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「価値を見いだせる脳力を!」

 「実に対照的だ!」そう感じざるを得なかった。ネット記事に「 神奈川県横浜市にある、学校法人・池谷学園『冨士見幼稚園』。ユニークな園児教育を実践」から始まる記事を読んでいて、そう思った。実は、先程まで、今、問題となっている大阪の「森友学園」の幼稚園が行っている教育や運動会での宣誓に問題が生じ、そのことについて取材を受けていたからだ。「富士見幼稚園」の記事を読み終える頃、ようやく、私の心が穏やかになってきた。感動が怒りを抑えてくれたようだ。

 教育は人を育てるという大切な役を担っている。担当ディレクターから見せて頂いたビデオには、運動会での,驚きの宣誓シーンが映し出されていた。政治色満載であり、間違いなく、教育の現場に思想信条を持ち込み、判断力もままならない幼児に、理事長の個人主観をすり込んでいる。2020年には、教育改革が行われる。しかし、この大阪の園の教育は、最早「狂育」としか言いようのない内容だった。この取材に対し、表現することばが見つからない程で、これまで取り上げられてきた問題とは大きく異なる。教育で子供をコントロールする方法に、心の拳が上がる思いだ。

 小学校用地問題、そして、この法人の考え方にたとえ一時でも賛同される旨の意見を述べられた安倍総理と昭恵夫人の対応が気になる。教育は中立であらねばならない。これは承知の事実だ。総理自ら、この問題に真っ正面から取り組まなければ、疑問と疑念は払拭出来ない。総理自身の名誉にも関わることだ。

 教育基本法には「良識ある公民たるには必要な政治的教養は教育上これを尊重しなければならない」とされ「法律に定める学校は、特定の政党を支持し、または、これに反対するための政治教育その他政治的活動をしてはならない」と定めている。
 教育の私物化は、けして許されない。国会では、稚拙な言葉遊びに終始せず、言葉の重み、責任をしっかり考え、この問題に対し真摯に取り組んで貰いたいと切に願う。教育とは時に凶器となる。扱い方によっては、その人の人生を変えてしまうほどだ。自分自身の教育について、帰りの車の中で、改めて自問自答してみた。

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「歩き始めの算数」健常児・障がい児の基礎教育

 イメージ 140数年前、私にとって衝撃的な算数指導と出逢いました。それが「水道方式」です。幼児教育を行うようになって、この考え方は十分幼児に対応できると確信しました。そんな時「水道方式をもっと積極的に幼児教育で活かしてみたら!」と声をかけて頂き、ある幼児雑誌に「数の学習1、2,3」を5年間連載させて頂きました。この根底にあったのが「基礎教育」という考え方でした。

 連載が始まり、本格的に水道方式の研究に入りました。その時に出あった本が「歩き始めの算数」です。これは、軽率にも「遠山啓」というお名前だけで買い求めてしまい、「ちえ遅れの子らの授業から」という副題に目が止まりませんでした。当初、健常児の教育と切り離して考えていた私は、迂闊にも、暫くこの本を開くことはありませんでした。そして、購入してから半年後、本棚に目を向けたとき、この本の存在を思い出し、ページを捲り始めました。すると、初めから、私にとっては衝撃的な内容が目に飛び込んできました。この本に書かれている内容は、そのまま「入門期の数指導」そのものだったからです。「入門期」という意味はとても大きく、それは、そのまま「基礎教育」という形で、誰もが始めに学ぶ内容を指しているからです。「基礎指導」「入門期」という括りには、ちえ遅れも,健常児もなかったのです。

 イメージ 2今日お寄せ頂いたコメントの中に、発達障害という言葉がありました。そのクラスを担当する先生からでした。私の妻の、知り合いの方で、やはり学習障がいをお持ちのお母さんがいらっしゃいます。現在、10人に1名の割合で程度の差はありますが学習障がいを持ったお子さんがいます。こうした学習障がいに、タイル指導が効果的だと考えられていますが、厳密に言えば、初めから計算などの指導を行うのではなく、「基礎指導」、もしくは「入門期の数」という捉え方が正しいのだと思います。私は、障がい児教育の専門家ではありませんが、反面、「基礎指導」の専門家であると言えます。その観点から、少しお話をしたいと思います。

