巻末の 坂村健氏の解説によれば,
「記述」という側面を持つ短編集だそうだ.
適切な愛
「貧富の程度と加入している生命保険によって,望む治療が受けられるかどうか決まる」
という社会問題はMichael Moore監督の映画『SiCKO』でも描かれている.
しかし主人公のカーラはその夫クリスを助けるために訴訟を諦めたことで,
この作品の主題は社会批判から,本能に基づく人間関係,特に母子関係に移る.
私は男性だし子供もいないので妊婦の心理に疎いのだが,
胎児(カーラの場合は夫の脳!!)に対する感情を神経信号の問題として克服するというのは,
どちらかといえば「男性」的だと思った.
闇の中へ
「未来は分からない」,「過去には戻れない」という時間的な制約が,
「前方は見えない」,「後方には戻れない」という特異な空間として住宅地に出現させたSF.
部屋の隅に自分を追い込んでしまい,もがくほど潰れてしまう犠牲者が象徴的だった.
愛撫
美のための人体改造に関する倫理問題の話.
ある遺伝子操作を受けて生まれたキャサリンが本作の重要人物であるが,
彼女の境遇に主人公が感じたほど嫌悪感は強くなかった.
自分がそのような状況にならない,と信じているからだろうか?
あるいは外見よりも人間として尊重されるかどうかが重要だと考えているからか.
あと『宇宙消失』と主人公の職業設定が似ている.
警察官は物語を進展させやすいからだろうか?
道徳的ウイルス学者
キリスト教原理主義を皮肉った話として単純に読んでよい,のだろう.
ブラックジョークについて語るのは興ざめなので,
「アメリカは大変だな」とだけコメントしておこう.
移相夢
「 胡蝶の夢」のシミュレーション世界版である.
唐突な場面の展開など夢らしい表現がなされているが,
場面の繰り返しは見当たらなかった.
意図的に使わなかったと思うが,その具体的理由は分からない.
チェルノブイリの聖母
冒頭の時点で原発事故と関係のあるイコンだろうと推測できるが,
どのような価値を秘めているのか,は終盤まで分からなかった.
サスペンス物としてよく出来ていると思う.
イコンについて聞くたびに,
偶像崇拝は禁止されているはずだと不思議に思う.
ヨーロッパのキリスト鏡について真面目に扱っているという点で,
『道徳的ウイルス学者』と対になる作品だといえる.
ボーダーガード
技術的特異点を突破して様々な概念,特に「死」が失われた遠未来の話.
以前紹介したEganの長編のように,
読むほどに自分の先入観が次々と破壊されていくSFの典型.
特に「量子サッカー」は,膜の振動の制御であること以上に理解が進まない.
作者の公式ページでばJavaアプレットによる「量子サッカー」を体験できる.
アプレットは起動に時間が掛かるので,間接Linkとする.
Border Guards
デモのように滑らかに操作できなかったが,
そもそも1人では意識すべき要素が多すぎるだろう.
冒頭で説明される「モンテカルロ病」という人災以外の道具立ては,
未来予測として無理をしていないと思った.
特に過剰なまでの公衆衛生の法体制は,
もしインフルエンザのパンデミック(大流行)が発生したとしたら
現実社会でも緊急手段として成立してしまうかもしれない.
しあわせの理由
この作品は以前SFマガジンに単体で載っていたので,読むのは2回目である.
ただし話の結末を忘れていたので,新鮮な気分で読めた.
主人公は初め病気によって何もかもが幸せに感じようになり,
次に治療の失敗によってあらゆる出来事を不幸に感じようになり,
そして再治療によって幸不幸の感じ方を脳の再配線によって操作できるようになる.
結局のところ,我々の価値観は我々次第である,
具体的には脳の反応によって決まるということである.
そして小説の中でもあるので,ひねくれた主義でも良いはずだが,
主人公が選び出したのは奇抜さのない生き方だった.
この点に少し不満を感じた.
まとめ
以上を見ると,生物工学,医療系を題材とした話の多さがよく分かる.
やはり病院付属の研究所で働いていた経験が生きているのだろう.
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