マスターぴんのいつでもどこでもアロハな毎日

花粉症が年々ひどくなります。マスク無しでは外出もままなりません

映画は人生の大学

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『City Lights』 街の灯 前編(2)

   City Lights   

前編(2)




チャーリー富豪の友となる


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                          休息中のリラックスした一コマ

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 さてと、いつも寝ぐらとなる湾港の突堤にやって来た。そこで見たのは、身なりhお金持ち風だが浮浪者のようにぐでんぐでんに酔っぱらった紳士に出会う。
 どうやら、悲嘆にくれて自殺しようとしている。チャーリーは思いとどまらせる。しかし激しく抵抗するそのドタバタがまた見所。

 『明日になれば鳥さえ歌う。さあ、勇気をだして、現実を見つめようよ』

 その、とっさの本心が金持ち紳士の琴線に触れた。そして、思い止まらせたチャーリーを無二の親友になったと喜ぶ。

 そして、彼の大豪邸に招かれ心ゆくまで語り明かそうとするが寝てしまうそして目覚めれば『あんた、だれ?』

 困った事に、この大富豪は酔っぱらってるときだけチャーリーを親友と思うようだ。

 細かい筋は置いといて、結局チャーリーは、金持ちと渡り合う内にチマチマとお金をせがんでは、金持ちの車を運転して彼女の元に通った。

 ここが、チャーリーのテクニックのコミカルで夢のあるところ。おニューのモーニングに山高帽とあの杖。
 車が止まる度に颯爽と駆け寄る足長叔父さん。娘は、この名を知らぬ親切で、夢に見た父の面影を追うんですね。
 もう期待は高鳴りそしてラブロマンスに・・・・。フォードに乗ったお金持ちの紳士。シンデレラストーリーを夢見る夢子ちゃんはすっかりチャーリーの虜に為っていく。

 それは喜ばしいことですしまた悲しみ深いこと。

 もうすっかり心を許したバージニアから、外からはうかがい知れない家の事情を語った。
  『家賃を随分貯めて、今月にはこの家を明け渡さなければいけない』
 そう言ってさめざめと泣く。

 チャーリーのどこにもやり場のない怒りと、どうしたらよいかとの戸惑いに大きく揺れ出すのだった。

 自分の甲斐性で彼女を養っている当てがあるんじゃないのね。いくら金持ちから手をひねって大金を工面してもそれは胸を張って名乗れる証にもならない。金持ちの友だちという金満家のフィールドに立ての手の頼りない者、また純真な彼女の期待を裏切る事でもあった。

 ”でも諦めないぞ。自分の力でできる限りの努力をしよう”と決心しはしたが、大恐慌時代の現実を背景に下層階級のものたちがのし上がるチャンスでさえ明日の夢のようです。


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 一大決心をしたチャーリーは高額だが、名もなく貧しくまた身分が低い者にとって体一本で一攫千金を夢見たが、貧しい者は馬鹿を見るというステレオタイプな貧困者の姿をコミカルに描いて、結局は自分の体力では無理と諦めた・

