震災8カ月後の北茨城市大津港
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3月11日の東日本大地震では、 東京の我が家もかつて経験したことのない揺れに襲われ、 生れてはじめての恐怖を覚えた。 震源地から遠く離れた東京で、これだけ恐ろしかったのだから、 地震の後にさらに恐ろしい津波に襲われた 震源地に近い東北の人々の恐怖はいかばかりか・・・・・・。 たびたび訪れていた北茨城市にも津波はやって来て、 かなりの被害を受けたことは、テレビのニュースなどで、 知ってはいたが、実際に目にすることはなかった。 家人の実家は北茨城市にあるのだが、 津波の被害はなく、石塀が崩れ、浴室のタイルが落ち、 屋根の瓦が落ち、あちこちにひびが入ったという程度で 高齢の家人の母親も無事だった。 しかし、独り暮らしは無理ということで、 地震後の3月18日に迎えに行き、 それ以後、我が家に同居することになった。 同居に伴うあれやこれやの手続きやごたごた、 新たな生活に慣れるまで、何やかやと落ち着かず、 帰省ずれば必ず訪れていた大津港や平潟港が、 いったいどうなったのか、ずっと気にはなっていたが、 訪れる機会がないまま、時だけが過ぎて行った。 11月になって、同居の生活にも慣れた義母が、 ひと晩くらいの留守番はできるというので、 ようやく家人と北茨城市にでかけることができた。 駅前のビジネスホテルに一泊して、 実家から必要な荷物を運び出したり、 大津港や平潟港、磯原海岸などを見て回った。 海岸沿いの家屋は津波の被害を受け、 数件の家が土台だけとなった地区もあった。 崖が崩れたままになっていたり、 港に並んでいた倉庫が新しく作り替えられていたり、 海沿いの家々が土台を残して消えているなど、 地震と津波の痕跡はあちこちにあるけれど、 平潟港そのものは、依然とあまり変わりなく、 民宿もお客さんを乗せたバスがやって来ていた。 ただ、大津港はかなりの被害を受けていて、 港として機能していないようだった。 この時は雨で、あまり写真が撮れなかった。 そこで、11月26日にまた北茨城市に出かけ、 この日はいい天気だったので、地震と津波の被害を受けた 大津港の写真を撮ってきた。 波を打ち、穴があいた岸壁で、 千葉や水戸、福島からやってきたという釣り人が、 何事もなかったかのように釣り糸をたれていた。 地震の3月11日に地震の来る1時間前まで、 ここで釣りをしていたというひともいた。 静岡だったか、遠方からグループでやってきて、 釣りを楽しんでいるひとたちもいて、 平和で穏やかな光景であるが、 8カ月経ってもズタズタの港に胸が痛む。 地元の青年に話を聞くと、 本人は当時、東京にいて直接の被害はなかったが、 地元では、悲惨な話もあったという。 でも、とこの青年はいった。 宮城の津波の被害を受けた地域にボランティアに行ったが、 あっちの被害は、こんなもんではなかった。 もっとすごかったから。 しかし、被害の規模や大きさではなく、 被害は被害、事実は事実なのだ。 明るい面もあった。 岩壁の被害がひどくなかった半分で、 この日水揚げしたヒラメ、タコ、アンコウなどのせりをやっていた。 小規模ながら、魚市場らしい活気があって、気持ちがいい。 いつになったら、もとの漁港に戻れるのか。
がんばれ、大津港。 |
