四国を想う
時間を考える札所を歩く、 という事が結構自分にあってるんだなぁと思えるようになって その後も休暇を利用して、区切り遍路を続けますが、宿泊については毎回悩んでました。 テント泊と宿を織り交ぜて毎回行程を組むんですが、 『宿泊地=その日の目的地=次の日の出発点』 なわけですよね。 区切り打ちですから どーしても過密なスケジュールになってしまう。 その結果、毎回殆ど休憩もせずに歩き通しで、5時頃到着する地点で宿泊すると言うことになる。 お遍路に出ても時間に束縛されちゃってるんですね。 そんな形が何年か続いて、ある夏の区切り打ちのこと。 88番の大窪寺の手前でテントを張って、この後の行程を考えます。 結局、88番⇒引田の海岸でテント泊⇒1番霊山寺 という行程を立てました。 翌日は結構な雨。しかも女体山の最後が結構ハードで(ちょっと舐めてました) 大窪寺に着いたときはちょっと疲れてました。 それでも時間はまだ午前中だし、朝めし食って元気も出てきて、引田まで頑張ろうと歩き出しました。 途中、白鳥温泉て看板があり、雨も止んできていたこともあり、風呂でもと思ったんですが、 ヒラメキとか、啓示が(仏教だとなんていうんだろ?)とかじゃないんですね。 気がついたら...うん、これが1番適切かもしんないです。 ホント気がついたら泊まってたんですね。 何かが吹っ切れたって感じでしょうか。そのときは結局23番の薬王寺まで何日かかけて歩いたんですが 今までのように前の日に予定をたてて、夕方まで歩き続ける、なんてことをしなくなりました。 ただ、それでも歩くときは40km以上歩いて暗くなることもあるし、 お昼3時頃でその日は歩くのやめて泊まったり 時間は気にしながらも、縛られるって事は少しなくなってきましたかね? 意識する/しない、にかかわらず時間はながれていきます。 今の暮らしの中で、時間を気にせず生きるってことはできないでしょう。 でも、時間に縛られない暮らし は出来ると思いますね。 だって時間が人を束縛しているんじゃないんですもんねぇ。 すみなすものは心なりけり
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