 私の指導カリキュラムは2歳児から始まります。0歳児から2歳までは、子育てとして位置づけ、言語を中心とした知的刺激としています。幼児は、全てにおいて初めての経験で、脳の発達、指先手先の神経発達、感覚器官の発達、運動機能の発達などはまだ未発達です。まだ、未発達であるという点に関しては、障がいを持った子も、ハンデの差こそあれ、同じスタートライン、同じ内容のカリキュラムの指導が可能です。実は、障がい児教育は、ここがポイントだと思うのです。

 健常児も、障がい児も、幼児という未発達な状態を想定すると、次の3つが指導上のポイントになります。

 ①無雑作な言葉の使用を避ける 言葉の的確な引用が指導の明確さを増す
 ②感覚器官の活用 概念形成に必要な感覚器官の意識的指導。視覚・聴覚・触覚
 ③知的な興味関心に気を配る 外的な刺激にも目を向ける

 この3点を見ても、健常児の基礎学習と全く同じと言っていいでしょう。障がいを持っているからこそ、基礎から指導すべきで、健常児が行う学習のように,積み重ねと繰り返しが大切です。これは、障がい児に対する、積極的指導の必要性を意味しています。そして、大切な事は、基礎故に時間をかけ何度も何度も繰り返し行うことの大切さを指導者は理解する事です。量が質をカバーしていきます。

 イメージ 3数の学習といえども、重要なのは「言語」指導です。こうして、指導内容を検証していくと、障がい児教育も、健常児の幼児教育も、「言語」「知覚」「数」という、当初幼児教育の柱に考えていた項目がそっくりそのまま使用できることがわかりました。
 ここに、数指導でタイルが、そして、言語指導ではフラッシュカードが、それぞれの役目を持って活躍します。4月から、子育てマイスター協会を通じ、「数」の講習が展開されます。算数好きな子に育って欲しい、数学好きな子にと企画されています。特に、タイル指導は、分かり易いと大好評を頂いています。水道方式・タイル学習で学んだ子は、数学好きが多く、理系や弁護士、医者等の医療系に進むケースが目立ちます。是非、講習にご参加下さい。また、この講習とは別に、発達障害をお持ちの保護者を対象にした講習も現在企画中です。

 障がい児に使用する教材に対するご質問が多くなって参りました。また、タイルの指導などをご希望される団体・小学校も増えております。どうぞお気軽にご相談下さい。教材についても対応をしていますので、おたずね下さい。年度切り替えのため、大変混み合っており、お待たせすることもあります。その際はどうぞご了承ください。

  ※受付:月曜日・水曜日・金曜日 048(923)0503 石川教育研究所

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「自立の学習」

「学習の確認:何を伝えたいのか、何を学びたいのか」

 4月の新年度、子ども達が進級するように、子育てマイスター協会も進級します。ようやく、市民権を得てきた我が協会ですが、講座の充実を更に推し進めていきます。私も、まずは「幼児のかず学習」「かず学習・算数学習」で久しぶりに水道方式とタイル学習などを熱く語りたいと思います。詳細についてはしばらくお待ち下さい。

 幼児教育では、「知・情・意」という言葉がよく使われます。以前、私が関わった幼児教育の団体ではここに「体」が入りました。ここに来て、教育熱が高まりを見せ始め、様々に教育関連の言葉が乱れ飛んでいます。「思考力を付けます!」と言う言葉もよく見かけますが、そう簡単に思考力はつきません。そこには、先ほどの「知・情・意」が働くからです。

 子ども達に指導してきた知識、これも「記憶」と「記録」に別れてしまいます。場合によって、暗記などは「記録」となるのかもしれません。ありのままをそのまま再生します。対する「記憶」は、その人の状態変化により変化していきます。「記録=知」に対して、「記憶=知・情・意」で、意識や感情が加わるからです。ノートを写させたり、重要箇所を暗記させたりしてきた指導は「記録」として処理され、試験の緊張感の後には消去される運命かも知れません。