 もう、正攻法で酔いつぶれた親友に1000ドルを無心する。

 『理由がある。助けたい娘がいるんだできるだけ早く手渡したい。』

 よったときの親友だが、快くチャーリーに1000ドルの大金をこともなげに渡すと金持ちは泥酔し、チャリーも・・・・

 また、その時大事な時に、強盗が入る。このシチュエーションはお定まりのシーン。

 夢は叶ったと同時に、目覚める夢のように無残なものです。

 金持ちの主は駆けつけた警官に取り押さえられたチャーリーの懐にある1000ドルの大金を譲り渡したかどうか尋ねる。

 よったときだけ親友ですから、そんなこと覚えちゃあいない。

 チャーリーはドロボーになってもいい、この金はお金持ちの者でもチャーリーの者でもない。あの盲目の将来の希望に必要なお金だという純情を写し描いていきます。

 もう、感動と社会のひずみに行き惑う心のフラストレーションは、一気に、最終章へと展開していきます。

 チャリーは上手く交わしてバージニアの住まいを隠れるように訪れます。

 『いいかい、よく聞いて。この100ドルは家賃なんだよ。そしてこの500ドルは目の手術だ、この300ドルは店を持ちなさい。そして残りは生活費にしなさい。』

 娘は目の前で展開されるこの夢を、どれだけ重ねてきたか、そしてこの足長おじさんはやっぱり、バージニアの愛しい愛しい御方でした。

 追われてるなんて言えやしない。急いでいる。そういってチャーリーは立ち去る。

 やがて、チャーリーを待っているのは幾月暮らすのだろうか監獄生活だった。



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ぴんのここだけの話


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アルベルト・アインシュタインと「街の灯」上演試写会で隣あわせになりました。


 さっき言いましたよね、チャーリーは資本主義の敵、コミュニスト(社会主義者)というレッテルをこの映画によって決定づけます。

 金持ちが貧しい者に施すというクリスチャンの美徳にすり替える独占資本家の狡猾な企みを根底からひっくり返す軽妙さ・・・。

 貧しい者が金持ちから合法的に金をかすめ取る・・そして、ここが肝心、さらに貧しい者へ施すという社会主義の平等を縮図化させてアジったというシャレを、当局は真に受けた。
 チャーリーはユダヤ人の血を受け継ぐと同時にロマという漂泊の芸人でもあった。多くのジプシーはこの平等にチャンスオをあたえられたアメリカで自分野才能と度胸で上がり詰めた。つまり、どの側にもたてる力と人気を持った瞬間、それは、ある意味言論という力をもったナイフに近かった。
 それがやがて、あの『独裁者』によって、日の出の勢いのナチスドイツの星、ヒトラーに対して敢然と立ちはだかる。

『あのユダヤ嫌いのちょびひげを徹底的に笑いものにしてやる』


 これは後年、彼の口から出た本音だった。笑われてなんぼの芸人が、狂った独裁者を救世主のように崇めるその当時の白人社会に痛恨の一撃がそうとう大きかったらしく、社会主義者の多くをハリウッドにもつアメリカで、戦後まで『アカ』として敬遠され恐れられてもいた。
 だが、日本の急進的なニューディール(修正社会主義)占領政策やスターリン憲法に象徴されるように、行きすぎた左寄りのルーズベルト社会主義者一派を根こそぎ追放し、その波はハリウッドも襲った。
 これが、マッカーシー旋風レッドパージ、時代遅れな魔女狩りとなった。
 結局、戦後の’57年、映画のプロモートでイギリスに行った間隙を見計らって彼を国外追放をトルーマン大統領命令として行った。
 
 彼は晩年、1972年、アメリカに招かれ名誉回復したが、アメリカはメンツばかりが微笑んでとうとう、この神が下し置かれたガイアの守番の心を見向きもしなかった。

1954年に、世界平和評議会が平和国際賞を贈る。1948年に、フランス映画批評家協会は彼をノーベル平和賞に推薦した。


 これは、独裁者ヒトラーに当てたメッセージとも言われている。ぴんは、共産主義かぶれだアカだと、アメリカ社会はよく知りもしないでこの偉人を軽蔑した。その彼の清い魂から多くを学び取りました。人の貴さは結果にはない。常に振る舞い、人の行為のみのよって聖別される。


映画「独裁者」の中での名台詞


'''
 新約聖書『ルカ伝・第17章』にこう書かれてある。

「神の国は、人の内なるものにある」


 一人の人間の中にではなく、すべての人間の中に! そう!諸君の中に!


