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ある標準的な家族形態を前提することができるなら、労働力の日価値は、一般的には、“標準的な家族1世帯の1日の生活費÷就労者数”でもとめることができます。
したがって、労働力の価値分割というのは、例えば、
☆before
一家4人(夫婦+子供2人)の1日の生活費…16,000円(←数字は任意)
就労者…成人男子1名;労働力の日価値…16,000円
という状態から、次のような状態に移ることを言います。
★after
一家4人(夫婦+子供2人)の1日の生活費…16,000円+α[※]
(※このαは、新規就労者の通勤のための交通費が増える分とか、新規就労者は未就労のときより多く栄養補給する必要が出て食費が増えるなどの部分です。もともと就労していた人の分は、最初の16,000円に含まれています。文字のままでは具合が悪いので、α=4,000円と仮定します。)
就労者…4人全員
全員の労働力の日価値の合計(=一家の1日の生活費)
…20,000円(16,000円+4,000円)
資本が負担する労働力一単位(労働者一人)の平均日価値
…20,000円÷4=5,000円
ここで注意していただきたいのは、労働力の価値は、16,000から5,000円と著しく低下しますが、一家の生活費は、16,000円から20,000円に上昇しているということです。このことは、何を意味するのでしょうか?それはこういうことです。ここでは物価は一定と仮定されているので、生活費の上昇は消費される生活手段の増大の結果を意味し、したがって、労働者の生活水準は、低下するどころか、僅かながらも、上昇したということです。
Marx自身も価値分割をこのようにとらえており、価値分割の結果労働者の消費生活の水準が、必ず、あるいはしばしば低下するという認識は彼にはないと思います。しかし、Marxは価値分割それ自体を個々の労働者にとって望ましいこととしては描いていません。それは、「一家族が生活するためには、いまや四人が、資本の為に、労働だけでなく剰余労働をも提供しなければならない。」とあるように、女性や児童までが資本の搾取材料として、資本の支配する労働過程に引き込まれていく、「ジャガノートの車輪の下」に巻き込まれていくからです。
また、このように労働力の総供給量が増えることによって、職をめぐる労働者間の競争が激化し、失業の危険も高まるからです。
Marxのいわゆる「貧困化論」を生活水準の悪化傾向のみを指摘するものとして扱う一面的な理解は後を絶ちませんが、むしろMarxが「貧困化」として重点をおいているのは、労働過程における労働者の状態です。お金と引き換えに自分の生命活動の一部、生活時間の一部を他人のための、他人の指示の下での作業に費やさなければいけない状態に陥ることです。
しかし反面、こうした経験を押し付けられる人が増えるということは、これらの人たちが社会の多数派となり、一致アソシエイトして、戦えば状況を変えられる可能性が高まっていることも意味します。
禍福あざなえる縄の如し。
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一部訂正・・・・というか補足というか、労働者家族の生活水準が、価値分割というよりその原因となった多就労化(家族の中の働き手の数が増えること)によって上昇するのは、あくまでも"価値どおりの賃金が払われるならば"でしかありません。実際には本文中でも触れたように、競争の激化などによって、賃金が価値以下に押し下げられることが多くなります。
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