林白言氏とKarl Ppper
|
北の大地で外国人として生きた情熱家林白言氏とKarl Popper 私の問題意識の深層にある「愛、革命、学問」について、林白言氏から何を学び取ることができるのか、彼の著作物の一行一行に刻まれた思いに私なりの理解を書き綴ろうと思います。 かっての日本のコミュニストたちは国際共産主義運動の流れと無縁の存在ではなくその路線決定に大きく影響されてきました。自国の革命の経験が他国にも押し付けられるという事態が生じ、そしてそこには「ドグマ」の連鎖が横行したのです。 Karl Popperは「科学的な知識を含めて人間の知識は絶えざる反証に開かれた暫定的なドグマの体系にしかすぎない」(現在思想の冒険者たち 14 −批判的合理主義― 講談社発行 小笠原 誠 著)としています。 更に、Pooperは「開かれた社会とその敵(小河原誠,内田詔夫/訳未来社発行)」の中で、「マルクスの宗教的影響力の秘密がその道徳的訴求力にあったこと、彼の資本主義批判が主として道徳的批判として有効であったこと、これらを疑うことは出来ないからである。 マルクスが示したのは、社会体制がそれ自身で不正でありうること、すなわち体制が悪であるならば、体制から利潤を得ている諸個人のあらゆる正義は見せ掛けだけの恥ずべき正義、紛れも無い偽善であるということであった。何故なら我々の責任は体制、すなわち我々が存在するのを容認している諸制度にも及ぶからである。 マルクスの道徳的ラディカリズルこそが彼の影響力を説明するのであり、そしてそのことは、それ自身として希望を奮い立たせる事実である。この道徳的ラディカリズムは今でも生きている。それを生かし続け、彼の政治的ラディカリズムが辿らざるをえなくなるであろうような道をそれが辿らないようにすることが我々の課題なのである。『科学的』マルクス主義は死んだ。その社会的責任感と自由への愛が生き延びなければならない」ともしています。 林白言氏も含めて心ある人々が信奉してきた「科学的社会主義」に基づく「歴史の必然性」というものは、存在しなくなったのでしょうか。Popperが言うように、「マルクス主義の社会的責任感と自由への愛」のみが存在理由をもつということなのでしょうか。 今、一度、私たちは「反証の所作」を試みる必要があると考えます。 『《歴史主義》の貧困は想像力の貧困である。《歴史主義者》は、自らの住む小さい世界に変革を想像出来ない人々を間断なく叱責している。しかし、《歴史主義者》自身が想像力に欠けているように思われる。何故なら、彼らは変革の諸条件が変化することを想像できないからである』(歴史主義の貧困より) この一文の意味するところは大きく、「これまでの哲学者はただ単に世界を解釈したに過ぎない。大切なことは変革することだ」という言説の新しい解釈を考察すべきときがきたということだと思います。
|



はははは、地べたを這う実証主義者がポパーを引き合いに出すなんて、さもありなんだね。
むかしミヤケンとかいうおじいちゃんが「実証主義は認識の相対化を経由して不可知論に転化する」なんて北朝鮮擁護論を批判していたねw
2012/1/31(火) 午後 9:30 [ バッジ@ネオ・トロツキスト ]
ホンとに何処を見てもYahoo!ブログ界には相変わらず○で「2ちゃんねる工作員」みたいなイイ歳した大人なのに非常識で普通でない変な異常人格的な地下潜りコメンテータさんが多いわねぇ!(呆れる……??)私も人のコト言えないか!?(笑)w 失礼いたしました。。。
2012/2/3(金) 午前 9:08 [ piperycom ]
自分のカルト妄信に無自覚な人間が他人を「異常人格」視するとは・・・・・・「私も」ではなく、「私は」でしょうねwww
2012/2/8(水) 午前 9:11 [ バッジ@爆笑 ]