 異端とされたグノーシスの福音書には『私は人々の中にある神聖を引き出す導き手に過ぎない』と宣言されたベツレヘムの星の声を、チャーリーは知っていたようです。
 神の言葉でないとしても、どうしてこの人のこの高貴な方々の言葉がうち捨てられることになるのだろう。

※当のヒトラーはこの『独裁者』をポルトガルから取り寄せ2回観たというが、感想は残していない。

以下次号後編に続きます

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街の灯 City Lights

   City Lights   

前編(1)




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                           アメリカ版カーラーポスター

街の灯(まちのともしび)


Charlie Chaplin "City Lights" tribute

盲目の少女との出会い



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                           人は出会うことで学ぶのです



 盲目の花売り娘、偶然とすれ違い。これはすごく隠喩的な分かりやすい寓話にありがちな設定ですね。スペインの作曲家ホセ・パディリャ(1889−1960)のタンゴ「ラ・ヴィオレセラ(花売りの唄)」テーマ曲の”City Lights”と一画を隔てるロマンチック・ヨーロピアナ・ミュージックに、チャーリーの美のセンスすが光ります。
 この女優さんヴァージニア・チェリル(1908−1996)と言って、彼女は新人で初めての準主役。だったそうでこの映画は彼女を直接、スカウトしたチャーリーが渾身をふるって用意された映画でした。でもチャーリーは日本人的な完璧主義者でそれが災いして途中で降板と言うピンチが、でもそれも乗り越えた・・・・。この出来映えとこの配役でしかなしえなかったアメリカ史上もっとも上位に輝く名作になりましたね。


 ぴん、かつて盲人の婚約者がいましたから彼女の演技は疑いもない盲人の娘さん。あの手を握って、その温もりと柔らかさを探る・・・そして、チャーリーの頬に肩にそして胸板に・・・・、存在をもっと霊的に存在を高めるとき、そうするんですよ。だから、寒イボでるくらいリアルです。チャーリーって天才ですわ。


  『あなたですの?』
  バージニアは一日として忘れることがなかった面影の君を前に手を放しませんよね。 盲人は見えてさえその指が知った幸福を忘れないんですよ。
 目に見えるみすぼらしい、先まで馬鹿にして笑ったホームレスの男を目で見て思いがけもしなかった。
 でも、心は引き寄せるのかな。

 彼女はチャーリー独特の宗教的な隠喩をバージニアを通して救い主の在処を示します。 実はこの、街の灯りは単にビルや商店のネオンサインや人の家の灯りじゃないのね。


 街にいる『ともしび』なんです。彼女の頭上に点した灯の明かりは、自ら放って、自分自身の在処を教えます。


 この隠喩の深い深〜いわれは、最終の章にとっておきます。このチャーリーが愛した日本心に重なるんですよ。


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  ああ、よかったむくわれたんだね・・・・すごく立派になったよ

  そう無言でうなずきますよね。

 

 『見えるの?』チャーリーは嬉しそうに聞きます。


 『ええ、見えますとも・・』


 答えるバージニアは本物の万物を見通せる目を手にしたんだよ。


 この演技は彼女の才能ではなくチャーリーと険悪になるくらいだめ出しと執拗な演技指導のおかげ。彼女は惜しいかな望んで映画女優になったんじゃなくてチャーリーに憧れただけの普通の追っかけ少女だったんでしょう。この作品の本当のすごさを知らないまま、映画会社を去ったのは惜しい限りです。
 繰り返すけれど、彼女の初出演で初準主役ですよ。

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                               ”You?”


あらすじと解説



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 今日も今日とて、昨日は職があった、明日はどうかさえお天道様次第。シティーウォッチング。いますよねえこんな人。

 当時の世相の金融恐慌直後なのか金融成金が闊歩する中、中間層が欠けた底賃金労働者は仕事もなく、生活にあえぎながらも街の中をぶらぶら歩いてる。

 信号待ちの渋滞を無理に横断、だが、どこぞ大金持ちのフォード1921年式Tセダンにたちふさがれてしまった。喜劇王チャーリーは客席のドアを開け乗り込んで反対側ドアを開けて降り立ち、威勢よくドアを閉めた。
 その騒々しい物音に花売り娘が声をかける。

『あの、ご立派な紳士の方、お花を〜お花を買って・・・・ください。』

 ”あっ!私?・・・違うよと言いたい言葉を飲んで、なりきりお金持ちになって彼女の客になってみせる。

 花ならここで買わなくても花屋に行けばもっと彩りもいい者が手に入る。もし、買う者がいるとするなら、小銭がチャラチャラとうるさいポケットを片づけるようにくれてやるのさ。
 だが、やせ我慢もほどほどにしたい裏腹に彼女は『花を選んで取ってくださいな』と、手違いで落とすもう一つの花を手探りで探す。

 ああ、いや君、こっちのほう・・・・? 指差して彼女に示すが・・・。

 なに?・・・・見えないのか? 君にはその美貌を楽しむ光さえ届かないのか?

