大日本帝國陸軍小倉陸軍兵器補給廠小富士駐班
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大日本帝國陸軍小倉陸軍兵器補給廠小富士駐班
大東亜戦争真珠湾攻撃の前に寺山地区を中心に約60ヘクタールの広い敷地に開設。
昭和十六年八月松、三井物産ニューヨーク航路の高速貨物船天城山丸(総トン数7,624トン 重量トン9,800トン)が戦車用樽モービルを積み入港した。搬入されるガソリン等の戦時物資は、軍用トラックや荷馬車で前原駅まで運び、貨車でそれぞれの戦地に運ばれた。
昭和二十年になると、空襲の危機が高まり、倉庫に貯蔵されていた燃料などは壕を掘り、地中に保管されるようになり、本土決戦の危機が高まると、瀬高町(現みやま市)に移転された。 地元では通称:寺山補給廠という。
糸島半島南西海岸の陸軍関係施設として小富士駐班の他に
久留米陸軍工兵隊船舶部演習場
があった。
昭和の初め頃、久留米の陸軍第十二師団の時代、船舶工兵を主とする訓練の重要性が認識された。工兵第十八大隊の一中隊を丁中隊に指定、極秘の工兵隊丁として訓練を行った。毎年夏場を中心に久留米から一個中隊二、三百人が上陸演習を行った。上陸用舟艇約30艇配備。小浜で訓練を受けた工兵は、大陸前線から南方へ、さらに北上へと上陸作戦の最前線で戦った。昭和十六年初め頃、小浜を含む寺山から久家香月一帯に兵器集積所(小富士駐班のこと)が開設されることになり舟艇格納所を設けていた引津湾の香月海岸へ移転した。
出典:玄海基地慰霊碑前にあった案内文書より抜粋
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