梅の小屋日記

美術家「歳森勳」とイラストレーター「山吹あらら」の小豆島アトリエ日記
長らく悩んだが、梅の小屋通信を終了することにする。大事なものを、大事にする。当たり前のことだが、大事にすることが公開することとは限らない。世間には様々な人や動きがあって、人に知られることが必ずしもいいとは限らない。

彼の残した知性感性は、無形のものだ。それは消費とも風化とも無関係のものだ。だから宝を秘すように、守り温存する。来るべき日に、それを本当に必要とする人が現れたら、喜んでその人に託そう。

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その後、ちっとも描き進んでいないのだが、最近の心境を綴る。

榎倉康二氏に縁のある人々が集い、展覧会やシンポジウムが開かれたわけだが、色々な思いが沸いてくる。「梅の小屋」通信、榎倉康二の文章を抜粋して載せる作業を続けるかどうかも、迷いが生じてきた。通信の発端は、太田三郎という美術家がFBで「もの派」のパロディー「のも派」なるものを始めたのがきっかけだった。犬の小便跡や、農作業小屋のビニールシート、植木鉢の形にひっくり返った土の塊などに「もの派」をなぞらえ、それなりに毒の含まれたものだった。世間にそれほど知られているわけではない「もの派」がますます誤解を受けないために、私も何かしなければとそれから思い始めた。それは私の師榎倉康二氏が一応「もの派」の作家とされているためで、榎倉氏が誤解を受けることは私にとって面白いものでは無い。榎倉氏父母が住んでいた「梅の小屋」管理者として、氏の言葉をFBで、次には梅の小屋HPで細々と語録を進め始めた。

そんな経緯だが、太田氏うんぬんどころではなく、美術界というもの、世代間のコミュニケーションも一筋縄ではいかない。榎倉氏も他大学どころか、藝大内部でさえ反発する人が多かった。トップランナーの辛さか、正直な人柄と発言を信頼する人も多い反面、嫉妬する人間も多いのが実情。また、今回改めて感じたのは、世代間の感覚の違いだ。氏の生前の姿を記憶している人は、38歳以下ではほぼいない。現代の20代は、デジタル環境を身体的に受け入れてきた世代だ。彼らはその当時の「もの」「物質」「空間」「世界」をどのように咀嚼するのだろうか。

語録だけ見たところで、誤解が広がるだけではないか?という思いが湧いた。作品が解るということは、検索で出てきた画像を見ることでは無くて、実物を空間で見ることである。つまり作品から直感で受け取ったものが本質であり、それ以上に氏を語れるものはないのだ。語録を続ける私にとっても、それほど報われている気がしない。良くて「危篤な人」、売名行為と揶揄する人もいるだろう。私自身も、自分の専門として作品で意思を訴えていく方がいいのでは?と思うときもある。

それでも私はジャーナリズムやドキュメントの力を信じているので、語録は無駄なものとは思わない。「梅の小屋」が無くなった時、氏の語録がHPとして「梅の小屋」の記憶になるかも知れない。一筋縄でいかないのだから正攻法もなかなか通用しない、ということもわかってつもりだが、なんだか迷いを吐露した。

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小豆島「梅の小屋」に関るきっかけは、榎倉康二氏の姉黄田氏から(榎倉省吾氏千代氏、彼らのご両親が住んでいた)、ここの管理を依頼されたことだった。榎倉省吾氏も榎倉康二氏も美術家だったので、これからも美術関係の方々で維持管理して欲しいとのこと。私は学生時代、榎倉康二氏にお世話になった。現在は岡山に住み、香川県でも幼少期を過ごし小豆島にも色々思い出があったので、私は二つ返事でその依頼を引き受けた。「梅の小屋」には、榎倉省吾氏が亡くなるまでの、榎倉康二氏の記事が掲載された美術書が、そっくり残っていた。榎倉省吾氏と榎倉康二氏は親子で美術家同士なので、親愛の情と刺戟し合う関係だったことが想像出来た。私は、これは榎倉康二氏の歴史を知るいい機会だと思い、その書類を読み始めた。この時点までは、あくまで個人的に。

榎倉康二氏の、美術書掲載文をアーカイブするきっかけは、ある美術家が「もの派」のパロディーをネットに掲載し始めたことだった。始めは面白く思って放っておいたのだが、次第にエスカレートする内容に段々腹立たしく思ってきた。これは誤解が広がってしまう、もう少し皆さんに榎倉康二氏の、或いは「もの派」(作家によって様々な考え方があることも知っているが)のことを知って頂きたいと思い、私自身も彼の美術書掲載文をネットに掲載し始めた。最近まで「梅の小屋」管轄の警察の書類には、管理者として榎倉康二氏が登録されていたこともあり、御本人が蔵書していた本に、御本人が掲載されていた文章を、御本人が代表になっていた「梅の小屋」関係のネットに載せるのだから、罰は当たらないだろうと勝手に思って始めた。今更ながらだが、関係者方々には御了承いただければ幸いだ。