 いや、あや・・・失礼しましたお手を・・・・。彼の優しい言葉と手に触れて心にしまい込まれましたね。
 幾重にも重ねられて伏線が張られていきます。何気ない人の振る舞いの中に、この現実の中に神が姿を表す種を仕掛けるんです。

 信仰者が素晴らしいのは、実にこの御ワザのの明慧ですよ。現実の中から神聖を拾い導き出す。
 絶望の中に神の光が輝き出す時を信仰者は見つめながら生きています。

 このシーンにチャーリーが初めて盲人に接したときの驚きをママに伝えてると思う。だから、盲人と接したことがあるぴんには、このチャーリーの演技に舌を巻く。
 盲人と付き合うと、本当に目が見えないのかと言う疑心暗鬼に戸惑うほど、明るし、見えるように普通の感情で振る舞う。怯えも自虐のようなへりくだりはない。なんとしても、見えないという恐れをもたない。本物に出会うと自分という姿が、見えるものです。


  さしのべた手の花を取ると、娘はチャーリー胸元に手探りで花をつける。

 そして、もう、最後の50セント銀貨を手渡した。当然、おつりをもらおうと待った・・・
 そのとき、件の主を待つセダンに立派な紳士が現れて颯爽とセダンに乗り込んだ。

 バタム・・・ドゥルドゥルドゥルルルル・・・・。女の子なら手招きで直ぐにだって乗り込んでしまうフォードアのセダン。

 『あ、あのお客さんおつりを・・・・・』

 慌てて呼び止めたがその奇特な紳士は行ってしまったと思ってる。

 彼女はチャーリーの方ではなく反対の方、そう、さっきのセダンの立ち去る方向をに顔を向けて思いをはせている・・・。

 そうです。気づいた勘違いをしてる。・・・・しかたない。お釣りが欲しいが、そのままここは引き上げようとするが、行く当てがない。ないからしばらく彼女の傍らにたたずんで楽しむ余裕さえある。

 日本でも上演されて大ヒットしたこの映画はたぶんに日本人の世相を反映して少し左よりのこの映画は、アメリカでさえ追い抜く人気だった。

 チャーリーは日本人執事の高野虎市氏から歌舞伎や日本の情話を聞いていたんだと思う日本には『浪花節』や『金色夜叉』のような世相を皮肉り世相をおりこんだ町人文化がある。・・・・そこから発想しなければこの人情の機微はあまりにも日本人的すぎる・・・と、ぴんは独り思った。

 なぜなら、この映画の展開が自由アメリカにいてさえ彼をつまみ出す赤狩り(レッドパージ)に引っかかることになる。



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以下 次回に続く

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人の出会いの美しさ

 人の出会いの美しさ


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 今日もまた 若きロミオとジュリエッタ

 忍ばずとも 人の目の忍ぶ恋の物語

 尽くせぬ愛を重ねてさも いまさらに

 乾き癒せぬ暇(いとま)の静寂に、

 若者の恋に恋して人間(じんかん)の 愛の茨(いばら)に倒れ行く


 清い魂(こころ)を引き裂ける 聖なる掟も罰はない

 悲愴(かなしみ)に 東の窓を閉ざす朝もなし。

 夕べに野辺の帰り路(じ)に たれかそ恋の賛美歌を

 打ち返す仇(かたき)の人やあらん


 時はまた 鐘の音

 日はまた 雁が音(ね)の声

 山に星の出(いで)てある

 西の館に月や出ずる時


バラ道のバラの垣根の裏窓に

届かぬ愛をささやきに

ロミオが君の顔(かんばせを)を

胸にとどめて恋歌い

恋い慕って仰ぐ目に

明日の希望の夢つなぐ


 出会うために生まれた喜びは

 また別れに嘆く今日の日に

 いつかとどめて結ばれる

 その結ばれる暁鐘(ぎょうしょう)の

 証(あかし)は空しい葬送と 愛の門出となる行方(ゆくえ)


