ソラリスの青い海

幾時代かがありまして…茶色い戦争がありました…今夜此処でのひと盛り

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佐伯祐三≪哀愁の巴里≫

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 5月末日発刊
6月頭より取次配布 
 
白矢勝一
吉留邦治
 
定価1800円(税抜)
 
早稲田出版刊
 
 
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「哀愁の巴里」目次告知

 当出版物は最終校正、色校正等総て終了、愈々製本の段階に入った。既にどんな内容かを問う声いくつかあり、それに応えるべく事前に目次を公開する。乞う御期待!!
 
≪佐伯祐三 哀愁の巴里 今解き明かされる衝撃の真実ー ≫
                                    早稲田出版
第一部  佐伯祐三 その創造と病    白矢勝一
 
一.佐伯祐三との出会い 序に代えて
 
二.佐伯の軌跡
1.生い立ちと性格
2.推論・なぜパリに急いだか?
3.佐伯周辺の女性たち
4.米子の足の悪い理由と年齢についての考察
5.佐伯作品はどのようにして世に出たか
 
三.佐伯の芸術
1.「このアカデミズム!」
2.下落合時代
3.佐伯の線
4.モランの荒行
5.もう一つの傾倒
6.佐伯と芹沢光治良
7.佐伯と宗教性
8.実景と佐伯の造形性
 
四.佐伯の病気
1.佐伯は精神分裂病!?
2.結核について
3.死の引き金かモランの荒行
4.発病
5.精神に異常が
6.佐伯と医師
7.さて佐伯は何を注射されたのだろう?
8.まとめ
 
五.佐伯の晩年
1.プロローグ
2.脱走事件
3.なぜクラマールの森へ行ったのか
4.自殺未遂はあったのか
5.考察
6.さて真実は
7.佐伯の死亡日は何日?
8.佐伯の死の三日前
 
六.贋作事件
1.経緯
2.「吉薗資料」の破綻
 
付録   因縁話
 
第二部  佐伯芸術の土壌   吉留邦治
 
一.佐伯の周辺
1.本邦洋画の黎明
2.在野の萌芽
3.夭折の画家たち
4.「中村屋サロン」と下落合
5.今日に生きる佐伯芸術
 
二.佐伯の造形性
1.手製のキャンバス
2.早描きの秘密
 
人名索引その他

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佐伯祐三「哀愁の巴里」出版

 前回本の完成時期を「桜が満開の頃」と書いたがそれを「バラの花咲く頃」と訂正。
 とにかく項目が佐伯祐三の全側面に関わるものである為、文章、画像等相当な整理、挿入、修正を伴い、ために校正、「赤入れ」も尋常ならざるものとなり、現況のやむなきに至った次第。
 さて本もさることながら、今般「出版記念会」の併設イベントも意義あるものとなりそうなので当事前告知となった。
 佐伯祐三の今日あるの最大の功労者と言えるのが兵庫県芦屋の実業家山本發次郎である。その後の佐伯作品の中心的なものは彼のコレクションであった。彼は画商から印象派等「泰西名画」を勧められても首を縦に振らず、「佐伯ならナンボでも買う!」と言ってその作品を買い漁った。残念ながら戦災によりその三分の二を焼失したが、彼は佐伯を世に出すことを自らの「芸術感覚」、早い話が「見る目」を賭けた責任として捉え、私費を投じ佐伯作品の「豪華本」を出版した。今般その貴重な画集が展示される。
 同時に、本邦で出版された佐伯祐三に係るほとんどの出版物も展示されるが、これは密かに「それら総べてに対峙すべきこの一冊」の意味もある。
 とりわけ今回の展示で特筆すべきは、佐伯の入院、死亡に係る文書(コピー)と件の「贋作事件」に係る資料であろう。後者は吉薗・落合の「真作派」とこれを否定した「贋作派」双方から出された出版物、資料でありともに他所で見ることは難しいものが含まれる。
 こうした出版物等とは別に、佐伯の手製キャンバスについて、その各工程から「早描きの秘密」等その造形性を追った資料も展示する。他に本掲載の筆者らの作品展示とエンターテイメント、諸々予定している。

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佐伯祐三手製キャンバス4

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Ψ上 佐伯図録より
    「黄色いレストラン」
 
 
 