 授業では、何を伝えたいのか、そして何を学びたいかが一致して始めて成立します。授業などではこの確認がとても重要です。ところが、学力の二極化と同時に、子ども達の「無気力」「無関心」という心理状態が目立つようになって来ました。学ぶ事に意欲や関心を失っています。この状態をアパシーと言いますが、どこかに学習の動機付けが必要であり、自己教育力を高めなければなりません。これは、教育現場だけではなく、各家庭においても大きな課題だと言えます。そこで登場したのが幼児期からの自己肯定感の育成です。育児の段階から、我が子の自立を意識し、その為の言葉がけや親の考え方を再認識します。私達の生活は自分の意思と言うより、人の言葉や書物などから、「〜すべき」「〜しましょう」等の言葉で雁字搦めにされています。実際、言葉尻は優しいのですが気がつかない内に”指示”されていることの多さに気付きます。自分の意思と言うより、どこか暗示にかけられているのでしょうか。

 「知・情・意」の「知」だけでは、よい情報も「記録」となってしまいます。しかし、思考になると「知・情・意」の全てを使う事になります。子ども達がアパシーという状態に陥るのは、幼児期からの指示命令が多すぎるからかも知れません。そして、自分の意思ではなく、親の意思で日々の生活が繰り返され、様々な生活の面で自立から遠ざかっているのではないでしょうか。自分の意思だと思っている遊びでも、ゲーム機などにより”遊ばされている(コントロールされている)”事に気付きません。

 考えない、それは子供にとって楽なことのように見えます。こうして見ると、家庭学習でも、子供が考えずに親が解いた問題の答えをコピーしているのではないでしょうか。「わからない」と言う子供の奥の手の言葉を使えば、親は、その考え方を教えてくれます。でも、それは、記憶に留まらず記録されているだけかも知れません。子供に何を学ばせたいのか、子供は、何を学びたいのか、お互いの考えが一致して始めて成立する学習、やはり、学ぶと言う姿勢は、誰もが持っているわけではなく、成長過程の中で養われていくものだと思います。 
 
 

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涙腺が緩くなって

「やはり、努力や、一所懸命さは美しい!」

 昨日、楽しみにしていた会合に出かけようと準備をしていたとき、取材の電話が入りました。長引きそうな内容で、会合は次の機会にと諦め、取材準備に入りました。
 今朝、テレビのトピックスの中で、「少年サッカー、神対応」の文字が目に止まりました。昨日の会合で、どんな出会いが会ったろうと思いを巡らせていた頭の中でしたが、スペインの少年サッカーチームと、日本の少年サッカーチームの試合でした。有名チームの下部組織でしたが、互いに譲らす、延長戦に入りました。一瞬の隙を突かれ、日本チームは負けてしまいました。喜びスペインチーム、ピッチに倒れ込む日本チーム、悔し涙で顔はくしゃくしゃです。

 一方、勝者であるスペインチームは大喜びで抱き合います。暫くすると、ピッチでうずくまる日本チームに気付いたスペインの子供達が、日本の子供達の所へ駆け寄り、ハグをし励ます光景が広がりました。最近、勝ち負けだけにこだわり過ぎ、直ぐに行きすぎた体罰を課すニュースが多い中、こうした光景は、子供達に指導したいことを改めて教えてくれます。大人は、直ぐに、価値がある人、価値がない人を論じたがりますが、そんな区別ではなく、価値を見いだせる能力を持って貰いたいと心から思います。最近、こうした光景を見ていると、涙腺が直ぐ刺激され困ってしまいます。

 「努力」とか「一生懸命」「一所懸命」とか、人の直向きな態度や一所懸命な姿勢に対して「むかつく」と表現する人達が増えました。これは、年齢に関係なく見られます。それ故、人を想う、人を尊敬することから次第に離れて行って、羨んだり、妬んだりと、自己肯定感を願いながらも、それとは真逆の方向に向かっています。今日、市ヶ谷の子育てマイスター協会本部で、第二期マイスターの説明会が行われました。
冒頭、私の挨拶を終え、説明を聞いていると、話されるマイスターの理念が頭を回り始めました。協会の理念、そして、講座内容は、人の心をニュートラルにしてくれる。「だから、参加者が涙するんだ!」と思えました。まさに、今朝の少年サッカーの出来事こそ、私の心をニュートラルにしてくれたのです。自分達の思いや、研究から誕生した講座ですが、自分自身にフィードバックされるとは思いませんでした。

 4月からマイスターもリニューアルされます。そして、このブログにもリクエストが来ましたが、特別講習「幼児、数の学習」(仮称)も4月に行われます。今日は、朝から頭の中の霧が晴れていく、そんな日でした。