 ただよりそう鳥でさえ、その梢(こずえ)に冴え渡る

 愛の羽音をさえずりを  誰が憎いと追い払う 

 この世の悪しき物語 

 この世の悲しい物語

ああ、ロミオとジュリエッタ

この世の悲恋の物語


 舞台は中世のイタリア・ヴェローナ。町の名門であるモンタギュー家とキャピュレット家は長い間にわたって反目しあっていた。
 ところがモンタギュー家の一人息子ロミオは、キャピュレット家で開かれた仮面舞踏会で、同家の一人娘ジュリエットと恋に落ちてしまう。
 許されぬ恋とは知りつつ、熱い想いにかられて庭園に忍び込んだロミオは、バルコニーに現れたジュリエットと永遠の愛を誓いあう。


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             カッペレッティ家ジュリエットの家 とバルコニー

 翌日、僧ロレンスのもとで、二人は密かに結婚するが、その直後、ロミオは喧嘩をしかけてきたジュリエットの従兄弟ティボルトを殺してしまい、ヴェローナ追放を宣告される。
 別れを前に一夜を共に過ごすロミオとジュリエット。翌朝ロミオは一人ヴェローナから出発した。何も知らないジュリエットの両親は、娘とパリス伯爵の結婚準備を進める。ロレンスから仮死状態となる薬をもらったジュリエットは、婚礼前夜にそれを飲み干し、ロミオとの再会を夢見て生きながら葬られる。


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        ジュリエットのモニュメント。ルネサンス風なたおやかな相貌がいい

 だが、ロレンスからの使者が届く前に訃報を耳にしたロミオは、ヴェローナに帰り、彼女の遺体を前に毒薬をあおる。その瞬間、目覚めたジュリエットは、自らも短剣で胸を突き後を追う。若い二人の死を犠牲として、両家は遅すぎた和解をする。



ぴんの一言


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 ちょっと古典風に・・・・・・・う〜ん。調子こきました。

 映画では胸つまりましたね。

 思い当たる事ばかり思い煩った思い出ばかり。

 心は正直で、重ね合う度に涙で跳ね返ります。

 みな幸福じゃなかったんだねと思うほど、シネマの薄明かりはすすり泣くカップルや独り者がわかってしまうんだよね。
 みーんな、どこか、心に片想う寂寥があるんだねえ。埋め尽くせないふかーい、いわれをもってるんやね。

 伝わりづらく思い遂げかたし。

 若いし愛のバリエーションが乏しいから、タダひたすら見つめ合ってに抱き合うことしか思いつかない。

 そんな愛の逃亡者のような二人は、固く結わえたはずの手さえ滑り落とす。


このバロック調の清涼とした歌声に魅了されますね




マスターぴん

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昭和のモダニズム  戦争直後、スウィング・エイジたちが東京二咲いていた

  昭和モダニズム  

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 お公家さんの姫さんのような楚々とした気品とオーラが出てますね。
 伝統ある筑前琵琶の家元の令嬢でして、お母様は元女優だそうです。
 この映像は21才の花も恥じらう乙女なんですよ。
 乙女とは神様のお手つきがあるまで大事にしとくもんなですが、なんか、神様もお手がつかないような今どきの日本女性に見かけることがないですねー。

 だから、むしろ心わしづかみにされます。彼女の写真と彼女の歌を口ずさん、で敵艦もろとも自爆した特攻兵がどれほどいたんでしょう。
 だからなんでしょうか、彼女は死ぬ間際まで美しく美しくありましたね。でなければ、彼女に思いをはせた大和健男児が恥をかきます。

 そう言う緊張感がある大事な女性の操といものを持ったか方なんですね。男だから分かるんだよね。
 彼女の美貌の前に、嫌らしくしょうがない妄想が起きなかったのは、そういった想念が彼女にあつまってたんだといまさらながらに思いをはせます。