 
Ψ右 佐伯キャンバスに筆者模写
  F10 油彩
 
 
 
 
 
 
 現在東京池袋近くに「修復研究所21」という、絵画の修復、素材分析等に係る専門機関がある。ここの前身が「創形美術学校・修復研究所」である。この初代所長が歌田真介氏(現東京芸大名誉教授)で、氏はかつて件の「佐伯祐三贋作事件」に関係した「佐伯作品」を総て贋作と看破、直ちに修復を断ったという経緯がある。ことほど左様にに同研究所は専門的鑑識眼とハイテク機材を備えたその道で信頼される権威であるが、同所は「修復研究所報告」という冊子を定期的に刊行していた。これは同所が扱った作品の分析、修復等に係る仔細な報告であり、その中に正真正銘の佐伯作品も含まれていた。
 同所は修復を安全確実に行うため、修復に先立ち、様々な光学、科学機器をつかって作品を分析、調査する。同冊子で紹介された機器は、X線マイクロアナライザー、微小部X線解析装置、光学顕微鏡などで、これらにより作品の物理的状況、素材成分から作品ができるまでの経緯などが仔細に分析される。
 同冊子1995,1996年合併号によれば、同所は大阪市立近代美術館建設準備室所蔵の佐伯作品を修復し全42点の佐伯作品に係る地塗り層調査データを得た。
 以下がその結果である。
 〇42点中35点が白亜を主成分とする
 〇鉛白(シルバーホワイト)と胡粉の混合が3点
 〇鉛白のみ2点
 〇鉛白と亜鉛華(ジンクホワイト)の混合1点
 〇亜鉛華のみ1点
という結果となった。
 ここで素材についてのみ、もう一度前回の証言をまとめてみる
 米子説…胡粉のみ
 阪本勝説… (木下勝治郎、渡辺浩三らからの情報を基とする)…酸化亜鉛(亜鉛華)のみ
 鈴木誠説…胡粉のみ 
 つまり、当該42点に限って言えば修復研究所の分析結果と一致するものは阪本説1点のみで、米子・鈴木説は一つもない。多くの佐伯作品の下地は白亜の一層塗りであったということになる。
 ただここで注意すべきことは、胡粉と白亜は顕微鏡レベルでその形状の違いにより分けられるが、ともに成分は炭酸カルシウムであり、米子らは一般名詞として一括して「胡粉」と呼んでいたという可能性もある。しかし先の下地材の色を見ると、やや褐色がかった白亜の色を佐伯は敢えて塗り残していた作品もあり、白すぎる胡粉や亜鉛華が覗いていたら佐伯はそれを塗り消していただろうと思うと、この素材の違いは明確にしておくべきだろう。
 以下の鈴木誠発言も疑問がある。 
 ≪三千本(?ママ)とかいう粗末な膠をアルミの鍋の沸騰した湯の中に入れる。撹拌してよく溶けた頃。油(おそらくボイル油でなかったか)をビール瓶から入れる。続いて当時高級洗濯石鹸の「マルセル石鹸」をワサビオロシで入れ。しばらく撹拌して水と油のエマルジョンが出来た頃胡粉を入れて出来上がり…≫
 膠は一晩水に漬け膨潤させてから湯煎して溶かす。そのまま鍋に放っても適正に溶けない。また70度以上の高温に置かれると分解して固着力を失い役に立たない。沸騰した湯への投入などあり得ない。
 いずれにしろ、件の佐伯の「失踪・自殺未遂事件」前後の様子がそうだったように、米子らの情報は迂闊に額面通りには受け取れないものや客観性を欠いているものもあるということは確かだろう。
 
 

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佐伯祐三手製キャンバス3

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 Ψ 上 佐伯掲載画集 オリジナル作品「広告とガス灯」
 
 
 
 
 
 
 