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「雑さが目立つ学習!」

 イメージ 1情報化社会だけに、様々な情報を的確に掴むことはとても大切なことです。学生にしても、社会人にしても、文字情報はどちらも生命線です。私達は、余裕の無さや、落ち着きの無さから「読む」ことを忘れ、ついつい文字を「見て」しまいます。すると、脳は自分勝手な判断をしてしまうことがよくあります。客観的ではなく、自分自身の思いで、情報をゆがめて取り入れてしまうのです。

 仕事にも学習にも客観性はとても大切です。脳は、失敗から多くのことを学びます。良く、テストの結果だけを見ずに、間違えたところを再検証すべきと指導しますが、その為には、答案の書き方も重要になります。子供達の学習を見ていると、筆記具や教材教具について雑な面が見られる子ほど、注意力が散漫で、忘れ物も多く、ケアレスミスを連発します。幼児期からの、こうした躾は、そのまま身に付いてしまい、場合によって社会に出ても直らず、恥をかく事になります。その矛先は、育てた親に向き、家庭での粗雑な生活を浮き彫りさせてしまいます。

 ノートの書き込み、プリントの書き込み、双方に言える事は、自分の考えがわかるように記入することです。特に、算数では、式・計算・答え、そして、問題を考える際のテープ図や線分図、略画などもわかるように丁寧に整理して書きます。すると、どの部分で間違ったのかがわかります。自分の学習をする際のクセを速く発見することです。

イメージ 2 文章問題を苦手とする子、良くミスを犯す子は、最低10回ほど、音読をするように指導して下さい。途中間違えたり、つっかえた場合は1回にカウントせず、追加して下さい。スムーズに10回読めるように促します。この段階でも問題の内容を理解できない場合は、更に10回読んで貰います。これだけ読むと、問題文が頭に入り、始めて、「読んだ」と脳が認識します。殆どの場合、問題が解けないという場合は、問題を読んでいないことが原因です。黙読ではなく音読で読むようにします。算数の文章問題などがわからないと言う子供は、読む事ができていないことが原因です。

 子供達に「しっかり読みましたか?」と聞くと、「読みました」と返って来ます。たぶん、「見た」か「声に出して読んだ」ことを指しているのだと思います。ここで、指導する側が懇切丁寧に教え込むと、教わる方も教える方も、共に「理解できた」と錯覚します。子供は、思考せずに、ただ言われたとおり書き写す。これでは、子供の意識が反映されていません。すると、「あれだけ教えたのに!」「あれだけ勉強したのに?」と疑問だけが残ります。こうした指導を繰り返すと、わかったつもりになり、新たなミスを誘発していきます。思い込みだけが重なってしまい、学習理解に誤解を招くのです。

 イメージ 3子供に10回、20回と問題文を読ませてみて下さい。使えることなく読めるようになると、問題の内容を理解します。すると、「こうすれば解けるかも!」と脳内でようやく思考回路が働き始めます。それを式に直して貰い、計算に入ります。その途中で絵や、図に表し、自分の考えを説明して貰います。指導とは、教え込むことではなく、子供が自分で考え、自分で解決できるように導く事です。この繰り返しで、子供は、始めて「読む」を学習します。また、未知なる内容を既知に変える、思考という、頭の中で知り得た知識を使い問題解決のための道順を組み立てて行きます。この時、式や計算は丁寧に、後から検証できるようにまとめていきます。

 学習のミスを誘発する「思い込み」は、取り入れた学習情報を脳内で整理できていない状態に置いておくことから始まります。学習に丁寧さが必要なのはこの為です。文字の丁寧さだけでなく、ノートやテキストの扱い、文房具の扱いなどにも丁寧さが必要です。テキストの整理が出てきていない子は、成績の伸び率も悪く、学習の仕方も雑です。一見、丁寧に扱うことは非効率的に見えますが、その反対でしょう。効率性は、整った環境から生まれてきます。

 「AはBより○○少ない」よく、問題に出てくるフレーズですが、読みの浅い子は、こうした問題で自分勝手な思いで問題を解いてしまいます。よく読んでいない、この問題はこうだろう!と思い込んでしまいます。この傾向は、大人でも良くあります。読み間違い、捉え違い、これは、自分自身に対する戒めでもあります。子供を指導していて自分自身が教わるようでは、まだまだ修行が足りません。

 今日は、授業後、ある集まりに出かけます。人との出会いがとても楽しみです。取材がないように祈るばかりです。

  

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