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 このレーベルのモガスタイルと、湖畔の宿の歌謡曲が軍のクレームになって発売禁止になったが、戦地慰問や軍の慰問で、憲兵が自主退席した中で多くの将兵はこの、空前の大ヒットした歌をリクエストしたと、よくテレビで語ってました。



東京の女性(1939)
原節子さんは海外からもファンがいたそうです。マレーネ・デートリッヒの美貌は日本女性を変えたとも言えます。男装に近いパンツルックなんて、当時、モボぐらいしかはかなかった。そんな職業婦人が実際にオフィスで働いてた時代が戦前にあった。

 間違えないように、昭和モダニズムがスウィング・エイジたちは日本の海外や大陸からの文化や特に激しいステップとアクションのスウィング・ジャズの虜になって、冒頭の動画の観衆女性たちの洋装を見れば分かるが様そうスタイルで街角に立ったモダンガールモダンボーイたちはほんの二・三年のうちに軍服に着替えて洗浄に旅立っていくのだ。

 それにしても、富士スカイラインのようなハイウェーが戦前からあるなんて当時でも、日本の国土整備事業の先進性の高さに驚くだろう。
 因みにこのドライブウェーを走る男女のうち、町娘役の垢抜けた女性は彼の江波杏子さんのお母さん、江波和子さんだと分かりました。27才でお亡くなりになり、女優生活も一年で引退して結婚されてます。

 この映画の封切りから立った二年後、日本は米国国務長官(首相に当たる実務実権者)ハルから突きつけられた対日要求メモ、『ハルノート』を、最後通告として米英に対して宣戦布告する。

 学校で教えられるほど日本は不自由な国どころか、大正デモクラシーから昭和の金融恐慌を背景に大陸バブルで戦前直後まで日本は空前の昭和モダニズムの絶頂期にあって、淡谷のり子さんや水之江ターキー、原節子、高峰三枝子、という新しい近代的なスタイルや雰囲気を持った方々が世に出て、戦後かと想うくらい女性が社会に進出した時代です。
 それは、大正デモクラシーで、女性の普通選挙法案が議題に上がった手、通過は見送られたものの、アメリカでさえまだ女性参政権がなかった時代に国会に法案が出るという事は、当時の社会は女性の力や才能が国家の原動力になりつつあるこのような映画にでさえその背景に映し出す様なオフィシャルガールを当代随一の大女優、原節子が演じたことで戦後復興が女性の社会進出から高度成長をもたらしたのは、何も戦後の自由社会や経済体制になったのでないことは一目瞭然。

 日本は、戦前でもそんなに卑下するほど今の状況とあまりかわらなかったと言える。

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  当時のモダンガールことモガと言われる最先端モードの男装風の女性。社会進出した女性の多くがオフィスを闊歩してたんですか〜

1977年(昭和52年)


高峰三枝子 湖畔の宿

高峰 三枝子(たかみね みえこ、)1918年12月2日 - 1990年5月27日
 日本の女優、歌手。『歌う映画スター』の草分け的存在である。

 因みにぴんと同じ月日の生まれです。よいろいろな方から言われました。

 昭和52年頃、犬神家の一族で名演技やその妖艶でぞくっとするあやかしの美貌にどぎまぎしたのが、この貴重な動画で分かると想います。
 ガキンチョの頃から、TV似よく出ていた高峰さんの『湖畔の宿』はよく口ずさむほど名曲でした。


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  50過ぎてさえのこの美貌ですよ。ハット息ををのんだと共演の石坂浩二は語っていました。


マスターぴん

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赤い夕日に照らされて  世界のマドンナ 李香蘭

赤い夕日に照らされて

忘れ得ぬ世界の美貌を冠した聖マドンナ


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一番好きな写真ですよ (満州映画時代?)



