山の花・自然風景から元気を頂いていたのが?・・・

高齢者となり花が好きだから健気に咲く花から元気を頂いています。

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吉原大門、土提の道哲、待乳山、聖天町、山の宿、花川戸、吾妻橋に
 
三ノ輪駅からスカイツリーの見える土手通りを吉原大門に・・・、吉原も佐野槌も無いが落語「文七元結」の長兵衛が歩いた土手通りを歩きたくて・・・。
落語から・・・長兵衛は佐野槌を出て大門をそこそこに見返り柳を後にして、土提の道哲、待乳山、聖天町、山の宿、花川戸を過ぎ吾妻橋の・・・。
土提の道哲〜待乳山〜聖天町〜山の宿〜花川戸〜吾妻橋まで歩こうと、土手道も山谷堀川も今は無いけれど何か残っていないかと・・・。
 
佐野槌の女将が親孝行な長兵衛の娘に感動して・・・、一年後お金が返せない場合には以降女郎になるの約束で長兵衛に50両を貸した。
50両の金を懐に左官の長兵衛が吾妻橋の上で「おい、待ちねぇ」「へぇ・・・あたしは生きていれないことがございましてこれから身を投げます」。
「文七元結」は明治初め三遊亭円朝の人情噺の創作で、当時の長屋風景や職人気質や賭博や吉原などの知識が有るほど身につまされ感激も。
 
長兵衛が佐野槌から手ぶらで達磨横丁に帰ってきてから・・・、九尺二間の長屋では長兵衛と女房の夜っぴての夫婦喧嘩が圧巻で名人芸が・・・。
江戸庶民は九尺二間の長屋住まいの体験をしているから、長屋での夫婦喧嘩の所作がまるで見ているよう・・・家でも夫婦喧嘩をやっていました。
達磨横丁にはかの葛飾北斎も住んだという・・・、本所の達磨横丁を探したが震災と空襲の大猛火で達磨横丁も古い長屋も有るはずも無いが・・・。
 
見返り柳も土提の道哲も山の宿も東浅草X丁目という町名になり、「文七元結」の長兵衛の足取りを追ったが収穫は靴屋問屋街を歩いただけで・・・。
 
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樋口一葉は吉原近くの駄菓子荒物小物の店を開いていて「たけくらべ」が・・・
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日本堤の土手通りには「見返り柳」が有ったらしい
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昔を探して歩いていて木造家屋やリヤカーのある家が・・・懐かしかった

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