助手で切り絵もできる池田さんにお願いしている書庫と物置の掃除が、大いに進みつつある。ていねいに古本を拭いてくれる。ぼくが忘れていたものが、彼女のおかげでいろいろと発見されているのだけれど、この前、とんでもない骨董品が出てきた。池田さんは挿絵画家志望だから、挿絵画家に関係する掘り出し物はすぐに発見してくれるのだ。
カイ・ニールセンというイラストレーターをごぞんじだろうか。デンマークに生まれ、パリで絵の修行をし、1913年にイギリスで挿絵画家デヴューを果たした。1886−1957年の生涯のうち、なんと言っても有名なのは、1914年にロンドンとパリで同時刊行した北欧童話挿絵集『太陽の東 月の西』だ。うちにもオリジナル本が一冊ある。パリのピアッツァという出版社が出した豪華限定版で、ロンドンの出版物より色刷りの出来がよく、デザインもいい。
で、このニールセンだが、第一次大戦が勃発したおかげで贅沢な挿絵本を注文する出版社がなくなり、1924年ごろまでコペンハーゲンに戻って舞台美術を手がけながら細々と暮らした。
その舞台のひとつが1936年だかにアメリカで上演されることになり、ニールセン夫妻も一緒にカリフォルニアへいざなわれた。運命とはおもしろいもので、ニールセンはコノトキ、アメリカでアニメーションという新しい仕事に出会うのだ。雇い主は、もちろんウォルト・ディズニーである。
ディズニーはそのころ、大作『ファンタジア』を手がけていたが、ニールセンの幻想的なタッチにほれ込み、『ファンタジア』中の「アヴェ・マリア」と「禿山の一夜」の背景などを制作依頼した。このほか、やっと最近公開された「リトル・マーメイド」にもニールセンは参加している。けれども、あまりに過酷な労働条件や、アニメーションとの相性の悪さのおかげで、ニールセンは数年を経ずして首を切られてしまう。以後は教育や舞台の仕事に細々ながら暮らしの糧をもとめ、貧困のうちに亡くなった。
というわけで、ニールセンの知られざる作品はアメリカにずいぶん埋もれているらしく、いまでもときどき、ディズニー・スタジオのために制作したアニメ用の下絵やデッサンがオークションに出る。10年ほど前になるだろうか。アメリカの「スワン・オークション」に、おもしろいニールセン物が出品された。それは、近所に住んでいた女の子へ誕生日の祝いとしてニールセンが贈ったという、手描き挿絵のはいった時計だった。たぶん1940年代の作品だろう。とても素朴な作品で、お祝いをもらったご本人の女の子も描かれている。ニールセンは自分で時計のデザインもしたらしいのだが、貧乏だったから高い時計は買えなかったようだ。ぼくがこの時計を落札したとき、時計のメカニズムはさびて動かなくなっていた。そのうちに時計の機械部分を修理し、動くようになったら、部屋にでも飾ろうと思った。でも、忙しさにかまけて、いつか忘れ果ててしまったのだ。
それが、出てきたのである。めでたいので、自室に飾ってみた。たしか、当時だれかと競って、すごい金額で落札したはずだが、今見直すと時計自体はほんとうに安物である。ただ、ニールセンが隣の女の子のために精魂こめて絵を描きいれた。そこが、うれしかった。
カイ・ニールセン直筆の絵を見ながら、かれが歩んだ「すこしツキのない人生」のことを考えた。かれの挿絵はいつもすばらしいファンタジーだったけれど、その分だけ、かれの身の上は悲しい。ぼくはこのちいさな時計を、昔どおりに動くようにしてやりたいので、ちかぢか修理屋に持っていくつもりでいる。
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