「もの派」に対して、世間様々な受け取り方が違うことは判っている。1995年以降、美術関係者にとって、「もの派」は攻撃対象であったこともわかった。しかし評論家は、新機軸を打ち出すと同時にそれが攻撃ともなってしまう、そういう仕事なのだ。榎倉康二氏に習った後進作家でさえ、彼との差別化を主張することが、評論家と同じ構造になってしまうのも仕方が無いのだ。私も氏そっくりのことをするわけにいかないので、その構造からは逃れられない。個々人のぶつかりは激しい、融和なんて生易しいものではなく、歴史は反発を繰り返しながら歩む。しかしそれが表現の現場、そして大きくは「表現の自由」ということなのだから。氏の言葉で言えば、「存在の悲しさ」かも知れない。

最後は、私の感情的理由として、氏の視点が大切なものだと信じている、のだ。無位無官の私にとって何が出来るのか?とか、20年以上経つ大昔のことが何の役立つのだろうかか?とか、研究者でもないのだから自己表現にまい進すべきだろう?と言われたり、売名行為と謗られたりする、苦しい思いも正直ある。損か得かというと、得なことは何もないのではないか?とも思う。しかし、損得で割り切れないものがあるのだ。氏の歴史と「梅の小屋」の存在意義が、少しでも現代に生きてくることを願って、(筆不精でなかなか進まないのが、真に申し訳ないのだが)続ける。

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梅の小屋通信 11号

梅の小屋通信 11号

みずゑ MIZUE NO.804 1972/1 美術出版社 発行 特集72=創造の原点

針生一郎氏のアンケート特集が組まれています。氏の声がけに16人の作家が応え、それぞれの作家がかなりまとまった文章を披露しています。
作家は、宇佐美圭司、磯部行久、近藤龍男、高山登、村岡三郎、鈴木慶則、大西清自、川口龍夫、木村光佑、榎倉康二、柏原えつとむ、中里斉、青山光佑、狗巻賢二、田中信太郎、松沢宥という面々。当時最年少、高山登氏28歳〜最年長、松沢宥氏50歳という、若手から中堅作家への、インタビューでした。

針生氏からのアンケート内容は、
1、現代美術は、次々に「芸術」の概念をうちやぶってきたようにみえますが、その果てに「芸術消滅不可能性」に直面しているともみられます。あなたはこのような「芸術」、とくに制作の「オリジナリティ」の概念について、どんな立場で対処しようとしていますか。
2、物質と人間のかかわりかたが、あらためて現代美術の中心課題となっています。あなたはこの点で、どんな原理または方法をとっていますか。
3、日本の美術の現状で、何がいちばん欠けており、何がいちばん障害になると思いますか。という内容で投げかけられました。
榎倉康二氏は当時30歳、以下文章を転載します。

最近、美術の中心は、ニューヨークからドイツにうつりつつあるという話をよく耳にし、又ヨーロッパに行ってもその感をまぬがれない。現代美術の動きは、近代情報社会の拡大と、「芸術のための芸術」「前衛のための前衛」といった芸術至上主義的風潮のもとにめまぐるしいかぎりである。そしてほとんどの作家、批評家たちは、この情報を身体全体で吸収し、吐き出すわけだが、今の日本の美術の状態は、この吸収し吐き出す関係がまったく消化不良におちいっているのではないかと思う。この消化不良は、美術の世界に限らず、近代情報管理社会全体の現状であると思う。つまり、情報という人間の作り出した化物に、個々の人間の主体性が、追いつくことができなくなっている状態である。毎日毎日何十冊と出版される書物、新聞、雑誌、そして朝から真夜中までがなりたてるテレビ、ラジオ、、、、、。のがれようと思っても、けっしてのがれる事ができないこの情報の渦、そして、この情報の渦は、わたしたちに現実ということの視点を、非常に抽象的な位置にすり替えてゆく。幻想の重なりが、現実味を帯びるほど恐ろしいことはない。現実とか日常という視点を、抽象的、幻想的な位置に置いてはいけない。「日常は、日常である」ということ、日常の中から物質世界を抽出したり、知覚世界だけを抽出したりすることは不可能なのだ。日常は、物質世界であるとか、知覚世界であるとかが解らない状態のまま流れてゆく。まず日常そのものを「あつみ」として自分の身体の中に留めておくことができないと、日常の流れを見る視点を失ってしまう。書物を印刷する機械の音を、テレビの裏で不気味に光る真空管のかすかな光を知ることだ。あとでふれると思うが、芸術の消滅性とか、オリジナリティという言葉も、このような近代情報管理社会の中で作られた幻想的産物にすぎない。