参議院議員へ転身

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国会議員選出頃のポートレート 昭和47年頃

 ぴんにとって、戦中戦後は歴史の世界じゃなかったよ


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当選確実直後でしょうか。この時のニュースを見ていよいよ中国に行くんだなと思った。後年、彼女は二度と土を踏めない満州の地に立って、切々と封印してきた過去を振り返って語る姿が思い出され思わず涙ぐんだ思い出がある。


1974年に、時の総理・田中角栄の要請で自由民主党から第10回参議院議員通常選挙に全国区から立候補し初当選した。
 1980年、1986年と再選され、環境政務次官・参議院沖縄及び北方問題に関する特別委員長・参議院外務委員長・自民党婦人局長などを1992年に引退するまで歴任した。

 1993年11月3日、勲二等宝冠章受章。日中友好に貢献され、一時は”漢奸”として中華民国政府から銃殺刑をともなう死刑判決を受けたが、日本人と証明できる戸籍謄本のおかげで、外国人国法適用外で国外追放となった。生涯、日中の架け橋というせつない思いを認めてもらえなかった彼女は30年の時を越えて、その思いを遂げて、中華人民共和国政権下の中国本土に日本の名誉ある国会議員団の一人として中国の土を踏みました。

 考えて見てください。女性であり、最も美しくはつらつとした美貌の日々をを送った青春時代を、戦争と両国間の仲違いで、思いもよらない誤解と行き違いで中国人として育った日本国籍の日本人が、憎しみを一身にあつめた漢奸とさげすまれて、李香蘭という花も実も咲かせた名さえ名乗れず、花の人生を飾る最高の日々を語ることができないなんて。
 普通はそこで人生は終わる。だが、だが、政治的プロバガンダでに中から利用された彼女もまた、皮肉なことに、日中の世界史にさえあり得ない反体制同士国が外交場友好条約を結ぶ美談と奇跡の大イベントを、恐らくは、当時の執政官や人民の為政者たちの高官たちから、『リー・シャンランさんはお元気ですか』『山口淑子さんはおられますか?』と話が弾んだに違いない。
 それは、自民党の一派で日中友好条約に向けた一環で彼女がお昼のゴールデンタイムの看板キャスターになったその時から予測されたことだと思い当たります。

 リアルタイムに彼女のその熱い思いと秘めた待望が、この頃の写真ににじみあふれ、日陰の花『李香蘭』の大輪がに中の間に大きく咲かせた瞬間の目撃者になったことを感謝しています。

 美しかった本当に美しい姿は、着飾ったり身に添わせることもありましょうが、日中友好反対勢力やゴシップ新聞や週刊誌または野党のヤジやゲスびた中傷や妄想をもろとせずよくぞ汚名をそそいだことです。
 彼女の堂々たる姿こそ、人生意気に感じるの晴れやかな生き様は世界の一流人に引けを取りません。

 やるものは目して語らず。やらぬ者は口汚く邪魔はするが、一人として、彼女の前途に手をそえて引き上げる者はいなかった。
 恐らくは死ぬまで、彼女を受け入れず彼女のことごとくに何事か言い続けるだろうけれど、あの満州の赤い夕日を背にして語った彼女の言葉が今もぴんの心をあつくさせます。
いつか、この満州の大地にたって、赤い夕日が沈むのを先ず見てください。

 当時、ぴんは、山口淑子議員の出る番組はことごとく見ました。そしてこの言葉を聞いたとき、思わず目頭が熱くなったことは、同じ言葉を父の口から聞いたことです。
 いや、間違いなく満州の地で一度派暮らしたことのある者達は、必ず、必ず、このように語っていたことを記憶します。

 何か言いたいことや物思うことはあろうけれど、満州の大地に立って沈み行く真っ赤な夕日に出会うまでは、中国のなんたるかを語れるには尽くせないナーと思うんですよ。



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夜来香(イエライシアン)昭和三十三年日本映画

http://www.youtube.com/watch?v=A1CZDgwXgnI&feature=related
 1958年 山口淑子(李香蘭)映画界20周年・引退記念
 1958年に日本人外交官で、駐ビルマ日本大使館の三等書記官(国連大使の加瀬俊一の秘書官も務めた)の大鷹弘(元駐ミャンマー特命全権大使、2001年4月に73歳で死去)と再婚し、20年にわたる女優業を引退する。引退直前には原節子の呼びかけにより、芸能生活20周年記念映画として『東京の休日』が製作された。それは三船敏郎、池部良、越路吹雪などの東宝オールスターが出演する豪華なものとなった。そしてこの映画が最後の出演映画となった。




