亮の意図が、張郃を隴西に侵入させないというものであったのかも論点になるかと思います。
彼の意図に張郃の撃破が含まれていたなら、六盤山の出口を押さえる必要はありません。
その場合は、ある程度敵軍を引き入れなければなりませんからね。
また、魏軍の状況を考えれば、蜀軍を大きく迂回するような余裕はありませんので、隘路を押さえずとも魏軍の前進は拒止できるでしょうから、個人的には遭遇戦であった可能性は高くは無いと思います。
2011/3/10(木) 午後 9:34 [ Jominian ]
レスありがとうございます。それはさておき、jomiさんは茨城県在住。地震で大変だったろうと思います。仙台のTSさんにもお見舞いコメ入れましたが、ご無事ですか?。心よりお見舞い申し上げます。m(__)m
2011/3/14(月) 午後 10:51 [ victorymonstar2010 ]
ご心配頂きありがとうございます。
ただ、私は水戸出身ではありますが、現在は千葉に在住して、勤め先は都内ですので、震災も直接的なものは殆ど受けておりません。
部屋も、棚の上にあったペン立が落下したくらいで、出た時と殆ど変わっておりませんでしたし。
実家の家族についても人的被害の無かった事は確認しておりますので、ご安心を。
2011/3/14(月) 午後 11:59 [ Jominian ]