いつでも夢を日記

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3.元信(5)

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 今川館には、竹千代が駿府に来る前から二人の乙女が出入りしていた。一人は吉良義昭(よしあき)の娘・椿であり、通称「お亀」と呼ばれていた。もう一人は関口親永(ちかなが)の娘・瀬名姫であった。瀬名姫は通称「お鶴」と呼ばれていた。

 瀬名義広改め関口親永は瀬名氏貞の子で、関口氏縁の養子となって用宗城(もちむねじょう)の城主として二万五千石を知行していた。その妻は井伊直平の娘であったが今川義元の養子となって、親永に嫁いだのであった。

 岡崎から駿府に戻った元信は、翌弘治三年(1557)、今川義元の計らいにより、お鶴を娶(めと)ることとなった。元信は今や表面上は義元に絶対忠誠を誓う家臣であった。

 そもそも義元がこの婚礼に肩入れしたのは、瀬名姫の婚期を心配したこともあるが、かつて太原雪斎在りし日にこう言われたことが心に残っていたからであった。

(・・・あの小冠者(こかんじや)を、いつまで籠の鳥の質子(ちし)と思うていると間違いまするぞ。今川家の廂(ひさし)に巣喰うて満足しておる燕雀(えんじやく)ではおざらぬ。大鵬(たいほう)の雛(ひな)は、雛のうちから、大鵬になる心得をもて扱っておかぬと、飼い馴れぬものでおざる・・・)

 正月15日に婚礼の儀を執り行い、今川館はそれは華やかな様子であった。元信は十六歳、お鶴は九ツ上の二十五歳であった。輿入(こしい)れの折りは、義元の養女という資格であったから、その支度の善美や、盛装の眩(まば)ゆさは豪華の極みであった。

 ***

 今回の記事は短いですが、第3章はこれで終わりです。次回は第3章の目次を掲載します。そして次章は「4.元康」を予定しています。

 私事ですが、月曜日から再び長距離通勤で現場仕事に出向くことになりました。更新もどうなるやら分かりませんが、ここにあらかじめご了承ください。

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