Ψ 下  「佐伯キャンバス」による同作品筆者模写(P12 油彩)
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  ところで、上掲作品は一応模写なのであるが、佐伯作品に関しての模写は他とは趣が違う。他は特定画家の技法を忠実に追体験することにより自己の創造の参考とするという意義があり、概ね時間の制約もない。(参考 http://blogs.yahoo.co.jp/asyuranote/56696879.html
 しかし佐伯の創造を追体験するというのは、その時間との勝負という制約が係る。
  佐伯は街頭に、20〜30号程度のスケールのキャンバスを立て数時間で現場で仕上げ、ほとんど家で加筆しない。つまり、生のモティーフを見て、感じ、その心の動きがそのまま手の動きに連動し、余分な造形的作為はほとんど介在しない。つまり、モティーフと作家の間に遮るものなくグイグイ描けるのである。一方佐伯を模写する場合、そういう現場での感覚ない中、「速戦即決」でオリジナルに似せるというのは不可能である。オリジナルに近づくためににはある程度乾燥させる時間が必要だし、乾燥後の描きこみで現物に似ては来るが佐伯の勢いは失われる。
 したがってこの模写は佐伯キャンバスの「食いつき」具合と「早描き」の如何の確認に留まる。 
 
 さて、多くの佐伯作品を展覧会場などで観ると、画集などで個々に見ては気づかないことがある。それは、意外に佐伯作品は厚塗りではなく、ものによっては独自の地塗りの地がそのまま見えているものもある。あるいは、相当厚塗りした画面であっても、その画面は何か御影石か平たい金属のような硬質の画面に描かれているいるような、絵具層の下の「地」の平滑さを感じるのである。普通のキャンバスは麻布の目の上に絵具層があり、それが色を塗り重ねることによって、布目の効果が出たり、油彩のマティエール特有の柔らかで重厚な「味」になったりするものであるが、画一的と言えば画一的で、佐伯キャンバスは先ずこういう「油彩の類型」を脱する。
 また、佐伯芸術の大きな特長は言うまでもなくその伸びやかで鋭い線にある。佐伯キャンバスではその線が布目でとぎれることもなく、勢いを保ったまま引かれる。厚く塗られた色面も同様で、けれんみなく純粋な絵具層を作る。これが石造りのパリの街の硬質なマィテエールの表現に適う。これはユトリロが絵具に壁材を混入させたり、絵具から敢えて油分を除去させたという感覚にも通ずるだろう。佐伯キャンバスはこの辺の佐伯の造形感覚の受け皿として必須であった。
 また佐伯キャンバスについて語った前述の鈴木誠らは、その手製キャンバスが佐伯の「早描き」に適していたのではないかと推測している。確かにそのドミアブソルバンは、吸収も早く、食いつきも悪くない。上掲模写もほぼ一日で描いた。しかしその吸収の良さとは普通のキャンバスと比較した場合、「日単位」で言えることで、佐伯の場合は午前一枚、午後一枚、現場仕上げの「時間単位」の早描きである。いくらなんでも描く傍から乾いていくという速さはない。佐伯の早描きは手製キャンバスの特質と合い俟った別の造形的工夫があると推測するのだが、これは件の出版物で述べているので「乞参照」ということになる。
 さて、その佐伯キャンバスの塗布剤の正体とは一体なんだったのだろうか?評伝で伝えられる証言をいくつか記す。
 米子夫人
≪床一面に麻布を枠に張ったのを並べ、胡粉と膠、亜麻仁油を混ぜたのを大きな鍋で煮てキャンバスに塗ります。それが乾くとまた三回も繰り返して塗るといったような製法でした≫
阪本勝 (木下勝治郎、渡辺浩三らからの情報を基とする)
≪…幾分濃い目の膠汁に亜麻仁油とかリンシード油、石鹸水を適量に混入し、十分かき混ぜてから酸化亜鉛をいれる…≫
鈴木誠
≪三千本(?ママ)とかいう粗末な膠をアルミの鍋の沸騰した湯の中に入れる。撹拌してよく溶けた頃。油(おそらくボイル油でなかったか)をビール瓶から入れる。続いて当時高級洗濯石鹸の「マルセル石鹸」をワサビオロシで入れ。しばらく撹拌して水と油のエマルジョンが出来た頃胡粉を入れて出来上がり…≫
 
 先ず確認事項だが、上記文中亜麻仁油、リンシードは同じもの、ボイル油はそれを煮沸加工したもの。酸化亜鉛は、亜鉛華のこと、仏名ブランザンク、英名ジンクホワイトと呼ばれる白色顔料である。また「三千本」とは今日も市販されている、各種膠の中では最も安価な棒状の膠である。
 さてこれらの証言は正しいのであろうか?
(つづく)
 
 
 

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