わたしたちが日常生活の中で、物と触れ合ったと知覚する時には、現実生活の渾然とした日常を摺りながら感じるわけである。コップ、テレビ、椅子、机、鉛筆、スタンド、歩道、電信柱、空、空気、タバコ、土、コンクリート・・・・私たちの空間にある、この茫然とし、渾然としている日常、このうち一つも失ってはいけないのだ。青空と黒い土は無いけれども、淀んだ空とつめたい歩道は有る。一つも失ってはならないのだ。わたしたちの回りに、べとべとと纏わりつくこの日常、この日常が現実であるかぎり、この現実に背を向けることは絶対にできないのだ。

日常が肉体の鼓動の中にすべり込む。そして、肉体の鼓動とともに外に放り出される。わたしたちの存在と日常世界との間にある、あの皮膚質のような、膜のにぶい感触、物とわたしたちの関係において恐ろしいのは、物を見つづけていると、コップならコップという名称性がうすれてしまうことだ。コップがガラスになり、ガラスが透明に、透明が無限になることだ。どこかでこの茫然とした、人間と物との広がりをつかまえることが必要だ。そして肉体の鼓動とともに吐き出すことだ。コップにも、椅子にも、窓にも、すべては含まれている。それなのに、コップはコップであり、窓は窓であり、光は光なのだ。コップも、窓も、光も、その背後に、いくえにも重なったおもみを持っている。だから、わたしたちが所有しようとしても不可能なのだ。

芸術のオリジナリティという事は、芸術というものが、現実社会に内包される人間と物とのかかわり合いの中で行為されるものであるならば、オリジナリティという言葉の範囲の中に芸術は含まれる事はない。個人体験の差が、オリジナリティということだと思うが、個人体験の裏にわたしたちの日常がある。とすれば、独創性が、作品の価値観を決定することはない。オリジナリティという言葉の背後には、あの人間のいやらしい所有欲が潜んでいる。

物体は、時間の背景の中に、関係を断ったことはない。光のきらめきの中に、物があの粘着質の影を落とす時、物が物である事の冷たい響きをもって相貌を現わすとき、物は物であり、わたしはわたしである、という平行状態は永遠に続く。日常から切り離したところで、コップを、石を、所有しようとすることは絶対不可能であり、コップはいくえにも重なったところでコップであり、又、石はいくえにも重なったところで石なのだ。ある日常空間を、自分が所有していると錯覚してしまうと、自分が所有していると思うそばから、砂の一かたまりを手にして、それが手からこぼれ落ちるようにこぼれ落ちてゆく。にぎることがけっしてできない。もしできるとしたら、その砂が手からすべり落ちるときに感じるあの鈍い感触しかないのだ。繰り返し繰り返し、この手に残る鈍い感触を、日常の時間の重みをひきずりながら味わい続けることが、自分自身の存在をたしかめる証しになるのだ。自己のイメージの中で物を操るのは辞めるべきだ。物の存在は、自己のイメージの外にいつもあるのだ。日常の物の存在の秩序に近づくことこそ大事なのだ。わたしが、日常の中に存在するように、物は形がいくら変化しても日常の空間の中にある。ガラスのコップはこわれても、ガラスが残り、ガラスがこわれても粉が残る。日常の物質存在の秩序をくずすことは出来ない。くりかえしていうが、物とわたしたちの関係は平行状態でしかないのだ。物を所有しているような幻想はやめるべきだ。プロメテウスが石を運ぶ行為を象徴的にとらえてはならない。プロメテウスは、石を苦痛をともないながら運んでいるのだ。あせをかきながら、空腹を抱えながら、運び続けるのだ。

オリジナリティとか、芸術の消滅性と言ったことは、現代の情報管理社会のまったくかってな言語であって、芸術至上主義的な幻想的思考を地平として拡大された言葉である。この幻想の重なりが虚構の溝を深くしてゆく。そして手のつけられない幻想のバケモノと化し、そして現実化してわたしたちの生活の中に入り込み、日常を犯し、知らないうちに肉体に入り込み、わたしたちの生き血をすい、生殺しにして行く。現実の日常の中に、芸術とか、オリジナリティよりも自己自身を生殺しにしてしまい、個人を消滅させてしまう恐怖感を見つめるべきで、硬直した論理の中に自分をとじ込めたり、硬直した論理を背景として日常のものを所有したりする事をやめるべきだ。大事なことは、まず、流れる日常の中に自分を置いて、うずくまってみることである。

以上、長文でした。熱さを感じた文面、勝手ながら赤字にしました。

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献杯

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「剣菱」と「白秋」
お酒の名前です。榎倉康二氏が好きだった酒です。
久しぶりに「梅の小屋」に行くと、「剣菱」が置いてありました。
氏の娘が滞在して、黙って置いて行きました。

この度、私の家に、「白秋」が届きました。
屋外アートフェスの先駆け「白秋フェスティバル」、懐かしいです。
「梅の小屋」オーナー、氏の姉が送ってくれました。

悲喜こもごも、味わい深い「献杯」を繰り返し戴きました。
有難うございました。
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