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Li Xianglan,李香蘭, in her 30's , 1955
 アメリカに渡り、アクターズスタジオの講師から演技を学び、シャーリー山口(Shirley Yamaguchi)の名でハリウッド映画に主演したり、ブロードウェイでのミュージカルにも主役で出演した。その頃ニューヨークで彫刻家イサム・ノグチと知り合い、1951年に結婚。鎌倉の北大路魯山人の邸宅敷地内にアトリエと住まいを構えたが、1955年に離婚する。



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李香蘭と同時期に活躍した、英国領上海影劇のトップスター



 当時、中国の外にいた者は誰が見ても彼女は日本人的であることは周知の通りだが、中国人自身は彼女は正真正銘の中国の土から生まれたと信じて疑わなかった。

 彼女は、目をつぶればまさしく中文普通話(チュウユゥエン、フートンファ)を完璧に話す女性ですが、さりげない中に出てくる日本人のメンタリティーは隠しようがないようです。
 第一、言葉のセンテンスセンテンスに日本人が快く思いたがらない発声音が控えめになっていてなんかそれが、病的なか弱さが表に出ている。

 これは現地の中国人女性には少なくともない。欧米帰国子女でさえ変えれば、どんなにエレガンスなふるまいをしても、リラックスすれば自然と出るのがお国訛り。
 訛りは名にも言葉ばかりではない。

 次に、上海で一番人気があった周旋と言う人気女優と比べればはっきり分かります。


周璇 - 天涯歌女


[http://www.youtube.com/watch?v=hxu8Kxuf-Sg 周璇 - 天涯歌女
]
周璇(しゅう・せん、チョウ・シュアン、Zhou Xuan、1918年8月1日 ‐ 1957年9月22日)は、1930年代から1940年代にかけて上海を中心に活躍した中国の歌手、女優。
1935年、17歳の時に女優活動を開始。彼女は、もし、李香蘭がいなかったら、日中でかなり有名な国際女優になったかも知れません。当時、李香蘭と並んだ写真が数多くあります。
 1957年、上海の精神病院にて死去。その晩年は孤独で富と名声はかえって人を荒廃させるほど欲望のすさまじさは人さえ喰い殺すのかも知れません。
 上海英国領と満州国に共通したのは、中国の民族主義的なメンツに遮られずに日本と上海の芸能人たちは中国本土の娯楽を担っていたように、世界で名の知れた多くの女優や歌手を出していますね。


張燕之天涯歌女


天涯歌女


燕さんのプロフィール


中国民歌を代表する第一人者

出生地:安徽省。安徽省准南市出身。
生日:7月20日
星座:かに座
身長:164cm
血液型:B型
趣味:読書、寝ること
好きな言葉:順其自然(あるがままに)
最も大切な事:嬉しいこと、落ち着き

経歴
1991年 安徽芸術学校入学。
1994年 トップの成績で中国音楽学院声楽系に入学、著名な声楽教育家である金鉄林教授に師事。

 清涼感ある透き通った歌声はアジア各地でも人気を上げてきて、日本でも彼女の人気は上がりつつあるようです。

 はっきり言って、彼女は相当、李香蘭を研究し勉強されたんでしょう。中国語にありがちな破裂音や作り顔するような大げさなモーションがまったくありません。
 パット聞いたとき、日本系の中国人かと思うほど取り込まれました。

 日本人を意識してるのかなあ〜・・・不思議なかたで、ぴんが知る限りの典型的な中国人女性のあくの強さが抜けきっています。


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                  晩年、元気よく活動されていた頃


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     最近はすっかり、TVにも姿をお写しくださいません。少し、残念やわ

マスターぴん

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